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「大人も変われるーウグイス嬢、商社、小学校教諭、人材開発…マッハに生きる」公募インタビュー#4

〈咲さん(仮名) 2020年6月中旬〉

まずは、今回お聞きした興味深いお話の中から、異彩を放つエピソードを中心に咲さんのこれまでをまとめました。

・・咲さんの歩み・・
小学生 野球を好きになる。甲子園のサイレンになりたくて練習(声で)。
中学生 好きな野球選手の出身大学の付属高校への進学を決意。
高校  将来、愛する球団ヤクルトスワローズの母体ヤクルト本社に入社したら南米市場開拓で貢献しようと考え、イギリス留学中にスペイン語習得。
大学  野球部に入部し、放送委員=ウグイス嬢を務める。
就職1 商社の営業職に就き、金属部品等の仲介に携わる。
    事故に巻き込まれる。
    働きながら小学校教員免許を取得、教員採用試験合格。
    南米へ一人旅。
就職2 小学校で数年間クラスを受け持つ。
    失望。転職活動。
就職3 コンサル会社で営業/人材育成コーディネーターに就く。
    悩んでいる人の助けになるかも&教育現場の悲惨な状況を伝えたくてインタビュアー田中に応募。

1 商社から小学校の先生へ

咲さん 大学で就職活動をしていた頃は、所属していた野球部で放送委員、いわゆるウグイス嬢をやりつつ試合の運営に関わって、人を動かすことの難しさややりがいを感じていたところから、組織開発や人材開発の専門職を志していたんですね。希望していたコンサル会社は狭き門で、最終的に商社に入社して営業職に就きました。その会社でも人事への異動願いはずっと出していたんですが、営業職で評価を受けていたので異動にならないままでした。
 
 でも、私が人生でやりたいのは、金属部品の開発とかそういうことじゃないなと思ったんですよ。

 それにはっきりと気付いたきっかけは、交通事故に遭ったことです。お客さん先からの帰り、社用車で高速道路を走っていたら、ビューン、って、トラックが私が走ってた左側の車線を走って行ったんですよ。何この車!?と思った次の瞬間には、そのトラックが前方で玉突き事故を起こしていました。私の車が最後で、7台玉突きの大きな事故でした。

 私は車間距離をとっていたおかげで無傷でしたが、その時に、うわあー、人間っていつ死ぬかわからないなと思ったんですよ。いつ死ぬかわかんないんだったら、やりたいことやんなきゃいけなくない?って。今、金属運んで開発して、まあいいんだけど、そういうことじゃないよね私がやりたいのは、と。

 ああ私は人材開発をしたい、人間を成長させたいと思ってたんだよねと思い出した。会社に入って、思ってたんですよ。それまでは、大人って何でもできる存在だと思ってたのに、いざ会社に入ったら、うわ、大人のくせに全然できないじゃん、みたいな先輩方がいっぱいいたんです。できないだけならいいけれど、できないことをできないって言えずに一人で抱えてしまったり、わからないことを教えてくださいって素直に言えなかったりする。

 それを大人になってから変えるのは難しいことなのかなとその時は思った。それなら、子供を変えるしかなくない?と。人間を成長させるなら、子供の時期に育てるのが一番いいなと思ったんですよ。世の中に貢献できるんじゃないかという気持ちもありました。で、小学校の教員免許をとるために大学の通信課程に編入しました。

2 小学校の先生 過酷な現場

──教育の場として小学校を選んだのはなぜですか?

咲さん 私はできないことをできないから教えてほしいと言える子供や人を増やしたかったので、それは学級の中でやることだなと思ったんですよ。教科担任じゃなくて学級経営をやりたかったから、小学校を選びました。

 また、進学塾だったり、放課後学校とかもありますけど、どうしても教育とビジネスとはコンフリクト=軋轢が多いんじゃないかなと思って、私はあまり魅力を感じなかったんですね。行くんだったら公立学校だなと思ってました。

──公立小学校の先生になられて、どうでしたか?

