見出し画像

新型コロナウイルス感染症の流行に思うこと

2020年4月15日現在、新型コロナウイルスの猛威が止まらない。

世界全体での感染者数は200万人超、死者は12万人を超え、リーマンショックとは比較にならないほどの次元で経済的にも甚大な被害が出ている。もはや欧州一国で毎日700人が亡くなっているとの現状にも驚かなくなってしまっている、それくらい感覚が麻痺するほど恐ろしい事態に陥っている。

日本国内でも感染者数が9000人に迫ろうとしている。ここ数日の感染者数の推移は横ばいであるが、いつオーバーシュートが起こるのか予断を許さない状況が続いている。

今から2か月前の1月中旬ごろに、世界がここまで新型コロナウイルスの恐怖に支配されると予想した人はどのくらいいただろうか。

かくいう私も、1月中旬頃は中国でやばいウイルスが出てきたな、日本に飛び火しなければいいな、くらいにしか考えていなかった。実際、1月15日時点での中国全体での感染者数は当局からの報告ベースで41人である。

さすがに2月に入ると中国でも甚大な被害が明らかになり、日本でも感染者数が二桁となった頃から多くのテレビ局では報道番組等でこのウイルスについて時間を割き始めたが、それでも日本国民の危機意識は一部を除いてそれほど高くなかったように記憶している。

初動が遅れた上層部と繰り返された過ち

今となっては結果論だが、このような事態を招いたのは完全に上層部(世界も日本も)の危機意識の欠如、慢心から引き起こされたものであろう。また、中国で感染が流行しだした1月の初期に自称感染症の専門家を名乗る人間が、多くの人間はかかっても軽症で、風邪のような症状だけで済み、過度の心配は不要とのたまったことが感染の流行に拍車をかけてしまった。

世界保健機関(WHO)のトップであるテドロス事務局長は、中国からの人や物資の流れを止めるべきではない、パンデミックには至っていない、中国の対応は素晴らしい、などとどうみても中国に忖度した対応を取り続けた。現在テドロス事務局長の辞任を求める署名が世界各国で100万人突破寸前というが、このような対応を取らざるを得なかった理由には秘密がある。

WHOの中国へのあからさまな忖度

まず、テドロス事務局長の国籍に注目したい。テドロス事務局長はエチオピア出身である。エチオピアはアフリカ大陸ではナイジェリアに次いで人口が多く、日本と同水準の1億人に達している。しかし、その急激な人口増加率に賃金水準が追い付かず、現在において世界の中でも最貧国のうちの1つであるとされている。また、2015~16年にかけて過去30年で最悪の干ばつが発生し、エチオピア国内の何百万人に飢餓の危機をもたらしている。

そんなエチオピア出身のテドロス事務局長は、WHOの肩書を借りて世界の多くの国から資金を拠出してもらっている。特に中国との関係は著しく重要であり、中国との資金供与なくしては国がもたないとも囁かれている。このような背景から、テドロス事務局長は習近平ならびに中国当局には頭が上がらないのである。

新型コロナウイルスが暴いた世界の課題

上記以外にも、新型コロナウイルスは世界各国において様々な闇と呼ばれる問題を明るみにした。

・白人のアジア人への差別・誹謗中傷
・慢性的なマスク・医療物資の不足
・強大な力を持った中国の隠蔽体質
・過去10年(SARS以降)での感染症対策、ノウハウの積み上げの不足
・上層部と一般市民の意識の乖離
・世界全体での感染症に対する油断・慢心
・過度な感染者叩きによる社会全体での休暇取得の自重

今日はアメリカのトランプ大統領がWHOに対して資金供与を停止する意向を表明した。大胆な判断だが中国への牽制という意味でも非常に有効であろう。

感染を収束させるためには

京都大学iPS細胞研究所所長である山中教授は、この新型コロナウイルスとの戦いは最低1年の我慢を強いられるとの見方を示した。ハーバード大学は、現在の医療体制では2022年まで感染が流行するだろうと発表した。

さすがに2022年まで現在のように経済活動を縮小していては経済が持たない上に、逆に経済活動の抑制が原因で命を落とす人も増えるだろう。また、現在熱帯地域のフィリピンやシンガポールでも流行が続いていることから、気温や湿度の影響が多少あるにしても今夏にウイルスが消滅するということも考えにくい。ここで重要な考え方が、基本再生産数を用いた考え方である。

基本再生産数を”1”以下にすれば自然とウイルスは収束する

基本再生産数とは、ある感染症において、その感染症を最初に持ち込んだ一人が感染力を失う前にウイルスを何人に感染させるかを数値化した指標である。基本再生産数が”1”だと、一人の感染者が平均して一人に感染させていることになり、オーバーシュートすることはない。反対に”1”を超えると感染者数が増加し、”0”に近づくと感染する相手がいないため自然とウイルスは収束する、という感染症疫学では有効な考え方である。

私は感染症の専門家でないので確かなことは言えないが、日本が描く理想的なシナリオは、このまま自粛を続けたうえでクラスターの発生を抑制し、医療崩壊させることなくだらだらと感染者数を増やしながら重症者・死者を抑制すること。そしてワクチンの開発、投与を待つことである。しかし、その理想的なシナリオに向かうかどうかは、私たち日本人一人ひとりの考え方、意識にかかっている。

同調圧力に屈しない

私は、3月末に飲み会を開こうとした知人とそのグループに対し、この時期は特に大事な時期であり、自分の大切な人に感染させてしまう危険性も強く認識していたため、開催には慎重になるべきだと警告した。しかし、皆口を揃えて、「お前は考え過ぎだ」、「アルコールで消毒したい」、「空気読めないな」と私に言った。私はひどく失望した。

いくら自分が少数派であろうと、正しいことは正しいと、自信を持って言える人間になりたい。

私も含め、より日本国民がこの戦後最大の有事に強く危機意識をもってこの苦難に立ち向かっていくことができれば、それを乗り越えた暁には素晴らしきいつもの日常が待ち受けていることだろう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?