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この世の中は全てが繋がっているということを考えると、何もかもが効率的なんてありえないんじゃないか。

ふと思った。

この世の中には効率的なんてないのではないのか。
断片的な現実なんてない。
連続的な現実しかない。
全ては循環していて、最終的な総量はどんなことをやっても一緒なのだとしたら効率的なんてないのではないか。

この世のすべては有限なものしか存在しない。

なにか無限に使える枯渇しないものがない限り人々の営みには何をしても物事の総量を見た時に変化は何もないのかもしれない。

できることが増えた現代において出来なくなったことも増えている。できることが増えてできないことも増えているのならば人々のできることの総量はかわりはしない。

世の中を効率的にしてると思うかもしれないが、面白いのは本来仕事はケインズの試算だと週15時間で済む未来が来るといった意見があったがそんな未来は来そうにない。

ブルーシットジョブという言葉があるが、これが悪いのではなく多分こうなってしまう構造なのだと思う。

一方で少量のエネルギーでできるようになったとしても、もう一方で膨大なエネルギーが必要になってくるのがこの世の中の構造だとしたら何をしても効率が良くなるなんて断片的な見方であり。根本的に効率が良くなることなんてないのではないか。
根拠があるのかと言われればない。笑

デジタル化したところで社会全体のコストは変わらない。

機械化しても社会全体のコストは変わらないと思うのですが。笑
なにかの事業や業務が機械化したとして、そこだけ見たら効率化したのかもしれない。しかし、それが扱える人材の育成、それを製造するためのコスト。それによって仕事がなくなった人を生きていけるようにするコスト。機械を発明するためのコスト。機会を使う、作るために行った環境に与えた影響を補填するためのコスト。
すべてのつながりを追っていくのは無理なので途中で問題をあげるのには限界があるが、多分無限にあると思う。

また何かを変えたときに変わる変化は色々なところに影響を及ぼし、なおかつそれは変えた瞬間に起こる影響もあれば、何十年後に起こる影響も考えればそんなもんわかるわけがない。

科学と神様の違いなくなってきてない?

科学と神様どちらを信じますか。
科学を信じる人は多いと思う。
科学を信じる根拠は同じ環境同じ材料を同じ工程で同じ作業をすることでその現象は同じ結果が得られ、科学的に正しいとなるのだが、これを理解するのにものすごいコストがかかる。
果たして人口の何%が電子レンジ、車、飛行機、船、pcなどの原理を科学的に理解しているのだろうか、ましてや何%の人が検証して正しいと確認しているのだろうか。

一般の人はそれが有害ではなく有益であるかどうかでしか判断していないのではないのでしょうか。
もしくは有名な人、自分が信じてる人が正しいと言っているから、周りの人たちが信じているから、というもので判断してるのではないでしょうか。

これは神様を信じる時の理屈と大差ない事になっていたりしないだろうか。

いくら科学的に物事を説明しても確実に反対がいる。これにより人類全体の合意形成が非常に難しく、合意形成をするのにコストがものすごくかかる気がする。

いくら科学により世の中のある一つの事象を効率化できたとしてもそれに対する合意形成コストが高くなり、それをしっかりと認知するコストが高くなること、地球環境に与える影響を考えるコスト、それを改善するコストを考えると人々の総コストは何も変わりはしないのではないでしょうか。

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