咲さん 愚痴がいっぱい出ますがいいですか。(どうぞどうぞ)
 公立の先生って公務員でもあり、苦しいんですよ。提案をしても全然通らないし、変わろうという気持ちがまるでない。文科省の下僕だなーと思いました。小学校自体に全然裁量がないです。だからすごく遅れてます、いろんなこと

 例えば、学校だよりとか学年だより。PDFでホームページに公開してるんだから、わざわざ紙に印刷して全家庭に配る必要ないのでは?と、PDFにしてメール配信にしましょうっていう提案をしたんです。実際、今の世の中ならできることだと思うんです。でも、メールを見てない保護者もいるかもしれない時に、こっちはお知らせしたよと言えない、というような保身の理由で却下です。
 今時何でそんなことやってるの?っていうことがたくさんあります。

 それは教員の仕事じゃないでしょ、という仕事も非常にたくさんあります。プール掃除とか水位の管理や運動会のテントを立てたり、教員免許がそれに必要ありますか。それを教員が頑張ったところで、子供の成長につながんないでしょっていう業務がめちゃくちゃ多かった。

 高学年の担任ともなると、子供の活動時間も遅くまであるし、修学旅行とか林間学校とかの際には、バス会社への連絡とか集金とか、何から何まで全部担任がやる。でもそれは担任のメインの仕事じゃない。1日6コマの授業を一生懸命やらなきゃいけないんだけど、全然まわらなくて

──過酷…

 無理無理、おかしいよね。予算つけて、人材を入れなきゃダメだよ、って思います。
 英語やプログラミングも後から教えることになって、(教職課程で履修していないから)教えられないとなれば、じゃあ2回研修やるからそれでやって、と。そういう問題じゃないんですよ。
 いまコロナがあって、学校中消毒しろとか文科省が出してる。あれも結局担任やってとなるから、仕事が増えるばっかりなんですよ。私たちは英語やプログラミングを教えたり消毒したりする法的な根拠は何も持ってないのに、ただそこにいるからっていう理由でやらされる
 これは違うでしょ、って思っても、文科省や教委から通知が来たら、もう無理です。学校は逆らえない。ベクトルが上から下しかないから、もう私、公務員無理だ(苦笑)と思いました。

 教職はきりがない仕事、っていうのはあります、確かに。学級通信だって毎日出そうと思ったら、30分なり1時間なりかかる。だけど、それ以前に絶対定時で終わらない。土日祝日もみんな仕事してますよ、だけど残業代は一切出ない。

 修学旅行だって、行ったら1泊3000円だか出るんですけど、職場にお土産買ったら飛んでいくでしょ。それ以上のストレス、例えばアレルギーを持っている子供が万が一アナフィラキシーショックを起こしたら命に関わるので、細心の注意を払わなくてはいけない。私たちは何でも屋じゃないのに、預けている親にはわかってもらえないし、軽んじられてもう嫌になりました。

 保護者の方から見えてない仕事が多いから、保護者の方ももっとうちの子を見てとか、先生は授業やってさえいればいいんでしょとか、保護者は当たり前にそう思うんだろうというのもわかるんですよ。だけど、先生たちは本当に回ってないし、私たちにだって一応家庭や自分の生活がありますからね(苦笑)。

 小学校の先生って、ほとんど休まないじゃないですか。でもそれって当たり前じゃないですよね。
 また、小学校の先生って1日に6コマ授業をやる。でもそれを一般企業に当てはめて考えてみてください、営業マンが1日6件営業アポ入れますかって話なんです。絶対入れないでしょ。
 それに加えてランチミーティングもあるんですよ。給食は‘給食指導’という指導項目に当たる時間なんで、休憩時間じゃないんです。午前中4件アポ、ランチミーティング、また午後2件アポ入れて、インターバルは5分
 そのあとで社内会議が4件5件とか。そしてやっと宿題ノートのチェックです。保護者から連絡が来て、面談に入ることもある。気になるお子さんのご家庭にはこちらからも連絡するし、やることは山積みです。

 一般の会社で考えたら、営業に行くためには営業資料を用意したり、自分なりのストーリーも作っていかなきゃいけない。そういった準備も含めて、一般企業だったら勤務時間内に用意できる。でも小学校では当然のようにその時間はない。だから土日にやる。感覚がおかしいです。

──咲さん以外の先生方は、そういう過酷な状況に納得していた?

