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「純白と漆黒 橘さんのお話(後編)」公募インタビュー#39

たちばなさん(仮名) 2022年6月中旬〉

・・・「醤油味のおかきと塩味のおかき 橘さんのお話(前編)」からの続きです・・・

皮膚に残る父親の記憶、祖父のそばで過ごした時間など、幼少期の思い出からご家族のことを話してくださった橘さん。母親には、感謝や尊敬の念もありつつ、幼い頃から違和感を抱いていたとのこと。
お母様についてのお話の続きから。

要注意な母(続き)

──では逆に、甘えるとかは?

橘さん ないです。ないですね。

──教えてもらうとかは? 例えば、同性なので、体の成長のことを教えてもらうようなことはあったんですか?

橘さん はい、生理のことだとか、そういうのはひと通り普通に教えてくれます。そういう親としての役割は、一応ひと通りちゃんとしてはくれるタイプなので、小学校の4年生とかのタイミングで「女の子っていうのは生理があってね」とかっていう説明とかはきちっと、普通に、むしろ真面目な形でスタンダードにこなしてくれましたし。

 料理もすごく上手で、ごはんもお弁当とかもきっちり作ってくれるし、あとお裁縫とかもすごく得意なので、幼稚園の時であれば上履き袋とか幼稚園バッグとか手作りのものもたくさん作って、そこにすごい刺繍を施すとか。
 彼女は大学で服飾デザイン系とかそっち系の学部だったので、そういうスキルがすごく高いんですよ。家庭科の教師の免許も持ってるし、家事スキルがすごく高いもんで、それ系のことはものすごくやってはくれるんですよね。

 ただ、単純に人柄というか、価値観にぶっとんだ要素を持っているので(笑)、要注意だなって感じですし、私、今振り返ったら、幼稚園ぐらいの時ですら、彼女に対して寝顔を見せるっていう行為に抵抗がありました。

──えっ!

橘さん もう、甘える・甘えない以前ですよね。寝顔っていう無防備な状態を母にさらすことに、何らかの危険を感じていて。何をされるわけでもないんですよ。ないんですけど、なんか、見せたくない。隙を見せたくないというか、もう、防衛本能ですね、完全に。
 自分の部屋があったから、自分の部屋で寝ていましたし、昼間眠くなってお昼寝をする時も、部屋を移動して、別の部屋で寝るとかしてました。

──何があったわけでもなく、なんとなく警戒していた?

橘さん なんとなく。そこまで心を開いてないっていう感じですかね(笑)。

──「お母さーん」って言って抱きついて甘えたりすることはちっちゃい頃からない?

橘さん ああ、記憶にない……まあ、おんぶはしてもらってたんです。なぜか、習慣的なもので、幼稚園ぐらいの頃は朝起きたら、毎日おんぶしてもらって2階から階段を下りるみたいなことはありましたね。でも、それ以外はないですね。

──橘さんも大人になり、今の年齢になって、「お母さん」というよりは、ひとりのそういう性格の人間として冷静に見てる?

橘さん そうですね、非常にその感じはありますね。まあ、本当に面白い人だなあっていうのはずっと思ってたし、もちろん感謝もしてますね。さっき言ったように、家事スキルもすごく高いし、ひととおりのことはきちっとやってくれますし。お弁当を休まず作ってくれたり、身の回りのこと、お洗濯やアイロン、制服のケアもやってくれましたし。

 あと、学資保険や貯蓄とかも、きちんと計画的にやるんですよね。大学にきちんと行けるようにとか、仕送りもそうですし、そういった部分で苦労したことがまったくないので、そこに関しては、すごくありがたいし、尊敬すら感じているんですけど。
 でも、さっきおっしゃったような「お母さーん」みたいなことは、ないですね(笑)。

──逆に、お母様から橘さんに対して、親の義務を果たすのとは別に、理屈抜きの愛情を示すというか、ベタベタするような感じはありますか?

