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統合失調症は治療する側も周囲の人間も、困難で可哀想だと思いながら、全力で対応してくれていた幸せを思い出す。

 2023年5月9日(火)。21時26分。明日は休みです。

 こんにちは。井上和音です。

 弱い自分を受け入れることは、実は自分に正直に生きる上で大切なのかなと思うことがありました。「自分は障害者です」とか「自分は統合失調症を持っています」とか「自分は発達障害を持っていてコンサータという薬を飲まなければダメなんです」とか、自分から言うことを最近、──具体的に言えばセパゾン錠を飲むのを減らしてから、昼間の眠気をギリギリまで減らそうとし始めた頃から──自分から病があることを言うのを避けてきていましたが、今日は倒れてしまいました。

 言っていいことなのでしょうかこれは。

 現実に肉薄しているように感じます。

 ただ、倒れたわけなのですが、突然に電車の中で倒れたとか、職場でいきなり意識を失ったというわけではありません。急激に倒れたというならば、恐らく今頃はどこかの病院で入院しており、今こうやって文章を打つことも出来ないと思います。

 「多分倒れると思います」と言って倒れに行きました。もちろん倒れました。ベッドの上で。昼休みに変な汗が流れ始め、頭がガンガンしていて。「これは倒れると自覚したほうが良いな」と感じました。ベッドの上では「私は障害者でした」という気持ちが強く起きてきました。そうだった。自覚が足りなかったのか、と思いましたが、職場に復帰した後は「寝不足です」と言ってしまいました。普通の人の寝不足とは違うような気はしていましたが、長く話すこともしませんでした。

 元々の土台がへぼいということをひしひしと感じました。正直、職場に戻っても会話をする力も残っていませんでした。黙々と作業するしか無かったのですが、「井上さん大丈夫ですか」と問われ「大丈夫です」としか言えず、「本当に大丈夫ですか」と二度目を問われたら、何も返事を返すことが出来ませんでした。

 声が出ませんでした。頭が回りませんでした。何が言いたいのか、何を言いたいのかも自分でも分かりませんでした。もっと斜に構えた感じで人生を生きたいと思っていたのが、全く斜に構えることも出来ずに、クールぶることも出来ずに、何も喋れない自分がいました。どもるという障害が起きたのかもしれません。もう何も会話が出来ません。そのときに初めて「これが障害者か」と自分で自分を自覚しました。

 もうちょっと普通に生きたいと思っていたのですが、自分はもうちょっと普通に生きれると思っていたのですが、自分は障害者以外の何者でもないという結論。自分が取った行動は身体の弱い人間が取る行動そのものだったという紛れもない事実。その事実を受け入れるためには、自分が自分に対して「障害者」のレッテルを貼るしかないと結論付けました。

 出来るだけ迷惑を掛けないように生きたいと願っていましたが。

 倒れてしまう自分が現実におりました。

 コンサータ錠を飲んでいて、ドーピングのような生活をしているはずなのに。

 それでもダメでした。

☆☆☆

 今日の話はここら辺で終わり。続きはお風呂場で思い付いたことです。つなぎ方が全然分からずに、☆☆☆で区切る真似しか出来ませんが無理矢理章を変えるという力業で文章を綴っていきましょう。

 一つはでこぼこフレンズって、発達障害の仲間たちって意味なのかなと思いました。でこぼこフレンズを知っていますか。私はハッチポッチステーションの世代なので深くはよく知りません。ただ、名前がでこぼこフレンズって暗示があるんじゃないのとか思い付いてしまいました。私はNHKが大好きです。NHKを批判する気も微塵も無く、NHKを馬鹿にする気も微塵もありません。ただ思い付いてしまっただけです。

 でこぼこフレンズって名前、良い名前だなと思いました。私も仲間です。友達になりましょう。

 次ですね。井上和音さんの名前って、inouekazune さんなので、i で始まりe で終わるということで。そういう意味だったのですね。数学で考えてみると、うつろで始まり自然に終わるという意味だったのかなと思い付きました。そんな意味があったのですね。知りませんでした。

