活字の力とリスク

活字とはフォントのことである。
今で言えば。

30年前。
今のスマホに表示されるようなきれいなフォントは印刷という工程を経ないと実現しなかった。
新聞や出版社を通さなければ「活字」にはならない。ある程度パブリックな人、場面でなければ活字を使って表現できなかったのである。

私が初めてグラフィクデザイナーらしい仕事に就いた頃、インターネットは無かった。
パソコンも貧弱なグラフィック性能しかなく、ドットで表現できるギリギリで日本語表示していた。
今のiPhoneのように1インチ400dpiを超えるようなモニターも無く、したがって美しいデザイン性の高いフォントなど皆無だった。

この頃もフォントは存在していたが、それは写植という写真現像印刷というアナログ技術によるものだった。
写真ならフィルムの粒子まで遡れるから解像度は実質、物質の限界、分子レベルまで拡大できることになる。

※電子顕微鏡で見るわけじゃなし、人間の目の限界は500dpi程度だからそんな解像度は必要ない。しかし解像度の高いモニターが無かったので全部写真から版を作っていた。今なら製版所のオフセット4色が2400dpiで分解しているからその頃の新聞チラシや電車の中吊り広告など、実質その1/4程度で600dpi程度だったと思う(網点による製版の解像度)。

話がどんどん専門的でわかりづらくなるから割愛するが、要は「活字」とはそれぐらい公(おおやけ)なもので、活字になった時点で教科書ぐらいの信憑性があったと言っていい。

それぐらい「信頼の証」「正しいもの」というイメージが「活字」にはあった。そんな活字だからマンガで「うう」とか「グチュグチュ」とかゴシックとか明朝でやられると非常に珍妙で下品な感じがした。

そして時代は10年ほど過ぎ、パソコンとインターネットが普及した時、2ちゃんねるという掲示板でIT特有のスラングが発生した。
ヲチとか、ぬるぽとか、うぽつとか、これでもかというぐらい頭の悪い言葉が氾濫した。同時期にゲーム雑誌でもシューティングで耐久性が異常に高い敵を「カタい」とか言い出して頭の悪さに拍車が掛かる。

なんだよ?「カタい」って?

とにかく頭が悪いからやめてくれと思うほど世のネット・ゲーム界隈のスラングは低下の一途を辿った。
もしかしたら低下と思っていたのは自分だけで、それを使っている連中はカッコいいと思っていたのかもしれない。

2ちゃんねるは便所の落書きと揶揄されていたが、上記のスラングがあいまって、パソコンのモニターからアンモニアの生臭い匂いがしてくる感じすらした。

そういう意味では見事に下品さ、汚さ、臭さを表現しきったと称賛されるべきかもしれない。

もうここらへんで「活字」はヤバいぞ?もう昔の教科書のようなイメージはなくなるぞ?それとも活字のパブリックなイメージはそのままで、汚らしい表現や文章や言葉がフォントによってそれ自身の何倍もの説得力を持って読まれることになるぞ?・・・・と。

実際は・・・・残念なことに後者だと思っている。

どんな低能な書き込みでも、人が自殺するぐらいの誹謗中傷でも、フォントがそれに説得力と正当性を与えてしまう。
外で酔っ払いが、わめきながら発したたわごとなら誰も相手にしないだろう。だがそれが活字になって文章になってそれなりのレイアウトにデザインされたら?
それをいきなり読んだら正気を保った人間が冷静に喋っているように聞こえないだろうか?もっと言うとニュースキャスターが格好良く喋っているように見えないだろうか?

活字にはそれだけの力がある。
そしてスマホやタブレットは「活字」の力を普通の人にも使えるようにしてしまった。
バカな発言も、誹謗中傷も、生真面目な「活字」で表現されるリスク・・・

ここで提案したい。

馬鹿な発言、誹謗中傷、こういうの全部ギャグ漫画みたいな文字にならないだろうか?
AIがユーザーの人間性を判定して勝手にそうするとか・・・・
そんな文字だったらネットで誹謗中傷されて自殺する人もいなくなるんじゃないだろうか?



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