もう跡すら残っていないだろう、閉鎖病棟隔離室のあった京大病院西病棟への鎮魂としてこの文章を捧ぐ。人は極限状態になると希望のみを確信し始める。
2023年3月22日(水)。21時38分。
こんにちは。井上和音です。
WBC優勝おめでとうございます! 大谷翔平選手MVPおめでとうございます!
村上宗隆選手ソロホームランおめでとうございます! 岡本和真選手ソロホームランおめでとうございます!
ヌートバー選手打点おめでとうございます!
USA代表も準優勝おめでとうございます!
☆☆☆
「こんにちは。年賀らせです。いや、なんで☆で区切ったのですか。話が続きませんでしたか。はい。私は貴方の散々たる一日を知っていて、その散々たるや、徐々に徐々に深刻さを増していることも私は知っています。私はなんでも知っています。はい。一言どうぞ」
「疲れた」
笑うしかない。疲れてしまった。『もう生きるのに疲れちゃいましたか!?』という名言があるのだが、もしそれを言われたら『はい。疲れました』と真顔で返してしまいそうなくらいに疲れた。
もう疲れたよ。
というより。
身体がおかしい第二弾。うう。外でパトカーのサイレンがずっと鳴っているよ……。
私は統合失調症患者です。中学生の頃になかよし学級の人で、サイレンが聞こえてくると耳をふさいで騒ぎまくる人がいました。
はい。統合失調症患者になって分かることは、パトカーのサイレンほど嫌なものはありません。「なんで?」と思われるかもしれませんが、統合失調症になりたての頃はパトカーのサイレンの幻聴が鳴りやみませんでした。
閉鎖病棟隔離室の中でも、パトカーのサイレンの音がばっちり聞こえました。それも何十台と縦隊を成して、私を徹底的に警察が追いかけているという妄想に駆り立てました。
今では、パトカーを見ても何も思いませんが、パトカーのサイレンは苦手です。
「パトカーのサイレン」=「今やっている行為はやらないほうがいいという神さまからのサイン」のように捉えてしまうからです。この記事を書き始めた時からパトカーのサイレンが延々と鳴っていました。今は止まっています。「ブログ、もう書かないほうがいいよ。後からとんでもないことに繋がっちゃうよ」みたいなサインを送られているようで。
幻聴で「やめろ!」と聞こえてきました。
ここまで書いているのを読んで頂いた方には分かると思いますが、統合失調症が非常に酷いです。
もうダメです、という感じです。ずっと寝ていたいです。ずっと寝ていたいという欲望を先週の土日に叶えてしまったからこそ、この平日のパートタイマーが地獄のようにきつく感じるのですが。が。ああ。
話を戻すと、「パトカーのサイレン」が幼少期から「何かやろうとしている時に起きる神からの危険のサイン / もしそれを破って行動してしまったら神さまから何かしらの天罰が下る」という立式というか、反応が脳に刻み込まれてしまったら、それはもう修復困難というか。中学生時代にサイレンが鳴るたびに耳を塞いで走り出してしまう人がいましたが、その人の気持ちがよく分かります。
サイレンが鳴るたびに天罰が下るのですよ。地獄以外の何物でもないでしょう。そんな世の中になってしまったら。あなたにはこの気持ちが分かるのですか。
疲れたというか。統合失調症の第二弾がやってきたというか。先ほども書いたのか……あれ。記憶があまりありません。
頭痛です。
新たなる身体の不調がやってきました。労働をするたびに、特に午後からこめかみががんがんするような頭痛に襲われるようになってしまいました。おしまい。
誰がしまうか。
頭痛ですね。月曜日は「なんやこの頭痛やべえ」と思い、有給休暇を一時間だけ取り、簡易ベッドに横になりましたが、今日もまた「なんやこの頭痛やべえ」というくらいの、こめかみ辺りがぐわんぐわん、どくんどくんとする頭痛に見舞われて。二度目が起こったということは、これから先常習的に起こるのだろうなと判断して、精神科に緊急で診察の予約を入れてみることにしました。
頭痛が起こるたびにベッドに横になっていったら労働になりませんし、根本的な治療か、一時的に痛みを和らげる何かしらの薬を飲むほうが生き方的に正解であると賢い私はそう判断しました。
『賢いつるは知っていた』のオマージュですけれども。『つる姫じゃーッ』って漫画面白いですよ。土田よしこさんは天才ですよ。天才バカボンの血を上手く少女漫画に落とし込んでします。
はい。頭痛がするので精神科に電話しました。
「もしもし患者の井上ですが……」
「はい。担当医の〇〇です。頭痛なら内科に行ってください。CTとか撮ってください」
「いや。そこまでではないのです。ただ痛み止めレベルの処方をお願いしたいのですが。それにCTとか高いじゃないですか」
「あのですね。井上さん。私は当直明けで、本来私はここに居ないんです。私が今日担当するのは無理なんです。たまたまここに居るだけなんです」
「あ。いや。今日でなくていいので。今週か、来週かくらいに、予約を入れれたらと思いまして」
というわけで、緊急で診察の予約を入れてもらいました。しかし、当直明けの後もサービス残業のような形でたまたま病院にいらしたとは。
