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【論考】現実を生き抜くための定義集

 2023年5月16日(火)。21時16分。

 「口語と文語は分けろ」……1.

 「人は笑いを共有できれば幸せになれる」……2.

 「人は笑いを共有できれば幸せになれるが、それを知らない人も大勢いる」……3.

 「付き合う人は笑いのツボが似ている相手を選べ」……4.

 「自分を変人と定義するのはただの逃げだ」……5.

☆☆☆
 タイトルから書いています。逸れていったらすみません。
☆☆☆

 こんにちは。井上和音です。明日は休みの日です。

 幻聴が酷いですね。お風呂場で「言うな」「書くな」「死ね」とたくさん聞こえてきます。

 なんで否定文ばっかりだろうと思っていました。

 そういえば否定文ばかりなので、幻聴の否定文に負けないようにするにはどうすればいいのだろう、と考えていました。その結果、「言葉の定義付け」を思い返してみたら、次々と聞こえてくる否定文に対しても対抗できるのかなと思い付きました。

 そう思い付いた途端に、「早く書け」「早くしろ」と聞こえてきました。幻聴ってそんなもので無責任この上なく、また自分に対して「神の声が聞こえる」と感じることも毛頭ありません。単純に否定か肯定かのどちらかです。お風呂場で肯定する幻聴が聞こえた後には、お風呂場で思い付いたというか、過去に定義していた言葉たちも次々と忘れていき、「どんまい」と言う幻聴が聞こえてきたりしました。書いているうちに忘れそうなので、冒頭に三つほど定義を書きました。多分、この三つは間違いなく真実だと思っています。経験上ですが。(※22時22分現在:書き終わって思い出した定義が五つになったので五つとも冒頭に書いています。書き始めの頃は上部三つの定義だけしか思い出せていませんでした。)

 別にお風呂場の中で次々に創っていったわけではなく過去の自分が「これは間違いない」と積み重ねていった定義たちをただ思い出していただけです。

 とか、書いていたら「それ聞いた」とか幻聴が聞こえてきたりしていて。「違う」とかも聞こえてきますね。幻聴のもう一つの性格として態度が大きく校正に対して非常にシビアな感想を送ってくることです。こんな病気というか、病気を超えての障害なのですが、貴方はならんといてくださいね! とエヴァンゲリオンの「エヴァには乗らんといてくださいね!」という台詞をもじることしかできません。本当にならんといてください。

 定義の話に戻すと、私は今日は疲れていました。疲れてこの世の全てがどうでもいいとか思うくらいに疲れていました。テレビで流れてくるニュースなど全て「どうでもいい」と思ってしまいました。バラエティ番組で使われるネタもどうでもいい。野球観戦などタイムリーヒットを打って点を取ろうが何も心が高揚することもありませんでした。報道1930を観てもどうでもいいと思ってしまっていたので、こういう時は冒頭に掲げた定義2「人は笑いを共有できれば幸せになれる」を実践に移そうかと思いました。

 昨日の寄切よりきりの話をしてみました。ところがどっこい。あまりにも説明が長過ぎたので、どこが面白い点なのかが口語では伝えることが出来ませんでした。

 定義1「口語と文語は分けろ」
 
 文語で起こされる文章を口で話そうとするとだいたいが助走となる文章が長過ぎて、相手に伝わりにくくなります。よく本をたくさん読む人でめちゃくちゃ早口で喋る人がいますが、ほとんど相手には伝わっていません。どころか、大人数で喋っている時に文語体の文章をめちゃくちゃ早口で喋ると、自分の喋る時間ばかり取ってしまい、喋り終わった後に実は誰も理解していないし、そもそもが途中から聞いてすらいなかったという展開に陥ってしまい、場の空気がしーんっとなってしまいます。「私の話は面白い内容のはずなのに、どうしてみんな反応に困っているのだろう」と疑問に思っている方も大勢いるかと思われます。それはあなたの喋っている話が文語体で長過ぎるからです。内容の面白い・面白くないは特には関係ありません。口語体と文語体は全く別のコミュニケーションです。特に多人数がいる場所では口語体を意識して喋りましょう。

