詰むまで認知できない環境問題
狂暑
冷房設定27℃の実験室。実験が終わったら、スタバに友達と行くことになりました。
実験が終わり雑談をしながら校舎の外に出る。ひどい熱線が私たちの肌を焼きます。これはひどい猛暑。まさに「地球沸騰化時代」。
スタバまで歩いて10分。体内の水が沸騰しているんじゃないか、髪の毛燃えてるんじゃないか、そう感じるくらいの熱が町を包んでいました。
道中友人とこんな話をしました。
友人:いよいよ人類終わるんじゃね?
筆者:それな(笑)
友人:まぁ、ゆうて毎年こんなもんか。
筆者:50年後なんて朝起きたら35℃になってるんじゃね?
友人:そうだったら終わってるわ(笑)
筆者:いや俺ら世代はギリ大丈夫そう
友人:どうする?後世があったら…
人間はよく傲慢な生物だと言われています。上の会話からもわかる通り、自分世代が大丈夫ならそれでいい、という思考を私は持っているのです。産業革命以来、地球環境なんてものよりも自分たちの幸を優先し続けた結果が今の狂暑でしょう。それでも、「まだなんとかなる」から自分たちの幸だけを優先してさらなる開発と発電を行う。人類最大の「罪」とはこれのことでしょうか。
私たちは「自分たちが快適な環境に置かれている」ことが当たり前だと思っているのでしょう。地球がどんなに壊れようが、自分一人が幸せなら他はどうでもいいのです。
そして、n年後気が付くのです。
「ん?最高気温45度?死ぬくない?」
と。いよいよ自分の命に関わるくらいになってくると、人間はようやく環境問題を自分事にしだすのでしょう。それでもまだ人間は傲慢であり続けます。戦争や資源の奪い合いでなんとかして生きようとする。
「最高気温45度の8月3日、熱中症により220人が死亡。」「台風14号は史上最低気圧864hPaで静岡中部に上陸」といったニュースで埋め尽くされた地球のもとで、私たちは争う。そして、食料も資源も、快適な環境、すべてを失った人類はようやく気が付くのでしょう。
「詰んだ。」
と。
エアコンの設定温度を28度にする。公共交通機関を使う。節電を企業が行う。どれも簡単なことです。みんなが少しずつ負担をすることによって変えられる未来があると思っています。ほんのちょっとだけ快適性が失われるかもしれません。でも、死ぬよりましでしょう。
エアコンの設定温度を1℃上げました。
みなさまもご協力をよろしくお願いします。
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