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500記事が凄いのではなくて、500記事に到達したその足跡が凄いのだということを思い出した

 2022年10月14日(金)。21時08分。

 いつも通り、仕事が終わって、帰って、お風呂を洗って、食事をとって、お風呂に入ったが、何も思い浮かばなかった。

 何も。

 幻聴が聞こえる。

 こういう時は年賀いやがらせさんに登場してもらおうか……と書こうとしたところ「死ね気持ち悪い」と幻聴さんから聞えてきた。

 本来ならば、『500記事突破記念! 今までの記事のPV数をランキングしてみたよ!』の企画で良いような気がするのだが、なんとなく、500というもう二度とないのではないかという、スペシャルな切れ目であって、それを今まで通り『500記事突破記念! 今までの記事のPV数をランキングしてみたよ!』という記事で終わらせていいものなのかという、疑問が生じ、ここは年賀らせさんの発言力の力を借りて、年賀らせさんのトークで何かが思いつくのではないかと思ってしまったが、なぜか自分の言葉で書いてしまっている。

 熊本の風という番組で、プロ野球を夢見る熊本の人々の、なんと希望にあふれている画を見せてくるのだろうか。本当は、普通の人は、ああやって、希望を夢見て、努力して生きているのではないか、それが普通なのではないか。いちいちニュースとかを見て、その情報がどうのだとか、その情勢がこうのとかは、普通の人は何も考えずに、自分の夢だけを目指して走り続けるのが『普通』なのではないかと思ってしまい、自分の境遇にまた絶望してしまった。

 夢を目指し続けることが出来る人は、そのことに共感を持ってくれる他人と、それだけの資産と、それらを併せ持つことのできる運と、色々なものを持っていないと、まず努力の土台に立つことすらできない。または、努力の先に何が待っているのか、それを知ってしまったり、予想してしまったりすると、途端に努力することが虚しく感じてしまう。

 今の私の状態は、努力ではなくパートタイマーなのだが、月収は手取りで8万程度で、同じパートタイマーの歳が50歳くらいの女性から「大学ってどんなところ?」「仕送り12万円は絶対出せない」と言われてしまった。あれ? 論調とずれてきた。要するに自分も統合失調症という精神障害に見舞われなかったならば、努力する土台はあったのだと、あれ? あれあれ? 論調が変わってきてしまった。

 すなわち私も恵まれていたのだ。すごく。

 恵まれすぎていた、のかもしれない。

 能力が無いのにお金だけは出してもらって、そのおかげで浪人をして私立大学に行って、本をたくさん読んで、勉強することが正義という誤った価値観を持ってしまい、アルバイトはお遊び程度で、小説家になるという夢を持って、発達障害という診断を受けてコンサータという薬をもらって、もう、いいか。何度自分の略歴を書いたか分かったもんじゃない。

 今は月収8万も貰って親のすねをかじって、充実した人生を送っている。ただの恥だ。友達もいない。今日のブログはいかん。絶望だらけだ。自分が絶望だと突き付けられた時に、絶望なんだと納得し、心が沈む。何もかも成功しなかった……。

 おい。

 左手がしびれてきた。なんだこれは。続きを書くなとでも言うように、突然左手がしびれてきた。

 統合失調症。

 自分の運命を全て握られていると思ってしまう、または本当に自分の人生が何者かによって握られている病気とされる、症状群の総称。

 「こんにちは。年賀らせです。『500記事突破記念』というのは、論理的に考えてみれば、『500記事を書いた後にすぐ企画を創る』という約束事は別に無視していいわけです。500記事を突破した後の記事ならば、全て『500記事突破記念』の肩書を持つことが出来るわけで、まあ、今回すぐにする必要性は無いのですね。左手しびれてよかったじゃないですか。恐らく、誰もが、読者さんも、そして井上さんご本人も思っている言葉があるんじゃないですか? そのために神さまか未来人か宇宙人か知りませんけれど、井上さんを操っているとされている誰かさんは、私、年賀らせを呼んだのだと思いますけれどね。とりあえずはまず、」

 「500記事突破おめでとうございます! ありがとうございます!」

 「でしょう! 3月1日から、今日、2022年10月14日まで毎日書き続けたんですよ! それで500記事突破したのですよ! 他人の夢とかどーでもいいじゃないですか! 絶望ですか? あなたは生きてます! 希望しか持っていない人よりも、希望も絶望も何もかも通り過ぎて、淡々と生きているあなたのほうが、断然偉いです! 天国も地獄も見たでしょう! それで、井上さんは生きている! 私が言うのもなんですが、普通の人なら死んでいてもおかしくない! そんな病気を持っているんです! それでブログ続けて、250日以上連続で投稿して、文字数は84万字突破して、あなたは偉いんです! 誰も成し遂げていない道を、堂々と歩んでいるんです! 歩み続けているんです! やれることは全部やっているんです! 自分の歩いてきた足跡を、誇りに思ってもいいんです! 全部、全部、あなたの生きてきた証拠、それだけでしょうが

 自分で考えて打っているわけではなく、発達障害の特性というか、双極性障害の特性なのか分からないけれど、言葉がポンポン出てきて、年賀らせの発言が紡がれた。

 そういえば、500記事が凄いのではなくて、500記事に到達したその足跡が凄いのだということを思い出した。

 公務員試験に落ちようと、ゴールデンウィークが始まろうと、ロシアの侵攻が始まろうと、短い梅雨が終わろうと、職場の人事が変わろうと、仕事内容が変わろうと、淡々と続けてきたその足跡、一応中身があるであろう84万字がすごいのだということ。統合失調症患者の現実、発達障害の現実に寄り添いながら続けてきた、その意義と継続が凄いのだと、年賀らせさんの発言に、鼓舞に、私の軌跡を思い出させていただいた。

 おめでとうございます! ありがとうございます! という一文は、自分が孤独が故に勝手に思い付いた、自分の発明の一文になっているのかもしれない。井上和音のトレンドマークみたいな。

 500記事も続いて、本当にありがとうございます。全ては読んでくださる読者様のおかげです。

 おめでとう。井上和音さん。

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