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「伝えきれなかったありがとう─コロナ下の卒業式」公募インタビュー#17

〈望さん(仮名) 2020年8月初旬〉

望さんは、コロナのせいで突然終わってしまった中学校生活のことをインタビューしてほしい、と応募してくださいました。

2020年2月27日木曜日、政府は新型コロナウイルス感染拡大予防のため、全国の小・中・高校などに対し臨時休校の要請を出した。
望さんは当時、卒業式を約2週間後に控えた中学3年生。どうなるのかと戸惑っていると、学校から“ひとまず翌日は登校”との連絡が入る。
望さんの通う中学校は、翌2月28日に卒業式の予行練習を行ったのち、全国の学校と同様休校期間に入った。
約2週間の休校後、卒業式は当初の日程どおり3月の第二週に、しかし出席者を限定し短縮された形で行われた。

淡々と終わった卒業式

望さん 休校の要請が出た時は、みんな、「どうして」みたいな。夜だったんで、LINE上で(学校の友人同士で)「え、どうするの?」「明日の学校はどうなるの?」とか、「そのまま高校生活になっちゃうのかな」とか、その時休校は期限まで決まっていなくて一応3月いっぱいみたいな感じだったんで、「え、じゃあ卒業式は?」みたいな、みんなすごいあせってて。

 で、まあ一応次の日学校に行けることになって、学校で先生からこうなりましたっていう説明(=卒業式まで休校、その間に行われるはずだったことはすべて中止)を聞いた時には泣いてる子もいて。
 卒業まであと何日、ってカウントダウンしてたのが次来たらゼロになってるっていうのが悲しいのと、最後の思い出づくりが全部なくなっちゃって、先生もうるうるしてて。

望さん 卒業式は、保護者も在校生もPTAの方々も出席なし。本当は在校生から歌や言葉を贈ってもらったりとか、保護者との写真を撮ってもらったり、っていろいろ予定が組まれてたんですけど、ほぼカットで。

 始めの言葉があって、祝辞は校長先生から言われて、学級委員が代表で卒業証書を受けとって、2曲だけ歌ってさようならという感じで。歌はまだその時禁止されてなかったんで一応歌えたんですけど、先生がただ座って聞いて涙流してるみたいな。

 全員マスクをして、広かったんで体育館でやったんですけど、人が少なくてカラカラで、距離をすごく開けて、窓も全開で換気しながら。特殊だし、みんな泣きながら、でも「これで最後なんだ」みたいな実感もわかず、2時間だけでバッて終わっちゃって、すごい淡々とした感じの式でした。
 一人一人卒業証書も受けとれず、ただ受けとってるのを見て拍手して終わっちゃったなー、みたいな。

 私、学校が大好きだったんで、先生方とか友達にちゃんとした感謝を伝えられないまま卒業しちゃったっていうのが悲しかったです。卒業式の日は担任以外の先生とはほぼほぼ会えずさよならも言えずという感じでした。

 式のあとは列になって帰って、門が2つ離れた位置にあるんですが、(コロナ対策で)1クラスはこっち、もう1クラスはこっち、という帰り方だったので、以前担任だった先生が反対側の門の方にいたら、そっちにはありがとうございましたとかも何も言えず別れてしまいました。

 みんなこのあとも学校があるんじゃないかみたいな淡い期待を抱きながらだったんで、実感が出てきたのは卒業式が終わって(帰り道を)友達と歩いている時でしたね。「ああ、終わった」って。歩きながら泣いて。

 一斉休校の要請が出された次の日に予行練習やって、休校になって、友達に久しぶりに会った日に短い卒業式をして。それ以外は会えないみたいな状況で最後になりました

休校期間になくなったもの

──休校前から学校は授業時間が変更になったりしていたんですか?

望さん 一応、授業は5分ずつ短くなったりとか、マスクしないと絶対だめで、寒い中窓全開にして、部活とかもできるだけ短めにとか。いろいろ対策がとられていたけど、やっぱ休校になっちゃったなーという感じでしたね。

──休校になってから、友達と連絡をとり合ったりしましたか?