咲さん いや、みんなは納得してないと思います。こんなもんだと思ってる人がいたら、それは洗脳されてると思う。ただ、給料はそんなに安くないんですよ。だから安定をとってる、って人はいますよね。

 あとはやっぱり、教員から転職するのが難しい現実はあります。だって汎用性がないスキルしか身につかないし。
 私が転職活動をやった時も、結局評価されたのって教職以前の経歴なんですよ。学校教師から転職する先は、塾の講師やフリースクールの放課後子供教室的なところがほとんどになっちゃうんじゃないかなあ。

 だから苦しいですよね。私はなかったけれど、教師間のいじめやセクハラもひどいところはひどいから、辞めちゃう人も多いんですよ。体力的にもきついし。辞めた後はちょっとお休みするって人が多いです。すぐに普通に一般の会社に入社するとか、起業するって人はまあいないです。

──そういう仕事のしかたをしてたら、続けられるのはよほどすごく情熱がある人か、割り切っている人かってことになっちゃいそうですけど…

咲さん 情熱がまったくない人はほとんどいないと思いますね。情熱がなくては割に合わない。みんな絶対、何かしらの情熱や使命感を持ってますね。ほとんどの人が子供が好きだし、子供をよく見て頑張ろうとしてますよ。それは間違いないです。

──クラスを担任されて、いかがでしたか?

咲さん 何学年か受け持って、私は5年生で壁にぶつかりました。私は成長させたいと思いすぎちゃうんですよ。だけど、子供は楽しみたいのが根本ですよね。低学年のうちはできるようになるだけでうれしいし、求めるレベルも高くないから、私もいい子いい子って感じでいけた。でも5年生となると私も高望みするし、私に言われてやるのは子供も嫌だから、全然うまくいかなかった。ほぼほぼ学級崩壊でした。
 私は、子供を成長させたいんじゃなくて、私が子供を成長させたいだけなんだと途中で気づきました。

 私が5年生の授業の内容についていけなかったのもありますね。本当に高学年の授業の組み立ては難しいんですよ。知識を教え込めばいいわけじゃなくて、考える力も身につけさせなきゃいけない。子供を引きつける面白い授業をやる技量が私になかったんだと思います。
 
 私、自分が面白くなっていっぱいしゃべっちゃうんですよ。マルクス経済学の入り口みたいなことも話したり。学習指導要領に沿って工業生産、自動車業界の話を扱った時、自動車の値段は販売費や宣伝費や製造費、人材費とかから成ってるんだよって話をすると、子供がじゃあどうして100万円の車は100万円になるのって聞くんですよ。で、ああこれ面白いな、需要と供給の話をここで一発してやろうと思ったけど、私は面白いけど子供には面白くないじゃないですか。わかんない子供はそもそもわかんないし。
 
 私自身、すごく高いものを求めちゃうけど、いろんな子供がいるから、やっぱりしんどい子供もいるんですよね。本当に何もわからない子。家庭が安定していない子も多いし。いろいろ支援してあげたらよかったと今は思いますけど、自分にも余裕がなかった。

──高いものを求めたというのは、勉強のことですか?