橘さん ないですね。ないですねー。ないですないです。そういうのは、ないですねえ。
 
 私自身はけっこう人にベタベタするというか、親友の息子とかでも、我が子みたいな感じでベタベタするんですけど、自分の育った環境においては、そういった経験がない、ですね。ないですないです。

──お祖母ばあ様とは?

橘さん おばあちゃんも……ま、膝の上に座るとか、そういうのはしてましたけどね。でもまあ、そんなベタベタ、とかはないですね。一緒に何かする、編み物をしてるそばで毛糸をほぐすみたいな、同じ空間でおしゃべりや何かするとかはあるけど、そういう身体的なコミュニケーションは、今振り返ると特段ないですね。

 手も、つながない。(笑)

──お母様とも、お祖母様ともですか?

橘さん えーと……幼稚園まで歩いて行ってたので、その時はつないでましたけど。母とは、外出する時は危ないからということで小さい時は手をつないでましたけど、そんなもんでしたかね。

──橘さんご自身は、お友達の息子さんとか、恋人とかにスキンシップをするのは、自然に?

橘さん あ、はい、自然に。自然にはするけど、以前、彼氏に、スキンシップが習慣づかずに大人になった人の感じがするとは言われました。何かちょっとヘタクソだったのかわかんないですが、くっつきたいというのは欲求として感じるし行動にもなってるんだけど、最近人間になったばかりでまだ人間の世界に慣れてないみたいな感じとか(笑)、突然飼い始めた野生のクマとだんだん仲良くなっていく過程みたいな、そういうぎこちない何かを感じるって言われました(笑)。

自分で決めたのか?/暗黒の高校時代

──成長につれ、進路など考えるタイミングがありますが、自分の道は自分で決めていく感じでしたか?

橘さん そう、ですね……自分の道は自分で……決めてきましたね……

 でも、母がけっこうヒステリーだったりして、進学とかに関して、相談に乗ってくれるっていうよりかは(母の要望や意見を)わーって言ってきて、私がパニックになって精神的に追い詰められて、ああどうしようどうしようって考えが迷っちゃうような状態を作ってくるというか。なんか、顔色見ちゃうところがずーっとあって。

 そういう意味では、純粋に自分の進路をしっかり考えたっていうよりは、母の顔色を見て動いた部分、もしくはそれで結局迷っちゃったり、訳わかんなくなって思考停止しちゃって、みたいな感じがありました。

 これこれこういうことをちゃんと考えてるの?みたいなことを言ってくれるのは別にいいんですけど、一緒に考えようかとかじゃなくて、責められてるっていう感じの印象がすごく強かった。大学選びとかも、助けになってもらったって感じでもなければ、自分の考えを貫いたわけでもない感じでしたね。自分自身もまだ強くなかったところがあったので。

 母の、私に対しての「こうあってほしい」「この大学に行ってほしい」とか、「何歳ぐらいで結婚してほしい」「こんな人と結婚してほしい」「こんな子供を産んでほしい」っていう要求は、常に自分目線なんですね。「こんな娘がいる自分」「こんな孫がいる自分」みたいな視点をすごく感じていて。

 結婚がらみで言うと、母が通うカルチャースクールで他の人たちはみんな孫の話をしている、でも私は孫を持ってないから、私も孫がほしいみたいな。

 微妙なニュアンスではあるんですけど、「アイテムをほしがってる感」を少なからず感じちゃう。そうやって自分起点で語られることが多いので、私はそれに違和感をずっと持っていました。

──小学校、中学校までは地元の学校ですか?

橘さん そうですね、小・中は地元の学区の公立校に行って、高校で県のいわゆる進学校と呼ばれてるところに行きました。それは、父方のほうの家が、けっこう高学歴な人が多くて、漠然と私もそういう方向性で行くのが普通だみたいな感覚があったので、まあ、そういう感じで高校に進学して。

──お勉強は昔からできたんですか?