望さん まだ決定が出ていなかった時、普段から連絡をとり合っているような人とは「卒業式どうなるんだろう」「やりたいね」」「でもだめだよね」みたいな会話をテレビ電話でしゃべっていました。でも、急すぎて、LINEとかやってない人とはもう本当にしゃべらずじまい

 学年の人数が多いので、3年間で関われなくて話したことのない友達もいたんですけど、本当は卒業式前に学年でスポーツ大会とか百人一首大会とか、バラバラのチームで戦って(今まで関わらなかった人とも)関わりができる機会があったのに、それもできなくなっちゃったのが残念だったなあって。

──卒業式までにやるはずだったことができなかったんですね。

望さん 戦争を経験した方からお話を聞く会っていう、これから役に立ちそうな行事もあったのにできなかったのも残念だったし、(学校行事として学年全員で行く)卒業旅行でディズニーランドに行く予定だったんですけど、それもコロナで旅行自体がなくなっちゃって。

 2月の後半から卒業式まではほぼ勉強がなく、まあ遊びって言っちゃだめなんですけど、いろいろ視点を変えた学び(があるはず)で、みんな楽しみにしてたのが(なくなってしまった)。

今は集まれないけど

望さん 休校中に話していた中で、卒業したらどこか一緒にご飯食べに行きたいねいう声もあったんですけど、卒業式の日ににまずビデオメッセージでいろんな先生から言葉をもらえた時に、「コロナにかかってしまって、みんながこれから一生会えなくなることがもしかしたらあるかもしれないから、今集まることだけはやめよう」って言われちゃって。
 それでみんな「これからなかなか会えないかもしれないけど、どこかにいるっていうのはわかるし、いつか同窓会で会えるから、大丈夫だよね」みたいな感じで、全員で集まるのはやめたんですよ。短くなった卒業式のあと集まりたいっていう気持ちもあったんですけど、我慢して、やっぱ、バイバイ、みたいな。

 だから、特に仲の良かった2〜3人で集まるっていうのはあったとしても、クラス全員でどこかで外食したりとか、そういうのはないまま終わりました。

 卒業式まで休校だったんで、そのうちに生活リズムが乱れちゃったりもするわけなんですよ。それで、たぶん寝坊で卒業式を休んじゃった子がいて(笑)、

──え!

望さん あれ、いないね!みたいな感じで終わっちゃった人もいて。そう言えばあの子合唱コンクールの時も寝坊してたよね、みたいな話にもなったけど、思い出をゆっくり語る間もないまま

──いつかコロナがまったく問題なくなったら、集まりたい?

望さん それはありますね。うちの学年、スポーツ推薦で地方の高校に行った子とか、外国に留学してる子とかけっこういるんで、本当にそうやってみんなで集まれるかはわかんないけど、コロナが収まったらみんなで集まりたいね、最低でも成人式の日には集まろうっていう話はしてます。でも、ワクチンもできないみたいな話になってきちゃったんで(※インタビュー当時の一説)、ああ、本当に集まれるのかなあ?みたいな。(一斉休校のような事態が)あの時なかったらなあ、もうちょいあとの4月とかだったらよかったのになあって悲しくなります。

心残りを夢に見る

──卒業して5ヶ月くらい経っていかがですか。

望さん 夢に学校の先生が出てくるとああやっぱ会いたくなるなーとか。3年間お世話になった専科の先生とか、初めての担任の先生とか、3年生でついてくれた新任の先生とか、辞めちゃった先生もいるので、感謝の言葉が言えなかったなーというのが夢に出てきたり、卒業アルバムを見返すとなんかすごい悲しくなったりしますね。

 私の妹が今年同じ中学に入ったんですよ。妹から学校の話を聞いても、ああもうこの先生いないんだなとか、ああ卒業式もっとちゃんとやりたかったなとか、時々なんか切なくなります。

──生徒同士なら会える人もいるだろうけど、先生はなかなか会えないか……

望さん そうなんです。お年を召した先生もいらっしゃるから、先生がもしコロナにかかっちゃって本当に一生会えなくなっちゃったりしたら、あの時会いたかったなあってなるだろうなと思いつつも、ああ会えるかなーみたいな、いろいろごちゃまぜになったりします、時々思い出すと

合唱コンクールの思い出

──中学校が大好きだったということで、3年間でどういうことが思い出に残っている?

