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「ポルトガル─今、私がいる場所」前編 公募インタビュー#34

〈星さん(仮名) 2020年12月下旬〉
2000年代始め、18歳の時からポルトガルで暮らしている星さんにお話を伺いました。インタビュアー田中の活動に興味を持ち応募されたそうで、何でも聞いてと言ってくださいました。
まずは、ポルトガルに住むことになった経緯から伺います。

ポルトガルはユーラシア大陸最西端に位置し、
首都はリスボン。画像:Google Map

出会い──中学生

日本でサッカー熱の高い地域に住み、Jリーグを夢中で見ていた中学生時代。これからのポルトガルサッカー界を担う人物としてクリスティアーノ・ロナウド選手(※)を取り上げた新聞記事が事の始まりだった。

星さん 今でこそ有名になりましたけど、ロナウドが日本ではそんなに知られていなかった時代です。記事を読んで、あ、このひと気になるな、ビッグになる気がすると思って、そこからずっと注目していました。

 当時私は中学生で、英語がある程度できるだけでポルトガル語はわからないし、情報を集めようとしてもけっこう難しくて。

 で、英語を勉強して、当時ロナウドはイギリスでプレーしてるとわかったんで、イギリスのサイトを見たりしてなんとなく追っかけをしていました。そして「この人と話がしたい」と思ったんです。

 話をするなら、彼はサッカー選手だから、選手にインタビューをするインタビュアーになったらいいじゃん、と思ったんですね。だったらサッカーを知らなきゃいけないよね、ってことで、まず、(進学先として)女子サッカー部のある高校を選びました。

※クリスティアーノ・ロナウド 1985年生、ポルトガル出身のサッカー選手。世界レベルのサッカー選手のひとりと評される。欧州三大リーグで優勝した史上初の選手となり、またその全てで最優秀選手と得点王を獲得し、リーグ戦、カップ戦、スーパーカップで優勝。ポルトガル代表キャプテン。2021年からプレミアリーグ・マンチェスターユナイテッド所属。

参考:Wikipedia

高校生──日本から出たくて

高校に入った星さんの次なる目標は、ポルトガル語を学べる学校に進むこと。明確な希望を持っていた星さんは、通っていた進学校の方針や、クラスメイトたちの進学への姿勢に強い違和感を覚えるようになる。

星さん 高1の1学期の期末テストが終わってみると、私は歴史が好きだから歴史のテストの点数はすごく高かったんですが、数学は3点とかでした(笑)。

 テストが返ってきた後、先生が話を始めて
「俺は、例え俺の担当教科であっても、1教科だけずば抜けて高くて他が平均点よりすごく低い奴より、俺の教科は下がっても全体的に平均より少し上の点数をとってる奴の方が断然いい」
って言い切ったんですよね。

 その先生は歴史の先生で、あ、私のこと言ってる、とわかりました。この学校は先生もひどいし生徒もどうなんだろうと思っている中でも、まともなほうだと思っていた先生だったんですが(がっかりした)。
 私としては、高得点の教科があることをどうして「いいじゃん」って言ってくれないんだろう?と思いました。

 その先生は有名私大を卒業していたんですけど、学校全体が、この先生のようになりましょう、つまり高い偏差値の大学に行きましょう、といった雰囲気なんですね。
 別にその先生の出身大学が悪いとかじゃないけど、(先生から)そう言われて、成績がいい選抜クラスと普通クラスがあるこの学校の構図が日本社会の縮図だとすると、やだなと思ったんですよ。エリートと言われる大学を出て、このシステムをよしとする先生たちや、クラスのみんなの感じとかを含めて(いやだと思った)。

 で、この国で、大学進学する意味がわからない。私、これ無理、合わないなって(感じた)。

 私はその頃うつと抜毛症を同時に発症して、のちにストレス性喘息も発症しちゃうんですけど、その直前くらいかな、母が10代での留学について書かれた本を勧めてくれました。日本と海外の勉強のしかたの違いを書いてある本で、それがものすごく私の中に刺さったんです。
 例えばアメリカの教育はできることをどれだけ伸ばすかにフォーカスする教育だからスペシャリストがどんどん出るんだっていう話を読んで、現実で自分の身に起きたことと本に書いてあったことがパカッとはまって、ますます私は日本じゃ無理だと思っちゃって。

