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高校の選び方(偏差値 編)

40回目の投稿

 みなさまこんにちは。フォロワーが二人増えまして、うれしく思っております。今回の記事は中学生や中学生の兄弟がいる方、お子さんが中学生であるという方向けの記事です。今回の内容はあくまでも「私個人の意見」ですから、極論であるかもしれません。参考程度でよろしくお願いします。

「なんとなく」で高校を選ぶと

 高校に入学してから約3か月がたちました。学校の雰囲気にもだいぶ慣れて毎日楽しく過ごしています。しかし時々この(高校)選択がベストな選択だったのか、とたまに思います。そう思ってしまう理由は、おそらく私が高校をなんとなくで決めてしまったからです。

 私は運動よりも勉強の方が得意な人間で、人よりは勉強できる方でした。だから私はなんとなく頭の良さそうな学校を志望して、なんとなくで入学しました。塾の先生たちも私の志望校は私の学力に見合っていると思ってくれていたそうです。そして、中学校時代の私は「勉強だけやっときゃいいか」と思いながら今の高校に入学しました。

 しかし、入学してから少し経った頃自分の心境にも変化が訪れました。勉強しかやってこなかった私が運動部に所属するようになったことが原因です。そして部活を始めてみると、だんだんと「バランスとった人間になりたいな」と思うようになったのですね。そうなるとこの学校に入学した一番の目的が崩れてしまう。。。

 幸いなことに、私の通う学校は部活も勉強もしっかりやってくれるような学校でしたので、入学して正解だったと思うことが出来ています。

 しかしこのような心境の変化が、あとあと後悔をもたらす可能性も十分考えられるのです。高校選びを失敗すると、その後悔はとてつもなく多きものでしょう。

 まず高校という施設は「子供が大人へと変化する」場所です。ですから、今後の生き方の方針を最終決定する場所となります。そんな大切な場所の選択を間違えてしまったら、今後の人生が大きく変わってしまうかもしれません。
 そして、何より高校は「子供時代」の集大成です。思いっきり楽しみたいと考えている人が多いはずです。しかし、行く高校が自分の理想像とかけはなれていたら、、、

 高校をなんとなく選ぶ、という行為は絶対に避けるべきだということを感じていただけたでしょうか。塾の先生が「お前はここに行く」と言ってるから、親が行けというから、といった理由で高校を選ぶのは絶対にやめた方がいいです。「私はここに行くんだ」と根拠もない固定概念を持っているのなら、その固定概念を一回捨ててみることを強くお勧めします。

 私は高校決定に関しては、両親からの干渉をほぼ受けませんでした。子供さんには医者を継いでほしい、とか何かになってもらいたい、と思っているご両親の方々も多いでしょう。しかし、お子さんの高校選択を無理に操ってしまえば、子供さんにとっては苦しい道になってしまう可能性があるのではないかと思います。大人になるための最初の選択権ともいえる「高校選択」は、自分自身で行うのがお子さんにとっても良いのではないしょうか。

「偏差値」は学校の全てに反映している

 さてまず多くの人が気にするのが「偏差値」ですね。結局、学校の中心は「勉強」ですから、偏差値がその学校の特徴そのものを表していると言えます。私の学校の偏差値は「四捨五入して」70です。

 偏差値50くらいで真ん中くらいになります。偏差値60くらいで上位30%、偏差値70で上位5%くらいになります。やはり偏差値が高い学校は、試験に特色があったり、特別な科やコースが設置されている場合が多いですね。私立高校ともなれば入試の特色が学校によって大きく異なるのは皆様もご存じのことでしょう。

 さて、ここで注意したいのが、とてつもない無理をして上を目指すのはおすすめできない場合があるということです。よくYouTubeとかで「偏差値30が死ぬ気で勉強して偏差値65の学校に入った」とかいう動画がアップされています(すごく感動しますよね)。

 問題はそこではなく、入学後だと思います。学力がある人って「(いい意味で)変わった人」が多いのです。勉強だけでなく、生活のすべてにおいて思考回路が少し違っている可能性があります。

 私の学校は周りの学校に「変な奴がおおくてキショい」とよく言われています。そして本当なのかな、と思って一日クラスをあたかも他校から来た生徒かのうように客観視してみました(本当です)。すると、「なんかおかしい」というように確かに感じました。みんな勉強しかしていない、というか会話が勉強ネタ・教師ネタ・部活ネタくらいしかないのです。確かに授業のレベルは高いし、差別化されています。いろいろなところで、「変わった学校」なのです。おまけに文化祭の出し物の雰囲気も圧倒的に他校とは違っていました。(正直、クオリティがくらべものにならないくらい高い)

 やはり気になるのは「常識」の違いでしょう。本当に学校によって違います。会話の中での知識量の常識ももちろんですが、将来の考え方、公共交通機関でのマナー、昼休みの使い方、など本当にすべての行動が学校によって
違います。もちろん校則の影響もあるでしょうが、それ以前に「人種が違う」のです。

 私の他校の友達が前私に「周りの奴が言ってることの何が面白いのか全く理解できない、っていうかみんな動きが単純すぎる、あと愚痴言ってくるのもウザい」と相談してきました。その友達は「バランス型の人間になろう」ということで、偏差値は気にせずにやや自分の偏差値よりも下の学校に行きました。そうすると、周りの人間との差がどうしても出てきてしまい、浮いてしまう

 「がり勉」のイメージは「浮いている」とか「陰キャ」とかでしょう。なぜあまりいいイメージが出てこないかというと、その「がり勉」と呼ばれている人間と私たちの「常識」に差があるからです。

 「偏差値」は決して「学力の指標」だけではありません。「常識」の指標でもあり、「人間性」の指標でもあります。自分のレベルと違いがありすぎる学校を選ぶことにはリスクがあるのです。やはり似たものが多い方が落ち着くし、話も弾むはずです。価値観が合わない人間が多い空間で3年間過ごすのは正直キツイでしょう。

 ですから、もし上のレベルの学校に行きたいのであれば、自分の価値観ごと変えないといけません。おまけに上に行き過ぎると、授業に追いつけなくなる、という本末転倒な未来すらも見えてきます。

 でも、「上に行きたい」とか「裁判官になりたい」といった「強い決意」があるのであればチャレンジしてもいいはずです。その決意が本当のものなら、自分の価値観も変わってくるはずですから。

編集後記40

 ここまで読んでくださったみなさまありがとうございました。

 では、またいつか。


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