橘さん まあ、できる!ってほどではないですけど、どっちかっていうとできましたね。

 今となっては普通でしかない(笑)んですけど、田舎の小学校の中だけで言うと、まあできるほうだったので、勉強ができるほうの人間でいたいっていうプライドみたいなものは漠然と持ってましたね。

──進学校に行って、あとは偏差値高めの大学に行こうと?

橘さん その高校自体が、進路希望の用紙に国公立と早慶レベルしか書いちゃ駄目みたいな謎の思考回路を持った高校で(笑)、それ以外の大学名を書くというのは人生を諦めてる奴のする行為だ、最初から低いとこ見てどうするんだ!みたいな感じの、ちょっとイカれた高校でした(笑)。

 なんせ学校がそういう価値観なもので、高校時代、本当に暗黒で。各中学の、まあまあの子が集まってきているわけですから、そこに入っちゃった自分は、その母集団においてはずっと成績が下のほうなんですよね。その高校では、勉強ができないイコール人権がないので、日々暗黒の高校生活、みたいな感じでした。

一人暮らしで得た「自分」

橘さん (大学は)とにかく都会のほうに出たかったので、それはまあ無事出ることに成功しました。

 一人暮らしを始めてから、なんていうか、自分というものを、完全に自分の状態で、何のかせ・・もなく、「ああ、これがフラットな私なんだ」というのを初めて体感しました。

 体調も、すごくよくなって。(笑)実家にいる時は、私、ずっと週一ペースで下痢してたんですよ。でもそれが普通みたいになっちゃってたから、何も思ってなかったんですけど、一人暮らしするようになってから、まず下痢をしなくなった。
 実家にいる時は、胃も痛かったりむかむかしたりして、胃薬もすごい飲んでたんですけど、それもなくなったし。

 とにかく、精神的にも「ああ、これが私だ」「フラットな世界で生きるとは、これだ!!」みたいな感じで、そこからめっちゃくちゃ楽しかったですね。

 一人暮らしでやっぱり自由を得ましたね。寂しいと思うことも本当になかったんですよね(笑)。

──すべて自分で決められる喜び?

橘さん はい。誰の顔色も見なくていいじゃないですか。

 田舎にいる時って、ご近所さんの目もすごくありました。向かいの家のおばさんとかに「昨日の夜何時まで〇〇ちゃんのお部屋の電気が点いてたけど何してたの?勉強してたの?」とかって言われるんですよ。いや、漫画読んでたな、って内心思っても、一応頭のいい高校に行ってるから、近所の人もそういうふうに思ってるし、「あ、はい、勉強してました」みたいなこと言うんですよね。

 で、私、けっこう人見知りだったし、挨拶とかも本当はしたくなかったんですよ。その時はこんにちはーって言うことがすごいストレスで(笑)。それも、何でそう思ったかっていうと、祖母から「こんにちはって言いなさい!」とか「ありがとうって言いなさい!」みたいなことを、幼少期からしつけの一環で言われて、人から命令されてやることが私は嫌いだったんで、もう挨拶なんかしたくないっていう変な感情が湧いてしまって(笑)。

 でも、ずっと学級委員とか、生徒会とかもやってたし、ちゃんと外向きにしないといけないってことも理屈上理解して振る舞えるほうではあったので、ご近所様にも、スッとした、感じのいい笑顔で、感じのいい挨拶をして、感じのいい振る舞いをして、爽やかに見せる、みたいなことをずーーーっとやってて。

 さらには「電気が何時まで点いていた」とか、「どういう大学に行くの?やっぱり国公立よね」とか言われることも、そのすべてが、もう、もう嫌だったんですよ。もう、ストレス。

 だから誰も知り合いがいないし、誰も私のイメージを持ってない、何の期待もしない、何の決めつけもしない、完全なフリーダムの状況からスタートできるっていう状態がすごく良かったんだと思います。ノーストレスですね。

──楽しみました?