 だから高1の1学期が終わった段階で「日本の大学には絶対行きません。ポルトガルの大学に行きます」って周りの先生にも言い始めました。先生たちも親も、最初は冗談だと思ってましたけど、日本の大学の話は一切聞かないし、「ポルトガル」しか私の口から出てこなくなっちゃって、親はこいつやばいなと思ったんでしょうね(笑)。母が交換留学のプログラムがあるらしいよ、とかいろいろ持ってきてくれました。

 ある交換留学プログラムの派遣国先リストにポルトガルがあったので、おおこれや、って言って受けて、受かって。それが高2の2学期の終わりかなー。私としては、ポルトガルは大学からと思ってたのが、おっ、高校で行けるのなら早まったじゃん、ラッキー♪っていうぐらいだったんですけど、先生に言ったら大問題になっちゃいましたね(笑)。

 いろいろ言われましたが、やっぱこの人たちとんちんかんだな、ここ合わないなという感じを強めて、高3の9月からポルトガルへ行きました。日本から出たいから出た、という感じでした。

高校留学、帰国・高校卒業。再度ポルトガルへ

星さん 高3の9月から、ポルトガルの夏休みが始まる翌年6月まで、10ヶ月くらいポルトガルで過ごして日本に帰って、人より4ヶ月遅れて高校を卒業しました。親としては、その後は日本の大学に進学するかなと思ってたらしいんですが、私はそうしたくない思いが強かったから、滞在中にポルトガルの大学がやっている語学コースなんかを全部調べておきました。10ヶ月の間にポルトガル語はある程度できるようになったんですけど、ポルトガルで大学に入るためにはもう少しちゃんとしないとなと思って、語学コースで下地を積み上げようと。

 帰国して親に「どうしたいの?」って言われた時に「ここに行きます」って事後報告みたいなことをして。うつとかストレス性喘息とか抜毛症とかになってるぐらいだから、親は「大丈夫なのか」ってすごく心配しましたけど、「はい、決めてきたんで、お願いします」と(笑)。
 で、それ以来、なんやかんやずっとポルトガルにいる、っていう感じなんですよ。もちろん、時々は(日本に)帰ってますけどね。

高校卒業後、再度ポルトガルへ渡り語学コースを修了し、ポルトガルの大学に入学。ジャーナリズムを学ぶ。

在学中、次第にポルトガル国内の景気が悪化。大学卒業後の展望が暗い中、日本関連企業から入社の誘いを受ける。

不景気であること、思い描いていたジャーナリズムと実態とのずれに失望していたことなどが重なり、3年制の大学を1年半ほどで退学し就職。(振り返って、大学をやめずに勉強していたら良かったかもしれないと思うことも。)

就職した企業で3年間ほど働いた後、日本食レストランの立ち上げに参加し1年間接客業に従事。

その後フリーランスのコーディネーター、通訳、観光ガイドなどを始め5年。初めてポルトガルに渡ってから、12年が経った(※2020年末現在)。

ポルトガルと日本は似てる?

──最初からポルトガルにはなじめたのでしょうか?

星さん あー……今思い返せば、まあ、波長は合ったんじゃないですかね。(ポルトガルは)ヨーロッパの中でも田舎で、もしこれがすごく発展した都市とかだったら、思い描いてたのと違うな、帰ろうって気持ちも起こったのかもしれないですけど、うーん……、水が合ったと言えば合ったのかなと思いますね。日本よりはこっちの方が息がしやすいなと思ったのは間違いないです。

 面白いもんで、考え方とか、ポルトガルってけっこう日本と似てるんですよ。ラテンのくせに、っていう言い方は悪いけど、わりと内向的だったりとか。日本っぽいところがありつつ日本すぎないところが(自分にとって)よかったんじゃないかと思いますね。
 これが全然違う、ゲルマン系の考え方だったりすると、最初はいいかもって思っても、18歳まで積み上げてきた元のベースにまったくそぐわなくてずれが生じたかもしれないと思うんですけど。全身の中の、片足まるまるくらいは日本に浸かったままの感覚がありますね。いい部分も悪い部分も含めて、そんな感覚があります。

──ゲルマン系の考え方っていうのは?

