【考察】異世界転生系の物語はなぜ読まれるのか

 2022年8月19日(金)。仕事が楽しかったのは昨日までで、楽ではあったけれど「ああ仕事ってこんな感じだったな」と連勤をして初めて、というか久しぶりに仕事の、いつもの感想を感じた。

 朝からコンサータを飲んだら吐きそうになった。胃に穴が空いたかのような激痛に襲われたが、禁忌の薬の副作用である。7年近く飲んでいるが、よくあることだと思い辛抱した。自分の能力にはない究極な集中力を与えてくれる代わりに、そのうち胃に穴が空きそうな気がする。胃に穴が空いて、吐血して、入院してコンサータが禁止になって、私の人生は終わりそうな気がする。

 10時間近く経った夕方なのにまだ胃が痛いっておかしいでしょ。笑って。

 暑くてねえ。通勤だけできついものだが。帰りもきつかった。電車は満員電車。なんか、溶けるように私の人生も終わりそうな気がする。生きてるだけで儲けもんなのかもしれないが。

 職場では出勤抑制が始まった。遅すぎる気がするが、まあ、そこは田舎。リモートワークのリの字もない。ましてやパートタイマーにリモートワークなどあるわけもなく、コロナにならないように注意しながら電車通勤を続けなければならない。

 私は出勤抑制の対象ではない。いてもいなくても変わらないような気はするが、リモートワークになったところで何もすることが無い。サーバーにアクセスすることすらできないので、何もできないに等しい。

 異世界転生の物語がアニメ化されるらしい。私が間違えていた。カドカワさんは異世界転生をとにかく推しまくることに集中した。その前に物語を書いていない私は完全にカクヨムの使い方を間違えていた。noteに書きなさいnoteに、と言わんばかりに、noteのPV数がカクヨムのPV数にある程度の勢いを以って追いかけてくる。

 例えば。

 統合失調症が酷い時期に物語を書いていたとして、誰も読まなかったと思われる。すなわち、どう転んでも私が成功する未来などカクヨムには無かったし、想像力を必要としていないブログをただ書き続けることしかできなかったが、それは、資産にもならずに、統合失調症っぽいことも徐々に無くなり、一体何の日記なんだと思われんばかりの、ただの自己満足で終わっていたのだと思う。

 推察するに、カクヨムで異世界転生小説が書ける人はものすごいブラック企業できたわれた、需要にマッチする文章を、本当にこの世から抜け出したいくらいの気持ちを以って書いているのだと思う。ウェブ上に転がる異世界転生系の小説を無料なので徹底的に研究し、読者が何を求めているのか、何が受けるのか、趣味とか関係なしに仕事として最初から書いていた、能力の高い人たちが書くので、小説も成功するのだと思う。

 大学院生とか。起業しながらこっそりと小説も書いていた社長さんとか。イメージはそんな感じで。全ては計画通りという感じだと思われる。長期的な目線も持っているイメージがある。自分に合わないことでも需要の為ならば何でも書くような、そんなイメージがある。けなしているのではなく褒めている。全てを投げうって小説に、更に言うならば売れる、生きていくための《《お金になる小説》》を書ける能力というのは、そうそうな人が持てるものではない。

 私に関しては完全に趣味である。統合失調症という天からの授かりものを、少しでも共有してほしいという子供のような願いから始めた、ただの趣味である。頭が良くないので小説が書けない。面白い小説が書けない。でも良いような気がする。統合失調症になると起こること(雑記ブログ)を書いている自分は嫌いではない。なんとか運命に抵抗しようとする姿そのままを書いているつもりだ。

 ツイッターを見てみよう。

☆☆☆

 「徐々に認知機能障害が進み、ブログで何が言いたいのか分からなくなってきている私は、日本版リアルアルジャーノンに花束を、を書いている途中なのかもしれない」

 「アルジャーノンに花束を、読んだことないです。申し訳ないです。」

 「母親に「フォレストガンプって知ってるかい?」と聞かれ、多分それを目指せみたいなことを言いたかったのだけどフォレストガンプみたいな体力はない」

☆☆☆

 アルジャーノンに花束を、を読んだことは無い。ただ知的障害者が治療を受けて天才になり、最終的にはまた知的障害者に戻っていくというストーリーらしいことは知っている。または知的障害のほうが豊かな人生を送れる、みたいな話だったような気もする。全く違ったら申し訳ない。

 私は本物の統合失調症患者で、ある程度、読める程度には文章が書けているような気がするので、私は私が書く意味は、書いたものを残しておく意味はあるような気がする。既にあったら申し訳ないが、それらは統合失調症を総括したもので、毎日毎日、ミクロを書いている文章はあまりないような気がする。

 なぜ統合失調症患者が奇妙な反応を見せるのか。なぜ発達障害者が怠けた態度を取りがちなのか。なぜ空気を読むことができないのか(誹謗中傷ではありません。私の実体験のみを指しています)。それを、ミクロで書いていくことには意味があるような気がするのだ。

 ただ暇がある、というのも見逃せない事実なのだが。何もしないよりも何かを書いていたほうが、何かを発信していたほうが、何かを残し続けたほうが、幸せな気がするのだ。ただそれだけだ。

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