橘さん いやー、楽しみましたね。それはそれは。

──弾けちゃって、生活が怠惰になるとかはなく?

橘さん 怠惰……怠惰だったかもしれないですね。クラブに行ってたんですよね。アルバイトは塾の講師だったので、夕方から22時まで働いて、家に一回帰って、着替えて、お化粧をしなおして、終電ぐらいでクラブに遊びに行くんですよ。始発で帰ってきて、寝ずに大学の授業行くみたいな生活をしてました。

──若い!

橘さん (笑) そうなるともはや授業を受けてるんだか寝てるんだかっていう状態になっちゃうじゃないですか。授業を何限か受けて、家でちょっと仮眠とってからバイト行ったりとか。バイトがなければずっと寝てるとかもあるし、まあそんなこともしてましたけど。

 でも、大学で学生新聞のサークルをやってたので、その活動をがんばっていたりもしたので、怠惰っちゃ怠惰なんですけど、そんなひどくもないというか、いろんなことを全部楽しんでる系だったとは思います。

──大学を出て、今の会社に就職?

橘さん そうですね。就職活動はあんまりがんばれてなくて。本当に遊んでたし、今振り返ったら努力も全然できてなくて、なので第一志望の業界はことごとく駄目でした。

 それは努力不足でしかないって自分でもわかってるし、就活としては失敗です。でも、希望業界ではないけれど内定をいただけた企業も何社かあったので、最後は疲れちゃって嫌になって、もうここでいいや、みたいな感じで決めちゃったって感じです。

正義感/純白と漆黒が同居する

──ご自分では、どういう性格だと思われますか?

橘さん 真面目だとは思います。あのー、基本的には(笑)。もちろん緩いところはあるんですけど、何らかの正義感があるというか。私、なんか、月一くらいで偶然人助けをしていて。

 昨日も、人助けとは違うかもしれないんですけど、仕事が終わって街を歩いていたら植え込みに人が倒れていたので、通報しました。明るい時間帯で、けっこう人垣ができていて。倒れていたのは50〜60代の男性だったんですね。私はそれを見た瞬間に、酔っ払いとかの可能性もゼロではないけれど、病気かもしれないし、怪我してるのかもしれないし、トラブルに巻き込まれてるのかもしれないし、もしかしたら薬物中毒とか、異常をきたした状態なのかもしれないし、とにかく見た目だけでは判断がつかないな、すごく心配だなってまず思ったんですよね。

 でも野次馬の皆様は、こんな時間からお酒を飲んで気持ちよく酔っ払ってるんでしょとか、こんなとこで寝てウケるーとか、中には写メ撮ろうとしてる人もいたりして。私は倒れてる人よりも見てるその人たちのほうがよっぽどやばいというか、怖いなと思っちゃって。

 5分ぐらいずっと見てたんですけど、みんなそ知らぬ顔で通り過ぎて行って、周りにいた人たちもどんどんいなくなっていって、男性は放置されていて。たぶんこのまま誰も何もしないんだろうなって感じがしたし、倒れてらっしゃる方もぴくりとも動かなくって、生きてるのかどうかすら判断がつかないようなご様子だったので、通報したんですよ。

 119番か110番か迷ったけど一旦110番に通報して。おまわりさんが来るまでも、倒れてる人を見ててほしいって言われたので見ていたし、おまわりさんが来てくださってからも住所や電話番号や状況もヒアリングされて、ちょっと時間を取られたので、めんどくさいっちゃめんどくさいからそういうのが嫌な方も多いと思うんですけど、私としてはそのままほっといて行くなんてありえないっていうか。気になっちゃうし、もし死んだりしたらやだし、後悔したくないし、というので通報して、やっぱり通報してよかったって思って、まあ、終わったんですけど。