 どうしても文語体で喋りたいのならば、その内容はブログにでも書きましょう。口語体で書くと今度はブログでは浮いてしまいます。絵文字だらけの文章って、どこか変だと思いませんか。メールやLINEが文語体と口語体の間にあるコミュニケーションツールであり、そこで絵文字やスタンプなどが効力を発揮します。こういう文章だらけの場面では文語体を意識して書きましょう🌝🌝🌝。

 ほら、変でしょ。

 と、また定義の話に戻りますと、定義2「人は笑いを共有できれば幸せになれる」をもう一度したいというか、これが定義なので疲れている時には定義に勝手に従っていこうと思いまして冗談を言いました。

 「日本の風刺画で、定時で帰ろうとしている四人がいて『おーい手伝ってくれ』と上司から言われて、言われただけではそのままするすると帰っていくのに『残業代を3時間分追加して出すから手伝ってくれ』と言ったら、四人中三人は帰ってくる。お金が追加されるかだけの話なのに人間って面白いよね」

 という冗談を言ったところ、「『手伝ってくれ』と言われたらお金が出なくても残るだろ。日本の風習がおかしいぞ。その風刺画は誰が言っていたんだ」と言われてしまいました。

 「え。えーと。○○さん」と言ったところ「最近の若者がおかしいだけだ。まだまだ娑婆しゃばを知らんだけだ」と言われてしまいました。

 お金の矛盾のところでシニカルな冗談というか、キディングにしたいと思っていましたが三段論法の一段目で会話に齟齬そごが生まれてしまいました。

 私はただ笑いを共有したいだけだったのです。

 前提条件とかどうでもいいじゃないですか。

 色々な意見があって別に良いと思いますし、正しさとかはどうでもいいのです。ただ定義2「人は笑いを共有できれば幸せになれる」に到達したかっただけなのですが、定義3「人は笑いを共有できれば幸せになれるが、それを知らない人も大勢いる」という定義にぶち当たってしまいました。

 会話の内容とかどうでもいいのですよ。強いて言うならば定義4「付き合う人は笑いのツボが似ている相手を選べ」というものもあるのですが、元々暮らしを共有している場合にはどうしようもありません。沈黙するしかないなと思いました。

 ところで、手伝ってくれと言われたら普通の人は残るものなのでしょうか。定義5「自分を変人と定義するのはただの逃げだ」というのがありますので、自分で自分のことを変人で変わっているから普通の人の意見が分からない! とぶりっ子のようにわあわあ言うつもりもありません。「人に頼まれて無料で残るかどうか」は定義でもなんでもなく、人によって考え方も変わるし場面によって変わると思っていますので、その時その時で対処の仕方は変わると思います。

 ただ、人に頼まれて無料で残るというのは、「仕方が無いから私は残ってあげようか。無料だけど私には残るだけの価値がある人間だからね」と周囲に自我の雰囲気を浴びせてしまうようで、それが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。また、労働法を自ら破って自己犠牲を払うことが美しいと感じる人も多数いるとも思っています。法律ですら定義の一部に成り得ないことは今まで生きてきたことで重々承知していることです。

 職場の匿名アンケートでサービス残業について疑問に思ったことも書いたりしました。何がどうなったのかは分かりませんが、今でも不思議と雇われています。不思議な目で見られ、微力ながらも何かしらの影響を与えたのか与えていないのかは私自身は何も知りません。それに触れてはいけないことだったのかもしれません。普通アンケートに書かないことだったのかもしれません。ただ、定義5「自分を変人と定義するのはただの逃げだ」というものがありますので、自分は正しいわけでも正しくないわけでもなんでもなく、ただ波及的な存在として何かしら意味があるだけのことに過ぎないのかなと思いました。

 最初は三つだけの定義を冒頭に上げていましたが、定義を二つ思い出したので、冒頭に追加すると共に、最後にもう一度だけ定義を五つ並べて終わりにしたいと思います。

 「口語と文語は分けろ」……1.

 「人は笑いを共有できれば幸せになれる」……2.

 「人は笑いを共有できれば幸せになれるが、それを知らない人も大勢いる」……3.

 「付き合う人は笑いのツボが似ている相手を選べ」……4.

 「自分を変人と定義するのはただの逃げだ」……5.

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