コンセプトなき他者基準のファッション。
その昔、ファッションの最先端を映し出す文化装置として位置付けられていた“映画”。
読者がこぞってモデルのスタイリングを真似した“ファッション雑誌”。
そして、今、ファッションのメインストリームは“SNS”になった。
全ての人が情報の発信者であると同時に、受信者にもなったこの時代に、ファッションは真の“多様化”を迎えたとされている。
それは、価値観が映画館のスクリーンや雑誌の紙面の中に固定されず、多様な人の多様なフィルターを通して構築されたコーディネートや洋服が、インスタントに画面上に表示されるようになったことが要因かもしれない。
あるいは、画面上のスタイリングで使われているアイテム(あるいはそれに近いもの)が簡単に手に入れられるようになったことも大きいかもしれない。
しかし、どうだろう。
我々は、本当の意味でのファッションの“多様化”を果たしたのだろうか。
筆者はこの点に些か、懐疑的にならざるを得ない。
SNSで発信される承認ありきのコーディネートやファッション情報の洪水に溺れ、わたしは少し疲れや違和感に襲われている。
たしかに、インフルエンサーのコーディネートを倣えば、他者から向けられる「いいね」の数は増えた。何となく、それっぽい服装になったかもしれない。
しかし、同時にSNSを見れば見るほど「自分の思う自分らしさ」からかけ離れ、最も重要な「自分からのいいね」が随分見過ごされているのではないかという気分になってくる。
他者による100のいいねよりも自分からの1いいねが、ファッションの本質だったのではないか、と。
困ったことは、SNSのおかげで表層的には多様化を果たしている点だ。
スタイリングに自らの色を介させずとも、「何となく自分らしい」といえる他者との違いが出せてしまう点だ。
そんなことに漠然と違和感を覚えていると、ある日、“自問自答ファッション”という文言を目にする。
(※先にお断りを入れておくが、わたしは“自問自答ファッション”やそれを論じられている “あきや あさみ さん”の詳細を理解しているわけではなく、あくまでその大枠に触れるに至ったという程度だ。)
noteでファッションに関する情報を検索すると、ほとんど必ず“自問自答ファッション”なるワードが飛び込んでくる。
このnoteを始める前は、筆者の勉強不足により、その概念を認識していなかった。
だがしかし、この“自問自答ファッション”は“表層的な多様化とそれによる自分らしさの喪失”というわたしに向けられた一つの命題に対して、一定の道筋となる考え方といえそうだ。
“自問自答ファッション”とは「コンセプトを決めて服選び、毎日のファッションの制服化」をテーマに自分自身と向き合いながら、自らのファッションスタイルを確立していこうとするものだそう。
「自分のコンセプトを決めて服選びをする」という方法は今、我々に必要な考え方なのではないかと感じる。
その心は、先ほどらい述べている「自分らしさの喪失」に対する、有効な処方箋となりそうだからだ。
随分と受動的になってしまったファッションにおける主体性(自分らしさ)を奪還する一つの足がかりになりそうだからだ。
あなたの服装のコンセプトはなんだ?
他者から向けられる「いいね」の眼差しに迎合する必要はない。
本当に着たい服はなんだ?
それがあなたの本当を表現するものかもしれない。
表層的に「多様化、多様化」と叫ばれる中で、本当の“自分らしさ”からは目を背けずにファッションを楽しみたい、としみじみ思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?