 そういうようなことがしょっちゅうあるというか(笑)。街で喧嘩してる人がいて、人はヒソヒソ見てるだけで何もしないし、これやばそうだなーって時に自分は通報するとか、駅で具合いの悪そうな人を発見したら駅員さん呼んだり助けたり、あと、外国の人にしょっちゅう道を聞かれます(笑)。あと、スーパーとかで迷子を受付に知らせるとか。
 小さい子供が外で走っちゃって、お母さんが追いつけないくらい距離が空いちゃって、子供が赤信号なのにバーッて行こうとした時に私が身を挺して止めたり。ちょっと車に轢かれそうになりながら(笑)。その時もお母さんから「ありがとうございます!」ってすごく言われました。

 自分の日常生活にそういうことが1ヶ月か2ヶ月に1回ぐらいあるんですよ。
 友達に話したら、そういうことってなかなかできないよね、あとそういうことに遭遇する回数が多すぎるって言われたんですよ(笑)。あ、そっかって思って。

 だからたぶん私は、まあ真面目で、正義感が多少あるんだと思います。

 あとは、ちょっと、ぶっとんだ、ではないけれども、祖母の持っていた明るさ、天真爛漫さみたいなものもある。

 親戚の方に言わせると、父の持っていた要素もけっこうあるらしくて。亡くなった父は、冗談めかしての話なんですけど、親戚のおじさんから「インテリヤクザ」っていうニックネームをつけられていて(笑)。父の兄ですね、伯父から私もインテリヤクザだ、ってよく冗談で言われるんです。

 でも私、職場で仲のいい同僚にもそういうふうに言われたことがあるんです。なんですかね、「白と黒が同居してる人間」だと、上司にもよく言われました。親友にも言われます。

 純白と漆黒が両方存在していて、グレーみたいなものはない。純粋だったり、純白と呼べるような正義感や真面目さがある時もあれば、打って変わって急にブラックなことを言い始めたり、時にヤクザ的な思考回路みたいなものが時々見えたりするっていうのは、同期にも言われました。

──ヤクザ的というのは、どういう?

橘さん 目的のためなら手段を選ばないであるとか、例えばもうこの人はないなとか、本当に嫌いとか、そういうふうに自分の中で見切りをつけた人に対しては、その人がどうなっても構わないっていうことを平気で口にしたり、そういう思考を持って接したりするところがあって。

 でも声を荒らげて何かをするわけではないんですよね。慇懃無礼な感じで、すっごく上品に、すっごくきれいな言葉を使って、相手を根本から否定して打ちのめすみたいなことが得意だと、周囲の人から言われました(笑)。否定しているつもりは自分ではあんまりなかったんですけど(笑)。

──自分ではそう思わない?

橘さん 私も慇懃無礼さは自覚としてありますし、きれいな言葉を使って笑顔で相手を打ちのめす時は、何かスイッチが入ってる自分も感じますね。
 正直者であるとも周囲の人から言われていて、正直者である自覚もあります。

──他人から見た橘さん像はどうだと思うかお聞きしようと思ったんですが、では「白い部分と黒い部分が同居している人」という感じですね。

橘さん そうですね。でも、白いほうしか見ていない人も職場だとけっこう多いので、そういう人からすると、ものすごくハートウォーミングな、あったかい、道徳的な人物、肯定的な言葉しか使わない、そういったちょっと、人格者のような、そういう評判もすごくあるんですよね。職場だとそこまでいろんな側面を見せるわけじゃないので、よっぽど仲がいい人しか、漆黒面は知らないんです(笑)。

 例えば同僚にこの前言われたのが、「橘さんって本当はこんな人なんだよー」って、仮に、その同僚が誰かに言ったとししましょう、と。普通であれば、えーそうなんだ、意外とあの人こうなんだねとかってなるけれども、「え、何言ってんの?橘さんがそんな人なはずないじゃない、あなたひどいわね。何を思ってそう言ってるの?」って相手が言い返してきて、むしろこう言ったこっちが否定されちゃうだろうと。橘さんは、純白しか知らない人には純白を信じきらせるような絶対的な見せ方をしているところがある。そこまで思わせるのがすごいよねって。仮に橘さんの悪口を言ったり、本当はこんな素があるんだよって言ったら、私の方が損しちゃうわみたいなことを言われて、それは確かにそうだろうなって自分でも思いました(笑)。

──白い部分っていうのは演じてるわけじゃなくて、それも素?