望さん 秋に合唱コンクールっていう校内の行事があって、それが一番楽しかったですね。

 クラス対抗で、1、2年の時は優勝とか全然とれなかったんですけど、3年の時は毎日のように朝練してがんばって、で優勝した。それがやっぱ、クラスの絆が深まったりしてすごいよかったんで。でもそれが休校でバアッて流されたみたいで、むなしくなりました。

 この合唱コンクールは、市の大きなホールを借りてやるんですよ。毎年、次も借りられるように絶対悪さをしないでがんばろう、みたいな。毎年3年生は特にがんばってるイメージで、やっぱりすごい練習しましたね。全クラス、毎日のようにみんな朝練して全力をかけてやってて。一人一人がみんなそれに思いをかけてたので。
 私は部活が合唱部なので、曲を決める係とパートリーダーをやりました。
 
──クラスの中でそれぞれ歌が好きな人そうでもない人っていると思うんですけど、クラスがまとまるのは大変ではなかった?

望さん 特に男子が朝練がめんどくさかったりで休んじゃう時もあったんですけど、担任がすごい熱血な先生だったんで毎回怒られつつ、「がんばって優勝しよう!」と。
 体育祭は準優勝だったんですよ。だからそれをバネにがんばろう!って担任の先生が励ましてくれたり、音楽の先生がすごくやさしくてほめて伸ばしてくれるタイプだったんで、それでみんなやる気出て、このままがんばっていこう!みたいな感じで。最初は出てこなかった男子も、本番が近づくにつれ全員集まってすごいがんばってくれたんで。先生方にも助けられたのがありましたね。

──練習は朝と放課後?

望さん 音楽の授業が主だったんですけど、あとは時々学活の時間を使ったり、集まれる人だけ昼休み・放課後も。できるだけ集まろう、みたいな感じでやってました。

──3年生だと受験勉強もありますよね。

望さん 最後の定期テストの日も一応朝練が入ってたんですけど、さすがに受験に影響しちゃうからということで、朝練の時間に行くけど参考音源を流しつつ勉強するみたいな形でその日もがんばろう!ということにしたら全員来て、勉強しながら、歌いたい人は歌って、みたいな感じでやってました。

 (高校受験については)推薦の人もいれば一般受験の人もいてみんなバラバラで。うちのクラスは推薦が多かったんですけど、それでもみんな最後まで諦めず勉強したりがんばって歌ったり、みたいな感じでしたね。

──推薦組と一般受験組とで、気持ちの差は出ないものですか?

望さん それも担任がそういうのは絶対なしにしよう、って。(受験に際しては)推薦組も一般組もクラス全員が合格って目標に向かってがんばろう、ってタイプの人で、だから合唱コンクール前に休むのも絶対禁止、みたいな感じだったんで、差は生まれずにみんな楽しくできましたね。

合唱部で副部長/一番一緒にいた友達

──部活のことも聞いていいですか?

望さん はい。私は合唱部に入っててですね。副部長をやってたんですよ。毎年、夏にあるNHKの合唱コンクールに向けてがんばってました。

──副部長というのはどうやって決まったんですか?

望さん NHKの合唱コンクールが終わった後に、引退する3年生も含め全員にアンケート用紙が配られて、部長・副部長・学年代表、それぞれやってもらいたい人の名前と理由を書いて顧問の先生に提出して、それを参考にしつつ先生がこの人には任せられるみたいなのを決めたらしいです。

──望さんは副部長をやってくださいって先生に言われたってことですね。

望さん そうですね。朝、「昼休みに職員室に来てください」みたいな紙を担任経由で渡されて、何のことか書かれてなかったんで「呼び出しくらっちゃった!!」みたいな(笑)。何か怒られるのかな、って怖かったんですけど、「副部長にならない?」って言われて、「あ、じゃあ、がんばりまーす」って。そういう感じの決まり方でした。

──言われた時はうれしかったですか?