咲さん 勉強もだし、態度も、全般ですね。正しくあってほしいという気持ちがすごく強いので、満足できないと私は顔に表れるんだと思います。
 周りの先生方は、今の君たちは輝いてるよみたいなこと言うんだけど、私はもっとこうしたらいい、って思っちゃう。私が無理矢理ほめても、子供は見抜くんでしょうね。ほめるけど言葉だけだし、伸ばすのが上手いわけでもないから、お互いにしんどいんですよね。

──そして転職を考えた?

咲さん 転職の一番の理由は、提案できない環境。言われたことだけをやらなきゃいけない、保身をしなきゃいけないっていうのが一番嫌でしたね。

 最後に決定的だったのは、通知表のことです。通知表って、実は法的根拠がなくて、学校任意の仕事なんです。全国でも少数だけど通知表のない学校もあるんですよ。うちの学校は毎学期やっていましたが。
 通知表の「所見」ってわかります?その子供の特長的だったところを文章にして表す欄、うちの学校はあれが4つあるんです。総合所見、外国語学習の所見、総合的な学習の所見、道徳学習の所見っていう4つを、1〜3学期の毎学期書いてたんです。

 この所見って、書くのめちゃくちゃ大変なんですよ。この子はここまで努力したんです、こんないいところがあるんです、といったことを書くための欄で、客観的な事実を記録するためのものではないんですね。こんなところが課題ですとか、これを直さなければいけません、とかは書かないんです。
 それを、字の大きさ10.5ポイントくらいでA4に3〜4行を一人につき4項目。1クラス35人分。それを毎学期。(※総合所見は一人あたり6~8行程度と、外国語所見等の倍になることもあるそうです…)

 正直、もう書くことが見つからない子もいるんですよ。外国語に一切興味がない、聞きとりが難しい、外国文化に興味を持たない、そういう子だったら書けないんですよ、本当に。

 だから、私言ったんです。総合所見を毎学期書くのはまあわかるんだけど、外国語、道徳、総合的な学習の所見は学期ごとに1つずつという風にしないと、ちょっとしんどいです、と。これを書くために土日に出勤している先生もいるにもかかわらず、正直、保護者の方には内容がわかってもらえているかもあやしい。意味ないんじゃないかと。
 その提案は私だけじゃなくて、3〜6年生までの担任からも会議で出たんですよ。なのに、近隣の学校は全部やってるからとか、説明責任をいつ果たすの、別の機会を持つ方が大変でしょ、って校長に言いくるめられて却下された時に、私の気持ちは切れました。
 ああ、もう無理って。こんな通知表の枠1つ変えられないんだったら、もう公立学校の教育は変わらないなと思った。

 労務環境さえ整ってたら、自分の指導のまずいところも変えてやっていこうっていう気持ちになるけど、そんなちっちゃいことも変えられないんだから。

 それからすぐ転職活動を始めて、数ヶ月後に校長に退職を告げました。

──思い立ってから動き始めるのがいつも早いですね。(※収録しなかったあらゆるエピソードにおいて驚きのスピード感で動かれていました)

咲さん 私、マッハで休みなく動いてますから(笑)。
 
 私が退職しますと言った時、校長、何て言ったと思います?
 校長の第一声は「まだ間に合うかなあ」。校長が気にしたのは手続きの書類が間に合うかどうかと、後任の先生の採用が間に合うかなということでしたね。

3 わかったこと

──小学校の先生になろうとされていた時、わからないことはわからないと言える人を育てたいという動機があったかと思いますが、その点はいかがでしたか?