 思い付いたことが全部終わってしまいました。

 実は二個目のネタは嘘です。嘘も真っぽければ真になるのかもしれません。今まで井上和音は3ひねりと言っていましたが、新たに4ひねりが加わりました。おめでとうございます。

 帰ってからも本当に具合は悪く、ごろごろ寝ていました。電車の中では倒れる寸前でした。なんでこんなことになったかと言うと、昨晩の夢が「またこのタイプの夢か」と思うのと同時に、「意味不明な夢だ」とも思いました。

 また職場の人が夢に出て来ました。舞台は謎の学校。通ったことも無い校舎の廊下にいました。その職場の人が夢に出て来ましたが、「また出てきたか」と思いました。夢のはずなのに判断力を付随した自我が存在していました。「はいはい夢です。こんなの否定しましょう」と無理矢理起きてみたら、レンドルミン錠で脳内をガチガチに固めていたにもかかわらず起き上がってしまい、ぐらぐらふらふらしながらトイレへ向かいました。何時なのかも分かりません。目を開けることも出来ません。ただ、トイレに行き、また横になると明らかに浅い眠りの中を彷徨さまよっていました。

 次に目を開いて時計を見た時には午前六時半でした。青いカーテン越しに外から美しい朝の光が部屋に刺し込んでいました。美しいなと思ったのと同時に、ごろごろしていました。そこで起きようと思えば起きれるほど起きていました。しかし、ごろごろとしていたら、次に目が覚めた時には午前八時半でした。

 ほぼ遅刻確定。

 なぜ私は午前七時頃からが一番眠くなる時間帯なのか。まだ睡眠障害は治っていないのか。急いで起きましたがストレスと一番眠い時間帯に、無理矢理にコンサータ錠を飲んで、発汗と焦りと眩暈めまいとで立ち上がることも出来ませんでした。きつかったですね。

 普通の人の普通が普通にきつい。

 脳の血管がはちきれんばかりにどくどくどくどくと頭を押さえ付けてきました。

 多分私はどうしようもなく睡眠障害者なのでしょう。

☆☆☆

 夜は『プロフェッショナル仕事の流儀』を観ました。チャイルド・ライフ・スペシャリストの方の特集でした。子ども達が小児がんに侵されている病棟の取材でした。自分と比べてはいけないと思いますが、自分の閉鎖病棟での入院生活を思い出しました。

 その子供たちの懸命に生きる姿に、自分も頑張って生きていかなければいけないなと強く思いました。本当に自分なんかと比べても仕様がいないかもしれません。

 ただ、京大病院西病棟の閉鎖病棟の中で、ヨガインストラクターの方が私を外に連れ出して京大病院の外周を散歩したりしたことを思い出しました。「ほら、あそこがiPS細胞の研究所だよ。山中伸弥教授はよく京大病院の周辺をランニングしてはるんよ」とか散歩中に教えてもらったこととかを思い出しました。

 夏の思い出の灼熱の中、近くの鴨川流域で裸足になって鴨川で一緒に涼んだことも思い出しました。二人でのんびり過ごしていました。

 そういえば、こういうイベントって普通患者を団体で連れて行くのが主流なのではないのでしょうか。なんで私は個人で許可が下りたのでしょうか。京大病院西病棟のお医者さんはなぜ。

 こんなことを書くと、私は特別だったと思われるかもしれませんが、もしかしたならば本当に特別な対応だったのかもしれません。なんででしょうね。

 私は幸せ者だった。最大限の幸せを京大病院西病棟のスタッフの方々は用意して頂いたのかもしれません。お医者様にしても看護師さまにしても、ヨガインストラクターの方にしても、誰にとっても統合失調症という病気に対しては、憂慮して苦慮して綿密な対応をしていただいたのかなと思い返して感じるようになりました。

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