医者って絶対に大変ですね。
閉鎖病棟の当直は滅茶苦茶きついですからね。まず、精神に異常をきたしている人は睡眠導入剤が無いと眠れませんし。夜中に騒ぎ出すことも多いです。私の閉鎖病棟の記憶ですが。
京大病院西病棟で良かったですね。漫画のリボーンも全巻置いてありましたし。シティーハンターも全巻。海辺のカフカも上下巻。
考えてみれば、隔離室以外は最高だったような気がしないでもないですね。ああ。いや。コンサータも鼻炎アレルギーの薬も貰えなかったので最高ではありませんでした。
京大病院西病棟。今調べて見ましたがもう存在していませんでした。私の記憶の中にだけある、神秘的なあの建物は、私の記憶の中だけで永遠へと変わってしまいました。
京大病院西病棟だけ昭和でしたからね。衛星放送は映らない。倉庫には謎のプラモデルがたくさんある。西には鴨川。ベッドから見える風景は、青い芝生に大量のテニスボールが転がっていて。草原に光る蛍のような原風景。
大阪北部地震の時に天井にひびが入りましたからね。このまま建物が潰れれば自分は解放されるのではないかと、そればかり願っておりました。
そんな思い出の地ももう無いのですね。永遠に無いのです。
京大病院北病棟の精神科神経科に入院しているみなさんは衛星放送は映るでしょうか。
京大病院の話はいいとして、と思って話を変えようと思いましたが、もう疲れています。
「ところで井上さん。『ぼっち・ざ・ろっく!』というアニメが覇権アニメとなりましたが、あれって邦訳すると『閉鎖病棟隔離室』になるのでは」
それだと、『ぼっち・ざ・LOCK!』になるけどね! ちゃんと英訳するなら『ぼっち・in・ざ・LOCK!』が正しいけどね! 閉鎖病棟隔離室の中のひとりぼっちは孤独ではない。何も無いので自分自身が宇宙そのものになるのだ。
「何を言っているのこの人は」と思われる方は、マットレスと薄い毛布と、四角い枕と、紙コップの備品と、トイレだけがある部屋を想像してみてください。窓はありません。時計も鉄の扉のガラスの中に埋め込まれています。そこに鍵を掛けられて、ポツンとしています。
大声をあげても構いません。「ここから出してええ!」と大声をあげても誰も来ません。鉄の扉をばんばん叩いても誰も来ません。廊下から鉄扉のドアを開けるための鍵を看護師さんが「ちゃらんちゃらん」と鳴らすたびに、「鉄扉が開くのか! 鉄扉が開くのか!」と期待は高まり、鍵の音は徐々に遠くなっていきます。
虚しくとも、虚しくとも。虚しさを感じることの出来るということは如何に贅沢だったかを知ることとなります。何もない部屋に監禁されると。いつまでと期限も告げられずに監禁されると、人間は弱いもので、一縷の望みに全神経を尖らして、あり得るはずのない希望を信じたりして。信じるというよりも確信して。そうでなければ確実に狂ってしまうことを分かりきっていて。狂ったら、監禁状態が長くなると分かっているので、正気を保つために、延々と叶うはずのない願いに自分の全てを託すのです。
閉鎖病棟隔離室にいると、自分以外に何者もいないために、自分だけがこの世の宇宙になります。感じられるもの。考えられるもの。それらが自分の記憶の中だけの出来事しか感じることも出来ないし、考えることも出来ません。高校時代の友人たちの顔が思い浮かびます。監禁状態が長くなると、記憶の中でなんと会話が出来るようになります。「お前やっぱすげえわ」とか言ってくれます。「選ばれたからこんな仕打ちを受けているんだ」と思い込むことで、この地獄を乗り越えようと、脳が勝手にこの地獄に至るまでの経緯を創り出してしまいます。その都合の良い思考は、思考対象が記憶の中にしかないために確信へと変わっていきます。そのために、閉鎖病棟隔離室を仮に出ていったとしても、普通の人からしたら気が狂っているとしか思われない確信を持って、閉鎖病棟の中の人々と触れ合うことになります。しかし、閉鎖病棟から出るためには、その脳に刻まれた「確信」さえも疑わなくてはいけません。なぜならば、それは確信であると同時に自分だけの妄想に過ぎないという受け入れられない現実がそこにあり。「あの隔離室に入れられて自分と徹底的に対話していたあの時間、あの処置は一体何だったのか」という問いにぶつかるからです。せめてもの、人生計画が狂ってしまったこの処置に、ほんの僅かでも意味があったと思い込みたい。いえ。確信していないと、いきなりの監禁に意味があったと確信していないとこれまた狂ってしまうというジレンマに陥ります。意味が無いと分かったら、その時点で監禁した看護師や医者などに制裁として暴力でも振るってしまうでしょう。そうなると、閉鎖病棟からはもう出られないでしょう。
このジレンマが時を隔てると「諦める」という気持ちに変わっていきます。
もう跡すら残っていないだろう京大病院西病棟を思い出したら、キーボードを打つ手が止まらなくなりました。長くなってしまいました。早く寝ましょう。ブラックコーヒーを飲むから頭痛がするのですよ。みたいなそんな単純な頭痛だったらいいのですが。
あなただったら、眠気と頭痛とどちらを選びますか?
この記事が参加している募集
よろしければサポートをお願いします。