橘さん それも、素なんですよ。

──じゃあ、別に、装ってるストレスはないんですね。

橘さん ない、ですね。ただ、白と黒両方持てなくなった時が一番ストレスを感じていますね。白を出す環境も黒を出せる環境もある、それが同時になんらかの形で存在しているのが一番バランスがよくって。オールホワイト、ないしはオールブラックというのはあり得ないですけど、オールホワイト寄りに、99パーぐらいの比率でなった時は、ちょっとストレスを感じてましたね。

 先輩とよくよく話した時に言われたのは、(私という人間は)当初抱いていたイメージよりも、定性的よりは定量的に物事を見ようとしていたり、プロセスよりも成果を重視していたり、むしろすごくドライに論理的に物事を考えている人間なんだなあっていうのを、出会って10年ぐらいでやっと気付いたということでした。たぶん、パブリックイメージではそういうところがある人だと思われてないかもねと。

 ゆえに、求めるものと、提供されるもののバランスがずれてる時があって。本当は私は、数字的な評価とか、給与での報酬とか、根拠のあるほめ言葉がほしいし、評価を伴う実績で自分を測ってほしい。
 こういう結果を出してほしいからこれを達成してください、わかりました、っていう感じに目標を設定してもらうほうが自分は気持ちよく進めるんだけども、そういうふうにまったく思われていないので、なんかよくわからない、根拠のないような耳障りのいいほめ言葉を言われて、お給料とかにもそんなにこだわってないよねと思われてしまったりする。そういうギャップはストレスがあるかもしれませんね。

癒されたい

──橘さんはご自分のこと、好きですか?性格とか、気に入ってますか?

橘さん 根本的なところではたぶん嫌いではないですけど、今の自分は好きですか?って言われたら、全然好きではないですね。

──今の状態ということですか?

橘さん もう……状態も、性格とかも、すべて。

──すべてですか。正義感があって、人助けができるようなところも?

橘さん あ、それは好きですけど、総合的に考えた時に、今は何も自分らしさみたいなものを発揮していないし磨く場がなくて、思考とかも混沌としてるところがすごくあるので、今は全然、好きではないですね。

──発揮できる場がないというのは、仕事において?

橘さん 公私共にっていう感じですね。

──好きな時期もあったっていうことですよね。

橘さん はい、ありました。

──今は何か変えていこうかなって、考えてるような感じですか?

橘さん どちらかというと変えていこうかなみたいなことを考えていて、そうですね、環境を変えるとかっていう意味では、転職をするとか、転職できたら家を引っ越そうとか。

 プライベートな部分での人間味を取り戻すというか、人間活動的な部分を取り戻す意味で、刺激だったり、自分に対して一定時間だけでも集中して誰かと関わるみたいなことをしたいなーと思っています。

 異性との関わりとかも含めて、なんらか刺激になることはないかなと思っていたら、テレビでたまたま見つけた、今流行りの、女風(※女性向け風俗)に興味を持ったりとかしている、今日この頃ですね。

──それは、1対1で会ってデートするみたいなやつでしたっけ?

橘さん そうですね。もうすでに予約する日も決め、指名する人も決め、その人とTwitterのDMでやりとりもしていて、みたいな感じです(笑)。

──ほおー…刺激を受けて何か変化が起こるかなというのを期待して?