望さん んー、そうね、うれしかったですね。中1の時から、NHKのコンクールで予選を突破するか、部長か副部長になってみんなを引っ張っていきたいっていう目標があったんで、それが1つ叶ったっていう感じはありました。でもすごく大変でしたが。

──何が大変でしたか?

望さん 下の学年で無視とか陰湿ないじめみたいなことがあって。部活に来ない人がいたんで、どうしたの?みたいなところから。そういうことに対処するのを部長・副部長でやってましたね。

──むっちゃくちゃ難しそうですね、それ。

望さん そうなんですよ!顧問の先生が部活に全然来ない人だったんで、何で来ないんだろう!って部長・副部長で言いながら。やっぱり3年生全員で対応すると威圧的じゃないですか。だからできるだけ少人数でいろんな人から話を聞いてがんばりましたね。

──最終的に解決できたんですか?

望さん 一応解決という形にはなりました。まあ、そのあとは(当事者たちが)けっこう仲良くなってたんで、大丈夫だったんだろうなと思います。

──すごい。一人ずつ言い分を聞いて、という感じですか?

望さん そうです。「何で?」「どしたの?」みたいな風に言って、いじめをしてた…いじめって言っちゃだめなんですけど、まあ(いじめに当たるようなことを)言ってた子も、「(元々は)その子が私の悪口を言ってて」みたいな。そういう、聞いてても知らなかったこともあったんで、また相手の子にも「悪口言ってたっていうのは本当なの?」みたいに聞いて、「違います」って言ったら「じゃあそれは噂が変な風に流れちゃったんだね」みたいな感じで言って、いろいろ話させてました。

──で、最後は当人同士で?

望さん 話させました。二人にすると話せなさそうなんで、そこにやっぱ、部長一人だけつっこんで、ひっそり話を聞く、みたいな感じで。そこは部長に主体となってやってもらいましたね。

──部長さんとはいいコンビを組めましたか?

望さん そうですね、なんかその子も、部長でしっかりしてるんですけど、ちょっと天然というか抜けてるところがあって、そこをちょっとずつカバーしつつ、みたいな。でも私は副部長として先生から与えられた役割をやって、部長のサポートは一応3年生全員でがんばろう、みたいな感じだったんで。副部長らしいことは特に何もしなかったですが、周りのみんなのサポートがあったので、心強くできましたね。

 部長と副部長は先生と生徒をつなぐ連絡係で、どちらかと言うと部長は生徒と密にやってて、副部長は先生と密にやるみたいな、そんな感じで役割分担はありました。職員室に部室の鍵を取りに行くので先生と仲良くなれて、会う度に「あ、望さんだー」みたいに声をかけられておしゃべりできて、けっこう楽しかったです。

──部長と副部長で二人で方針を決めるとかもある?

望さん ああ、ありますね。一応みんなで決めようっていう体になってるんですけど、最後の決定権は部長・副部長に来ちゃうんで、いろんな意見があるからどれをどうとり入れようとか。トレーニングメニューをNHKのコンクールが終わった後に話し合うんですけど、その時に「空気椅子はやったほうがいいんじゃないか」「いややらなくていい」みたいな、そういうちっちゃい話し合いも多くて、それも最後に決定するのは部長・副部長なんで、いろいろ考えて、大変、みたいな。

──副部長をやって、部のみんなはついてきてくれましたか?

望さん 卒業式が終わった後に、後輩からLINEで「先輩が副部長でよかったです」みたいなこと言ってもらえたんで、「あ、よかったな」みたいなのもあって、ついてきてくれたのかなとは思ってます。

──部長とは最初から仲が良かった?

望さん んーと、最初はそこまですごく仲がいいわけでもなく、普通ぐらいだったんですけど、(役に就くことが)発表されてからけっこう遊びに行ったりして、すごい仲良くなりました。

 面白い話をしたり、すごいどうでもいいことでも盛り上がれたり、重要なことも相談できるようになったり、そんな関係にはなりましたね。



──学年の中でも部活の仲間というのは、特別仲が良くなる感じですか?