星さん こっち(ポルトガル)の人がよく言うのは、ドイツやノルウェー、スウェーデンとかの人って強いしドライだと。私は私、あなたはあなた、たとえ家族であっても他人です、っていうのがベースにあって、だからこそ男女の平等性だったりがものすごく進んでるんだけど。例えば親子であっても、あなたは私のスペースにこれ以上入らないでっていうのを示しちゃう、示せちゃう。そういうのがたぶん、こっちの人たちの感覚からしたら、そんなこと家族にしていいの?考えられない、みたいな感じの感覚なんですよね。

 日本も、言わずもがなみたいなところがありますよね。一番典型的なのは、ばったり学生時代の友人に会ったら、ずっと会っていなくても「おー!久しぶりー!」って、友達みたいな感じにスッとすぐに入れるじゃないですか。でもその感覚って、ちゃんとコミュニケーションを積み上げている人たち同士の間に発生するものってわけでもない。
 友達だから・家族だから大事にするという感覚。何となくの、はっきり分けないでいいじゃん? まあまあ、そこまで言わんでもいいでしょ、というような、ある意味良いなあなあの感じっていうのは、ポルトガルと日本で通じるところがあるかな、っていう気は私はしてるんですけど。

私がいる国

──ポルトガルは好き?

星さん それもねえ……よく聞かれるんですけどね。いや、好きか嫌いかで言ったら好きだからいるけど、なんかもうほんとに、最初の留学の段階からポルトガルは「住んでる場所」って感じなんですよ。選んで来てる場所ではあるけど、自分の第二の祖国になってるから、すごく好きかどうかって言うと、冷静に嫌な面も見えるし、見ちゃうし、それも含めて結果として「い続ける選択をしている」ことがすべてを物語ってるよね、ぐらいの感覚です。

 日本に住んでて、日本が好きかどうかの感覚を持ちますか?って私は日本の人に聞くんですけど。自分の住んでる街を、大好きでほんと最高です!って言うのはちょっと引っかかる…みたいな感じですかね。いや、嫌いじゃない、好きだよもちろん、いいとこだと思うけど。

──なるほど。「住んでる場所」ならそうかもしれません。

星さん うん、住んでる場所、「住ませてもらってる場所」。大事な人たちもいるし、でも嫌な経験ももちろんしてるし、まあでも「今現在私が選んで私が住んでいる場所」、っていう感じですよね。だから(気持ちが)変わる可能性も全然あるなっていつでも思いますし。今現在住んでて、気づいたらもう何年も経った国だよ、って感じで。
 旅行で来た人が「最高ですね、ほんとすごくいい国ですよね」って言うのを聞くとものすごくうれしいけど、「だから住んでるんですね」って言われると、うん…まあ、はい……みたいな感じになる(笑)。

2020年のこと

星さん フリーでコーディネーター、通訳、観光ガイドみたいなことを始めて5年ぐらい経って、今年が一番えげつなかったですね(笑)。(新型コロナウィルスの影響で)お客さんだーれも来ないから。いやー、今年(2020年)は観光業界は大ダメージでございました。

──そうですよねえ。どうやって食いつないでるんですか、今。

星さん ちょくちょく入るお仕事と、貯めてた分を切り崩して。
 あと、私、ほんっとにラッキーな人生で、困ったらすぐに助けてくれるような人に恵まれていて。こんなことがしてみたいとか、こんなふうなのでどうしようかなって時に物事がサッて動いていくことが山ほどあって。

 今、(交換留学の時の)ホストファミリーのおばあちゃんの家の裏側に住んでるんですよ。首都のリスボンから1時間ほどのところです。

 リスボンに住んでいた2年ほど前、リスボンの人気が高まってきて、大家さんに次の年から家賃を倍にすると言われて、そこを出ることにしたんです。ホストファミリーにその話をしたら、部屋空いてるよと言ってもらえたので、転がり込ませてもらいました。納屋を改造した2LDKみたいなとこで、家賃もだいぶ安くしてもらえています。
 
