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本との出会いはひとそれぞれ 〜『姜尚中の青春読書ノート』〜【11月読書本チャレンジ12】

今日は今までとはかなり趣を変えて、『姜尚中の青春読書ノート』を取り上げます。本棚でしばらく眠っていた本です。

『姜尚中の青春読書ノート』

なぜこの本を買ったのか、というと、姜尚中さんご本人にお会いしたことがあるからです。もう数年前の話になりますが、熊本大学での講演を通訳する機会がありました。

それまで「何か政治的な発言をされる文化人」ぐらいの印象しかなく、名前を存じ上げているぐらいだったのですが、実際にお会いしてみるとなんとも気さくな方で通訳との事前打ち合わせにも快く応じてくださいました。そのときの印象が残っていたところに、たまたまこの本を見かけたので買ったのでした。

珍しく、中身をあまり見ないで買った本なので、ここで紹介されている本は全部が興味を持つ本ということではありません。でも熊本で生まれ育った姜尚中氏の見る『三四郎』はなるほど、ととても面白く読むことができました。三四郎は熊本生まれで東京の大学に進学した青年です。見る物聞く物すべてが目新しい田舎者としてその生活が描かれている話ですが、そこが姜尚中氏には思うところがあるのですね。

熊本を離れて四十年、わたしは今では「家出息子」のような心情で、パトリ・熊本に限りない愛着を感じるときがあります。それが、「東京の、東京による、東京のための日本」を豪語する人々に対する強い反発心の根っこにあるわたしの思いです。と同時に、絶えず、「国策」と一体化して上昇志向をあおり続ける「加熱の文化装置」に対する強い違和感があります。漱石の慧眼は、それがどんなに無理に無理を重ねた「外発的文化」のなせる業なのか、いち早く見抜いていました。

第1章 TOKYOが何だ!−夏目漱石『三四郎』−

福岡に生まれて今は大分に住む私も、仕事で東京に3年弱ほど住んだことがあります。アンチ巨人の家に生まれたせいもあり、どうも自分は「反・東京」意識が強い傾向にあるようで、第1章では妙に親近感を覚えてしまいました。『三四郎』も完読していない小説です。これはまた読むモチベーションになりましたね。

本との出会いは人との出会いに似ています。そこには、自ずからその人となりが反映されているからです。あるいは逆に、人との出会い、本との出会いが、人となりを形作っていくのかもしれません。その意味で、どんな人と出会ったのか、どんな本と出会ったのかを知れば、その人となりも分かるはずです。

あとがき

「本棚を見ればその人が分かる」という話も聞いたことがあります。そうすれば基本乱読の徒である私などは混乱の極み、でしょうか? いずれにしても本との出会いは人と同じく、一期一会。これからもいろいろな本と出会いたいものです。

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