橘さん そうですね、あと癒しがほしい。仕事がとにかく、この1年ぐらいけっこういろいろあって、割愛しますけど(笑)、トラウマになるようなくらいのこともあり、うまくいってないんですね。

 だから、癒しや活力をもらって、フラットな自分を取り戻したい、って感じですかね。

おすすめ 出来事を書き留める/賢い友人

──最後に、今まで生きてきて、橘さんがつかんだコツみたいなものってありますか?こういうことするとちょっと楽だ、とか、私はこうしてきていいことあったよ、みたいなことがあれば。

橘さん 今、生きてきて一番自信がない時なんで、人様に言えるようなことは何もないんですけど……

 あ、でも、「言葉にしてアウトプットすること」は非常に大事だなあって、ここ最近実感しています。

 日常生活の中で、嫌なことって、嫌ってはっきり思わないまでも、ちょっともやもやするとか、なんかちょっと嫌だったかも私、みたいなことってたくさんあると思うんですよ。そういうのって知らぬ間に蓄積されてくこともあって、蓄積されちゃうと、何がどうなってストレスを感じたのかはよく覚えてないけど、嫌な気持ちは残ってるみたいな感じになったりする。もう処理の方法はどこにもないけど廃棄物だけ残ってる、みたいな感じになってることってあるんですけど、私、最近は、それを全部書き留めてるんですよ。

 ノートに書いてもいいし、Googleとかのメモに打ち込んでもいいと思うんですけど、日付、出来事、関わった登場人物の言動、自分の感情を書き留めて、そこに解釈を入れないようにしてるんです。こういう出来事、こう言われたっていうセリフもそうだし、相手がした行動もそうだし、自分がこういう感情になったっていうのもそのまま書く。時間が経てば経つほど、人間って解釈が入っていっちゃうと思うんですよ。記憶違いとかもあるし。なので、事実だけをそこに書く。

 で、1週間ぐらい時間を置いて、また見返してみると、意外と、そんなに悪い出来事じゃなかったりするケースがあるっていうか(笑)。嫌なことだとしても、そんなに悪意がないことに見えてくるとかですね。

 相手の人がどういうつもりでその行動をとったのかなんて、実際問題わかんないし、無意識に「きっとこうに違いない!キーッ!」と断定しちゃうことってあると思うんですけど、時間を置いて事実だけを見ていくと、要するにこういうことをしたかっただけじゃないかとか、結局これだけのことじゃん、みたいなことも多い。
 そういう、思ってたよりもストレスを感じなくてよかったじゃん、みたいなこともあれば、冷静に見てもなお、明らかによくないだろう、私怒っていいじゃん、みたいな話とか、これはもう解決できない話じゃんとかもあって、冷静にジャッジができる。

 そして、それに対して解決策を考えるとか、防衛策を立てるとか、何か反論するならばするで、何をどう反論するかを冷静に考えることも、けっこうできたりする。

 極端な場合、これはもう無理なやつだから会社辞めよう、転職しようという判断になるかも知れないんですけど(笑)。

 そういうことをするのはすごくおすすめかな。

 あと、頭のいい友人を持つこと。(笑)

──ふーん、なるほど。

橘さん 私、基本的に愚痴はあんまり言わないんです。愚痴って、嫌なことを自ら反復してリマインドする行為だと私は思ってるんですよね。それによって嫌な感情が定着する、増幅されるっていうのがあるから、あんまり愚痴を言うメリットを自分で感じないし、言わないんです。

 ただ、後輩ですごい賢い子がいて。聞き上手ですし、客観的に話を整理する、フィードバックをする力が高い、言語化力が高い子がいるんですね。その子に、ここ最近こんなことがあったんだよねって話すと、それを体系的に整理してくれて(笑)「つまりあなたはこれとこれが原因となってこんな状態になっていますね」と。その子には、思い余ったら、そういうことを話すと、さっき言った、ノートに書き留めるよりももっと俯瞰で見た、もっと整理された、もっと言語化が極められたようなことができたりするので(笑)。
 
 ただ、相手を間違えると、あーでもないこーでもないっていうただの井戸端会議で終わっちゃうから、そうなる相手は私は絶対選ばないようにしてるんですけど。

 そんなとこですかね(笑)。

──ありがとうございます。

(終わり)

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