咲さん やれた部分もあるし、やれなかった部分もありますね。例えば、わかった人はパー、わかんないけどこうかなって思う人はチョキ、わかんないけど考えたよって人はグーで手を挙げてというサインを作ってやっていたんですね。それは意思表示できることだからいいことだし、私がやりたかったことなんだけど、学級の中でしか通じないなというのがあった。人生、ずっとグーを挙げてるわけにはいかない、わからないなら教えてって言わなきゃいけないわけです。

 でもそれを言えって言ってできる子とできない子がいるんですよ。ちっちゃい子供なら何とでもなるっていうのは間違いで、絶対持って生まれた性格っていうのはあるなって思ったんです。

 性格とか考え方っていうのは子供でもあるものだけど、逆に、大人でも変えられる、って思ったんですよ。矛盾してるみたいですけど。
 大人になって小学校に先生として入って、私自身も変わったと思うから、大人でも変わるんじゃない?と思いました。

──子供の時しか変われるチャンスがないわけではないということですね。

咲さん 人はずっと成長するし、変われる。だから私が一番間違ってたのは、大人は成長しないって思ってたこと。むしろ大人になってからの方が活動範囲も広がるし、自分で選べるし。
 小学校って偶然同じ時期に同じ地域で生まれたから同じ部屋に30人入れられるわけでしょ?でも大人になったら自由じゃないですか。大人の方が何でもできるな、って。
 昔は大人はつまんないって思ってました。だから大人になりたくなくて就活も遅くまでしなかったけど、大人になってよかったです。

──身を以て体現されてるとこありますよね。

咲さん 変われるって思ったら、無限になった
 一人暮らしを始めたり、新しくスポーツを始めたり、それで友人もできて。この自粛期間中に作曲も始めましたよ。大人になってから始めたことはたくさんあります。
 人生、意外と、やりたいと思ってやったら何でもできるよねっていう結論を今のところ得てます。

──その結論が出たのはいつですか?

咲さん 最近ですよ。それまでは現実逃避をしてたし。今の会社に入ったのは大きいですね。

──どうですか、今の会社は?

咲さん いや、かなりいいですよ(笑)。事業内容が組織開発をやってる会社だからこその、人を大切にする文化だったり、事業内容も勉強になるし、私は人生をこれに賭けられると思いました。

──希望だった人材開発に関われている?

咲さん はい。うちは、アメリカで作られた研修プログラムをアレンジして、日本の会社向けに人材開発研修を提供する会社なんですね。私は営業と研修コーディネーターをしています。
 そのプログラムは私の人生にとっても有益なものだし、アメリカのプログラムを日本語に翻訳してデリバーするから、英語っていう私のスキルの1つも活用されているので、すごくラッキーですね。

──今の会社に就職するのは大変でしたか?

咲さん 小学校から転職したくて転職活動を始めてすぐに、バイリンガルの保育園から内定をもらっていたんです。小学校からの転職は難しくて、私の経歴と能力を生かせる仕事、と思ったら、保育園や幼稚園や塾、あとは英語を使う旅行代理店とか、すぐにはそういう感じしかなかったんですね。

 でも、私がずっとやりたかったのは人材開発だったから。それから人材コンサルをいくつか受けて、落ちました。一般企業の人事部からの転職はウェルカムなんですけど、私は人事の経験もないから、受けられるところがすごく少なかった。でも、今勤めている会社は営業色が濃くて、営業経験がある人はいいよという条件だったから、何とか。
 周りの人たちともタイプが合うようで、コミュニケーションのとり方も私の性に合っていて働きやすいです。

4 こぼれ話 ボリビアで見た子捨て、ウグイス嬢が試合を支配した話

 咲さんの豊富な体験談の中から、衝撃的なお話を2つ。

咲さん 南米へ一人旅に行った時の話です。
 ボリビアからアルゼンチンに移動する日、朝5時くらいにホテルからタクシーで空港に向かってたんですよ。そしたら、すっごく道が混んでて、クラクションも鳴ってて、何これ?と思って。タクシーの運転手さんに、これ何が起こってんの?って聞いたら、今子供が捨てられるんだよ、って。
 えっ!?って見たら、前の方を走ってたタクシーが停まって、車の中からお母さんが子供をドーンと突き落としたんです。3歳か4歳くらいだと思うんですよ、ピンクのスウェットを着た女の子がワーーーン!って泣いてるんです。ママー、ママー!!って。でもお母さんはタクシーでバーッと逃げていく
 朝早いから暗いし怖いんですよ。運転手さんにここではよくあることなんですか?って聞いたら、この時間帯はポリスがいないからチャンスなんだよ、みたいなこと言われて、めっちゃ怖いやんと。お母さんは子供を育てるお金がないんですかって聞いたら、ううん、多分仲が悪いというか気に食わないんだろうねみたいなことを運転手さんは言ってて、そんなことで子供置いていくの?って言ったら、まあそういうこともあるんじゃない?って。ねーだろ、と。めっちゃ怖かった。

