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灰色の男たち

ソーシャルデトックスしよう、と思って始めたのではない。何かの弾みでインスタのメインアカウントからログアウトしてしまったり、パスワードが分からなかったり、登録していたアドレスがもう使っていないやつだったり、要するにわたしの詰めの甘さによって何年も使っていたメインアカウントに入れなくなってしまった。
もっと試行錯誤すれば取り戻せるのだろうが、そこまでの熱意は未だ湧いてこない。こうしてインスタグラムのない生活が始まって1ヶ月が経ったわけだ。

友人とはインスタで連絡を取ることが多かったから、もし誰かのメッセージを無視してしまっていたらどうしようという不安はふわっとよぎるものの、「まあいいか」と思えてしまうのがわたしが”人間関係”と無縁の人生を送ってきた所以なのだろうと実感する。加えて「本当に連絡を取りたいと思ってくれてたら、返事がないことを心配してLINEもしてくれるよね」的な、メンヘラ的な、つくづく自分に嫌気が差してしまう。

結論から言うと、インスタグラムがあってもなくてもわたしの生活はなんら変わらなかった。あれだけ一日中眺めていたはずなのに、それがなくなったからといって暇を持て余してしまうこともない。かといって他のことに時間が充てられているのかと言うとそうでもなく、本当に今まで通りの生活が続いているだけなのだ。インスタグラムはわたしに何も与えていなかったし、ましてや奪ってもいなかった。

とすれば、与えられた時間をどう使うか、日々どれだけのことを思案し形にするのか、その分配の責任は常に自分にあって、他のどんなもののせいにもすべきではないのだ。わたしが愛おしく思うのはやっぱり、紙の本とか、文章を書くこととかであって、壮大なソーシャルメディアではないのだった。それがよくわかってしまったからには愛おしく思えるものに時間を割く努力をしなければならない。ミヒャエル・エンデが描いた「灰色の男たち」に立ち向かうのは、わたしたち自身でなければならないのだ。


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