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モチベーションは必要か?

通訳に限らないが、何かを学ぶ上でモチベーションを維持できるかどうかは大きな要素だ。検定試験などのように、いついつまでと期間が決まっているならまだしも、どうやら長そうだとか、何年かかるのか自分でもよく分からないといった場合は、どのように気持ちを維持するのか誰でも悩むところだと思う。
ちなみに「何年で通訳者になれるのか」という「よくある質問」に対しては、「その人の努力による」という答えが出てくるのが一般的だろう。
これはそれだけバラツキが大きすぎて統計データがとれないということだが、もし「何を以て通訳者になったとみなすのか」「集中的に勉強できた期間と、遠ざかっていた期間が混在する場合にどのように計算するのか」など尺度が統一できればデータをとることはできるのかもしれない。

しかし逆に、世の中の多くの統計データと同様に「平均○○数」を個人に当てはめてみることにあまり意味はないのであって、それを聞いて自分が通訳者になるのかならないのかを判断する根拠にもならないように思う。
で、モチベーションの維持というのはやはり通訳者になってからも悩ましい。
普段は目前の仕事の準備に追われているが、それとは別に勉強も継続していかねばならない。こちらは期限が無いので、後回しになってしまうのだ。
しかしこの部分こそ地盤であり、普段の仕事はその上に建つ家のようなもので、いつまでも後回しにしていたら、いつか土台が脆くなりその家を支えられなくなる日がくる(ような気がする)。
と漠然と思い、細々と、日常の仕事以外の勉強を(たまに)してみる。やらないよりはいいだろう、くらいだ。勉強したらこんないいことが待っているよ!という明るい気持ちより、今やっていないと何年後かに地獄をみるかも・・・という恐れの方が強いかもしれない。

考えてみれば自分が通訳者になる前、通訳学校に通っていた頃も、今日やっておかないと明日泣くのは自分だとか、この予習終わらせないと授業で恥をかくのは自分だとか、そんな切迫感に追われていたことを思い出す。
恐らく私はネガティブなものを起点にした感情で動くタイプなのだろう。何かを選択する時も、好ましい物を選ぶのではなく、消去法で決めていることが多い気がする。(これは指摘されて初めて、自分の選択方法が人と違うと気づいた。)

しかし自分を駆り立てるために何をしたら良いのか、自分が一番よく分かっているはずで、モチベーションという前向きな(?)言葉にとらわれてしまう必要はないのではないか、とも思う。私は未だに、「そうならないようにするには今何をすれば良いのか」という仄暗いバックキャスト方式で自分を鼓舞している。
 

“執筆者:川井 円(かわい まどか) インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。 意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。”