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ハサン中田考の絶命を祈願する

 本稿は、筆者の Patreon 有料サポーター限定の記事からの抜粋である。

〔前略〕

 さて、読者におかれては前段落を読むだけで非常な疲労を覚えたかもしれないが、本段落以降の内容は私が身内贔屓でものを言う無批判なムスリムおよびミソジニストではないことの証明にもなるであろうから、このまま続ける。聖なる月の終わりに同じムスリムを糾弾するなど最も不本意なことだが、ハサン中田考について書いておかねばならない。私は自分より2倍の年齢で明晰かつ浩瀚な著作(最も読み込んだのは『イスラーム学』であり、断じて『みんなちがって、みんなダメ』あたりの雑多な本ではない)を書き継いでいた彼のことを尊敬し学ぶべき先達と定めていたが、今や敬称をつけて呼ぶ必要すら感じない。奴がよりによってラマダーン中に吐き出したツイートの内容に因ってだ。

〝クルドの権利とか騒いでいても子供にクルド語の教育すらしていないのね。何のために日本に来たんだ?"


 公平を期すために前置きするが、中田は〝現代の西欧の「領域国民国家」のイデオロギーとは異なり、イスラームは大地を分断し、細分化し、移民を制限することを誰にも許さず、人間が別々の「国民」に分割されることも認めない"* という、ムスリムなら誰もが踏まえている国民国家=多神教的偶像崇拝の正しい認識に基づき、〝人やモノの移動を禁じ、国民とそれ以外とを区別する国民国家(領域国家)の制度は、 根源的な問題を抱えており、別の制度に移行すべき"* という主張を著作から講演やツイートにいたるまで(さながらコピペのように何度も)繰り返している。彼は決して日本への移民(この immigration 自体が国民国家内の「国籍」への参入を前提としリヴァイアサンの一細胞としての従属を強いる不寛容に満ち溢れた奸策であり、8-13世紀の世界史を学べば解るようにイスラーム世界によって担われてきた安寧秩序はこのような「改宗の事業」とは根本から異なることは言うまでもない)を拒絶また白眼視する者ではないのだ。しかし今年のラマダーン中に繰り出されたツイートの内容はこうだ、〝クルドの権利とか騒いでいても子供にクルド語の教育すらしていないのね。何のために日本に来たんだ?"
〝何のために日本に来たんだ"? 「元に居た場所では生きてゆけないから」に決まっているだろうが。政治的・経済的な事由のみならず、あらゆる桎梏から逃れて新たな生活の地を選ぶことは万人に許されて然るべきだろうが。もちろん「先進国」として未曾有の失墜を記録し続けている日本国を移民先として選ぶ経済的センスには疑問を呈しうるが、だからこそ受入先を求めている移住希望者がいたならば自らの国における安全な生活を可能にすべく擁護するのが日本出身ムスリムとして当然の務めではないのか。このツイートを書いたのは、本当に〝人やモノの移動を禁じ、国民とそれ以外とを区別する国民国家(領域国家)の制度は、 根源的な問題を抱えており、別の制度に移行すべき"と主張し続けていた学者と同一人物なのか? 西暦1960年の日本に生まれ、80年代の好景気の最中に青年期を謳歌し、そして経済を含むあらゆる機能が不全に陥ってしまったかに見える現在に至るまでの季節を閲して、西暦2023年4月時点でのハサン中田考はかつて自らが展開していた論理の脈絡すら見失ってしまったのだろうか? 彼の80-90年代の経歴として記されているカイロ大学への留学や在サウジアラビア日本国大使館専門調査員としての活動などは、すべて金があった頃の日本国によって世話してもらった道楽にすぎず、その金すらなくなってしまった現在においては(80年代に生きていた頃の自分とは比較にもならないほど)困窮したクルド人を〝何のために日本に来たんだ?"と差別するだけの老人に成り果ててしまったのだろうか? この中田のような振る舞いこそが、まさに〝大地を分断し、細分化し、移民を制限すること"を正当化する〝西欧の「領域国民国家」のイデオロギー"に則ってものを言う国家主義=リヴァイアサン崇拝者の典型例ではないか