 ラテンの構ってくれる感じの人たちが家族だと思ってくれてるから、「ちゃんと食べてんの?」とかって(気にしてくれる)。食料が買えないわけではないんですけど、ごはんを持って来てくれたりとか。人のあたたかさに救われながら生きのびてる2020年、って感じですかね。

紫色の花が美しいジャカランダ。初夏のポルトガルは満開のジャカランダに彩られる。日本にとっての桜のように親しまれている存在。

星さん 私、(ロックダウンが解除されて)久しぶりに外に出て電車に乗った時、泣きました。世界遺産のある有名な観光地の前を電車が通った時。いつもは観光バスが停まっていたり、わーっと観光客がいる状態しか知らなかったのが、バスは1台もいない、人はぽつ、ぽつ、みたいな感じの光景で。

 時期は6月で、ジャカランダの花が咲いていました。え、もうジャカランダの季節なんだっていうのが一つと、ジャカランダが咲いてきれいなコントラストが見られる時に、私は(ガイドとして)誰にも何も説明もせずにいて。

 16世紀ぐらいからずっとあるこの世界遺産が、こんなにも人がいないのは初めてなんじゃないのかなと思ったら、もうなんか、ぎゅー!ってなって、なんてことが起きてたんだろう、って自然と熱くなって、ポロポロ、電車の中で(泣いた)。朝だけど電車もガラガラなんですよ。外に出れた、というよりもショックでした。3ヶ月経ったら全然違う世界に来てしまったみたいで。

ポルトガルにおいで

星さん いつか(ポルトガルに)来てください。

──行きたいです。私はポルトガルに全然なじみがないので検索してみたら、まあきれいな写真がバーッと出てきますね。

星さん 立地と地形的に、要するにインスタ映えの国なんですよ。切り取り方さえ上手だったら、めっちゃきれい、めっちゃかわいい、超いいじゃん、みたいな。川が見えたり、地形が坂なんで、お天気も良ければコントラストがきれいに出るのはわかってるんですけど、私としては、いやいやいやもうそんなじゃないんですよお〜〜って常に思ってます(笑)。

 上手に撮ってきれいに処理してある写真なんか見ると、自分の家族が発表会に出てるぐらいの感じで汗が止まらない(笑)。いいとこ山ほど知ってるし、だから住んでるけど、そんなしないでいいから!って恥ずかしくなってくる。

星さん でも来ていただいたら、万全の態勢で、おいしいところから地元民の穴場スポットから、ここは観光っぽいけど好きだろうしまあ悪くないところと、観光っぽすぎて全然行かなくて平気だよっていうところとかも含めて全部(案内する)。
 1週間ぐらいの滞在だったらあちこち楽しいところを紹介できると思いますよ。ポルト(※)とかもそうだけど、日本人は好きだと思う、ほんとに。

※ポルト 北部に位置する、首都リスボンに次ぐポルトガル第二の都市。

星さん まずごはんがおいしい。

──そうなんだ。お魚とかですか?

星さん 食べます、食べます。そう、長く住むのって、食が合うことがすごく大事だと私は思っているんですが、ポルトガルは魚もお肉も、ごはんも麺もパンも食べる国なので、その辺は日本の人にけっこういいんじゃないかなって思いますよね。ぜひぜひ。

──うーん、行きたい。

星さん 友達にはそうやって来てーってめっちゃ言うんですけど、観光で来た人が「わあ(ハート)」みたいになってるの見ると、申し訳ない!そんなじゃない、そんなじゃないの、すいませんねありがとうございますごめんなさいねって感じになります(笑)。なんでかわかんないけど。

 でも、長く住んでても、ポルトガルってほんとにいいよね、あれも好きでこれも好きで、私ポルトガル大好き!みたいな人もいるんですよ、ほんとに。そういう人としゃべると、お、おお……今までポルトガルでいいことしかなかったんだね……っていう気になりますね。

・・・後編へ続く・・・

住んでいれば、いいことばかりではないのは当たり前。ポルトガルで衝撃を受けた体験、日本から離れて得た星さんなりの「方法」とは。後編もぜひ。

※特に記載のない画像はすべてPixabay

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