望さん 3年生の時って、だいたいグループ分けって決まってくるじゃないですか。すごく仲いい人、みたいなまとまりで昼休みとかを過ごすんですけど、昼休みはだいたいその部活のメンバーで一緒にいました。全員クラスが違ったんで、職員室前にある新聞コーナーで新聞読みながらしゃべるみたいなのをやってましたね(笑)。

──新聞を読みながら、というのは勉強も兼ねてるんですか?

望さん いやー、なんか、最初は全然読んでなかったんですよ。でも、さすがに毎日しゃべってるとそのうち話題がなくなってくるんですよ(笑)。で、「あ、新聞あるじゃーん」って言って新聞の漫画を読んで、「えー、この漫画のこの絵かわいいねー」みたいなすごいどうでもいい話題をしたり、そのコーナーで飼われてるカメに餌をあげたり。
 新聞は一応読んで、あ、えー、こういうニュースがあったんだ、みたいな。定期テストで時事問題が出されるので、ちょっとそれの勉強しつつおしゃべり、みたいな。そういうことをしてましたね。

──なんか楽しそうですね(笑)。じゃあ同じ部活のメンバーが学校で一番一緒に時間を過ごした?

望さん 一番仲が良かった。一番一緒にいたなーっていう。

──学校の外でも遊んだりするんですか?

望さん (合唱部の)3年生はすごく少なくて6人だったんですよ。その6人全員で一気に遊んだのは3年間のうち2回だけなんですけど、3人ずつで遊んだりとか、いろいろに分かれてけっこう遊びましたね。

──分かれて遊ぶのとかはもめたりはしないんですか?

望さん 個別に遊んでてもそこにいない人に電話して、こういうことがあったから今度は一緒に行こうって話す、みたいなことがけっこうあって。一人がハブかれるようなことはなく、みんなでいい感じの仲の良さを保ってましたね。

──それはきっと貴重な、いい関係ですよね。

望さん そうですね。ああ、こんないい関係になれるんだなって私もちょっとびっくりしてて、うれしかったし楽しかった

──部活のメンバーとは、卒業式では別れを惜しむ間もなく?

望さん 全員クラスが違ったんで、卒業式の時は合唱部のメンバーとは誰にも会えなくて。だから、ほぼ最後のお別れは1月ぐらい、受験終わってすぐ、コロナもまだ少なくて、対策もそんなにとられていなかった時にあった部活の「三年生を送る会」でした。
 休校中も電話はしたけど、ちゃんと顔を合わせるってことがなかったんで、「三年生を送る会」を最後に全然会えずそのまま卒業しちゃって、全員違う高校に進学しました。8月に入ってからやっとみんなで集まりました。

学年の絆

望さん 私たちの学年って、節目節目でいろいろあるんです。
 幼稚園を卒園した年が東日本大震災で、その時も卒園式が短縮になったりとか、幼稚園が園舎が古い木造でだったんで、近くの小学校の体育館借りて卒園式やったり、その時も大事な思い出がちょっとなくなっちゃったり。
 小学校の卒業式は、北朝鮮からミサイル発射された時で、緊迫した状況の中の卒業式で。そして中学校の卒業式はコロナで。

 節目節目でそういうことがあるから、高校の卒業式も、大学行ったとしてもその卒業式がちゃんとできたらいいなあとか、成人式の時もそういうのが起きちゃうんじゃないかみたいなのはみんなと話してて。怖いね、って。
 災難ばっかついてきちゃって、はあ、なんか、むなしいね、みたいな。

──それは気の毒ですね…

望さん でもその分絆が深まってか、他の学年と比べていじめとかが少ないんですよ。小学校の時の一個下の学年では、先生いじめというか授業放棄みたいなことがあったんですけど、この学年の時はなくて、平和に仲良く、いじめなんて今まで経験したことない、みたいな。
 本当に起きちゃいけないすごい嫌なことがあったんですけど、その分、これからもずっと一緒に仲良くいられる友達ができたなっていうのはありますね。

やっと始まった高校生活

──高校に入っていかがですか?