──えええええ…。衝撃ですね。
 咲さん、一人旅もされるんですね。行ったのは危険ではないところなんでしょうか?

咲さん いや、多分危険だと思います。私はスペイン語が話せて、言葉が通じるから身を守れたんだと思う。
 言葉が通じるって、言葉の意味を理解し合うだけじゃなくて、同じ言語を話してるっていう意識を持てるんですよ。それってすごく強いんですよ、人の絆として。多分、この言語でわかり合える、と思ってもらえたから、私はスリにも遭わなかったし、だまされるわけでもなかったし、その旅ではいろんな人が私のことを手伝ってくださいました。


──野球のウグイス嬢時代のお話もいいですか?ウグイス嬢としての喜びというか、よっしゃ!と思える瞬間というのはどういう時?

咲さん ウグイス嬢としての喜び…ネタみたいな話ですけど(笑)。
 基本的に野球って試合時間が決まってなくて、打撃戦になったら延びるし、投手戦だと早いし、アマチュア野球だったら大体2時間から2.5時間ぐらいなんですよ。で、都市対抗戦野球とか社会人野球の大会をやってると、みんな早く終わりたいんですよ。だから、ウグイスとして早く試合を終わらせるために何ができるかなって思ったら、早く呼ぶことなんじゃないかと。前のバッターが空振り三振になった瞬間に次のバッターを私が呼ぶ(笑)。
 という、いやそんなん(笑)みたいな技を、自分の心の中でやってたんですね。でもこれ有効だよねと自分としては思ってたんです。
 そしたらある日、後輩と一緒に球場に入って、私がBSOのライト係、後輩が放送する係ってなった時に、「咲さんはいつもどんなことに気をつけてらっしゃいますか?アドバイスがあったら…」みたいなことを言われて、いや、早く呼んだら早く終わってみんなハッピーだからなんてこと言ったら、その子がめちゃくちゃ早く呼んだんです。そしたらその試合、1時間半で終わって

──えーー!!

咲さん ほら気のせいじゃないんだ、と思いました。

──試合を支配してますね(笑)。

咲さん そう、支配しました!嘘みたいな話だけど、本当に早く終わったんですよ。バッターはみんな早打ちになっていくし。2球目3球目バンバン手を出すんですよ。
 だからピッチャーもどんどん投げるし、球数少ないから、めっちゃ早く終わりました。
 あれは面白かったです。まさか私たち放送側が早く呼ぶことで…本当にワンテンポですよ、「ん」ってくらいワンテンポだけ早く呼んで、絶対誰も気が付かないけど、これすごい効果あるんじゃんと思いました。

──本当に誰も気付いてなかったですか(笑)

咲さん いや、絶対ないないないない。

(終わり)

 インタビューされたい方から応募いただき、インタビューするシリーズ「インタビュアー田中の公募インタビュー!」の第4回は、咲さん(仮名)にお話を伺いました。

※インタビュアー田中の発言の前には──が付いています。
※個人的な経験と記憶に基づいたお話です。事実、あるいは現状と異なる箇所があるかもしれません。

自由を手にできる大人になるまで生きのびられるように、子供たちが今を生きる小学校がよりよいものになるといいなと思いました。そのためには先生たちの労働環境がないがしろにされていいわけないですね。

次回のインタビューもお楽しみに!お読みいただきありがとうございました!

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