 もちろん、わかってはいる。彼はボケたのだ。年嵩が増しても明澄な知性を保ちつづける美徳は、中田のみならず多くの日本在住の高齢者たちから失われて久しく、その凡庸な老醜の姿がここにも現れている。しかし、これは断じて彼が患う老人性痴呆のみによって正当化されるべきではない。10年以内の発言から既に明らかだったが、『るろうに剣心』で描かれているテーマはイスラームの大義に近いだの、『キングダム』は国境廃絶を目指すカリフ制再興アニメだの、いかにも80年代に浮かれた青年期を過ごしたが同時代の文化的教養はまったく継承しなかった者らしくマンガだのアニメだの祖国謹製のお手軽な玩具を弄ぶばかりで結局は出来合いの表現物に牽強付会の評価を塗りつけるしかないにも拘らずそのような我が身の振る舞いに御満悦な、呆れるほど80年代=広告代理店的な精神に巣喰われた男、それがハサン中田考である。現に YouTube だの TikTok だの、読んだならば眼から蛆が涌くほど醜怪なネット上連載のオブザーヴィングだの、「カワユイ(^◇^)金貨の伝道師」だの(←ところで「テキスト入力による顔文字」のヴァリエーションは iPhone 登場あたりから現在にいたるまでの過程で飛躍的な多様性を獲得したのだが、(^◇^)のような顔文字は今や2ちゃんねらーですら使わない代物であり、 中田が嬉々としてその姿を晒している TikTok のユーザーたちからは「なにこの顔文字、くっさ(笑)」と嘲笑されて然るべき水準の代物である。この「若作りには余念がない一方で実際の若者にはまったく相手にされないセンスの持ち主」である中田の痛々しさについてはこの括弧が抜けた後で述べる)、「ねえねえボクって象牙の塔にこもる学者じゃなくてナウでヤングな文化も理解してるんですよねえねえ若々しいボクを見て」とでも言いたげな中田のポーズが根本的に広告代理店的=日本国の80年代に代表される浮薄な精神性の典型を示している、などと繰り返すまでもないだろう。その一方で、(先述したが)彼は老人性痴呆の持ち主に相応しく、自らが著作で述べてきた内容と根本的に矛盾する差別的・人種主義的・国家主義的ツイートを「ほうら言ったった」的なお手軽さで表明して憚らない。より正確には、還暦を越した人間らしい分別および自制心を持ち合わせず、嗜癖化したソーシャルメディアの利用が止められないのだ。ここで中田が晒しているのはZ世代的な「若々しさ」そのものだが、それを自らのクレバーさの発露だと本気で信じているふしがある。たとえば「バカブロック」と称し、わざわざ自分に否定的な意見を書いた者を引用リツイートでタイムライン上に垂れ流すという奇怪な癖さえ彼にはある。実際、その者らのツイートは識字能力所持者とは思いがたいほど低劣な内容であるのが常なのだが、当然ながら Twitter という社交場で毎日勤勉に発信を続けている以上はハサン中田考も連中と同程度のバカであり、「Twitter という愚行の場を設定する権威には一切反抗せず、際限無しの愚行を許してくれる場の気持ちよさに酔いながら『クレバーなオレ』の自己演出のもとに自分と同種のバカどもに対してのみ居丈高に反応している」という意味で目も当てられないほどの「若々しさ」を誇り続けている。〝〈救いがたい人間〉はほんとうに強い人間は攻撃しない。/まさに権威の名にふさわしい、有能で円滑に働く権威には楯つこうとしない。/彼らが反抗するのは〈馬鹿馬鹿しい権威〉に対してである。"とはハリー・スタック・サリヴァンの著作からの引用だが、クルド出身の移民希望者の揚げ足を取る一方で入国管理局に代表される国家権力については一切糾弾せず、 Twitter という愚行空間の存立自体は一切否定せずその内部でのカッコいいポージングに専念し続けるハサン中田考の習性も、〈救いがたい人間〉 の典型そのものであろう。

「若々しく振る舞ってはいるものの、実際には身も心も老いさらばえている」状態を指す表現が『クルアーン』内のスーラに含まれていたかどうか、浅学なる身には判らないが、「自らを損なうことも益することもできない無能な偶像とその崇拝者」を戒める『クルアーン』内の記述はいくらでも思い出すことができる。そして「自らを損なうことも益することもできない無能な偶像とその崇拝者」こそがハサン中田考の Twitter アカウント上で可視化されている様体に他ならない。「ボクたちサブカルのみならず宗教についても精通していますヨ」的な面[つら]を下げて回遊する雑魚どもの群れにとって、ハサン中田考は一種のアイドルなのだ。「軽い神輿ほど担ぎやすい」のである。現に中田は、自身とターリバーンの誰彼をセットにしたアクリルスタンドを制作・販売しており(「これねっ、いま、ア、アイドルの物販で必ず売ってるやつ。それボクとターリバーンでつくったの。フヒッ、おも、おもしろいでしょ。こ、こんなことやってる宗教学者、ふほっ、ほかにいないでしょ」という卑屈かつ不細工な笑みが透けて見えるような、もはや道化とすら呼べないほど浅ましい媚態)、その醜業を「でもこれって逆にアリだよね」と持て囃してくれる愚物どもに囲まれながら、彼は老人性痴呆の「姫」としてアイドル業を謳歌しているわけだ。常軌を逸した愚かさを奇貨として居きたがるネチズンの逆張りアティテュードに過剰適応した存在が彼であり、その痴態を晒し続ける限りにおいて周囲から黄色い声で囃し立ててもらえる「姫」こそがハサン中田考なのだ。もちろんそのような姿は、凡庸にして至当なムスリムのあり方とは程遠い。私は以前、アブデヌール・ビダールというフランス出身の「ムスリム哲学者」が日本語著作で晒している錯誤をすべて明らかにし、その文中で中田による寄稿も好意的に引用したが、ついに日本出身のハサン中田考までもがビダールと同様かそれ以下の痴愚に堕ちてしまった。せめて学者としての分際を弁えて黙ったまま本だけ書いていればよかったものを、こともあろうに Twitter のような装置に繋がれて言い訳不能な妄動ばかり晒しやがって。このような見下げ果てた輩に対し、これ以上言うべきことなど何もない。私は凡庸なるムスリムとして、全能にして慈愛遍きアッラーが、ハサン中田考という老残の下僕の命を1秒でも早く召し上げることで御慈悲を示されんことを切に願う。アーミーン、ヤーラッブ。

〔後略〕


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