望さん 高校も本当、7月のはじめに初めて学校に行った感じだったんですよ。入学式もZoomを使ってオンラインの入学式、そのあと教科書とか課題とか全部郵送されてきて、パソコンで動画配信されたのを見て授業を受けるっていう形だったんで、クラスの人たちの顔が全然わかんない状態でした。
 7月に入って、クラスの中で半々に分かれて午前授業・午後授業に行くようになったんですけど、一緒じゃない側の顔はまだわからないみたいな。本当に初めて全員顔を合わせたのが7月の後半、本当にここ最近です。

 それでちょっと仲良くなってからすぐ夏休みなんで、また顔を忘れちゃったり(笑)しそうだなってありますね。休みはうれしいんですけど、夏休みって本当は遊んだりとかいろいろする機会なのに、コロナで自粛してください、なので、どこにでも行けるわけじゃなくて。東京とかには行きづらかったり、もし感染してたらと思うと自由に地方や外国に行けなかったりっていうのはつらいなー、みたいな。
 受験が終わったあとの遊びがすごい楽しいはずなのに、春休みとかも緊急事態宣言とかで出られなかったし、本当、悲しいですね。

 10日ぐらいしかない夏休みなんですけど、休校で授業の進行が遅れちゃって、その分の課題がけっこうあって。早く平和な日に戻ってほしいなっていうのもあったり。

──学校に行けたのはうれしかったですか?

望さん そうですね。うれしかったですね。やっぱりオンライン授業だけだとわからないところも直接授業を聞けたらできたり。友達がいないと授業って集中できないんですね。友達がいるからこそ休み時間にちょっとおしゃべりして、そのあともがんばって授業を聞こう、みたいな感じでできたりとか。それはやっぱり学校が始まってよかったなと思うし、その分、中学をもう1回やり直したいなあっていうのも思っちゃったりとかします。

──高校は部活はまだ全然ないですか?

望さん 部活は、まだ仮入部の状態です。みんな入りたい部活は決まってるけど、学校にいられる時間も短かったりするんで、それだったら本入部より仮入部期間を長く設けようみたいな学校の方針で、仮入部のままで短い時間だけ部活やってるみたいな状態ですね。ただ先輩にこういうのやってるんだ、っていうのを見せてもらう、みたいな。

──高校でも部活はやっぱり合唱ですか?

望さん 合唱部に入ろうと思ったんですけど、行った高校になくて(笑)。 
 今まで歌をやってきたんで歌を使う部活に入ろうと思って、軽音楽部に仮入部していて。ボーカルをやる、みたいな形になってます。

──それも楽しそうですね。

望さん そうなんです、楽しいと思います。バンドを組んで入らないといけないんで、本当に初対面の人たちが、じゃあ一緒にバンド組まない?みたいな感じで。同じクラスの人たちが多かったので、クラス内でバンド組む、みたいな感じでやってます。

──またいい友達ができそうですよね。

望さん また何か起きなきゃいいんですけどね(笑)。また起きたらやばい!みたいな。元も子もない、すべてが。平和に3年間を過ごしたいなとは思ってます。

知らない人だから言えること

──今回応募されたのって、私の友人のバズったツイートを見てくださってでしたっけ?

望さん 見て、こういうの(公募インタビュー)あるんだーって。なんて言うんだろう、家族に卒業式短くなった、悲しいなって伝えても、身近にいすぎて一気に全部伝えられないというか、そういうのがあって。
 (インタビュアー田中は)関わりないじゃないですか(笑)、だからなんか、関わりない人としゃべったりするのもいいなーって、いろいろ伝えたいこと、こういうこと言いたいなっていうのがあったんで、いいなと思って応募しましたね。
 ちょっと緊張もしましたけど、とても楽しかったです。

(終わり)

※──はインタビュアー田中の発言です。

個別に連絡をとる関係ではないけど同じ空間で時を過ごした友人たちのことを思い出しました。自然に別れていったけれど、それが突然ばっさりと終わってしまったのだったら、きっと気持ちがさまよってしまっただろうと思います。
お話しいただきありがとうございました。

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