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私の病は「この世にある全ての記号が暗号に見えてしまう奇病」

 2023年2月21日(火)。21時19分。

 こんにちは。井上和音です。眠いですね。明日も仕事ですね。仕事というのは忙しくなったり忙しくなくなったり。忙しい時は逆に時間に忙殺されて何も覚えていないというか、実際は毎日こんな感じだったら眠気とか無いのかもしれないけれど、その分ストレスは溜まってしまうのかなとか感じた今日の一日でした。

 信頼してくれている人ほど、自分に仕事を振ってくれます。長いこと仕事をしていますが、長いこと付き合いのある人だけが私を信頼してくれて、結構重要な仕事とかを任せて頂いております。新しく来た人などは、井上さんをどう扱っていいのか分かっておらず、とにかく適当に封筒の枚数を延々と数えさせるとか、扱い方というか、私がどこまで。もとい。私はどこまで追い詰められても精神的に大丈夫なのかを計りかねているのかなと思います。

 障害者として見ているか、仲間として見ているか。「意外と井上君って使えるんだよ」みたいな感じで、もっと自分をアピールすべきなのか。それともただ黙っておくべきなのか。昔の井上さんはもっとオープンだったというか。昼休みも一人で別室でご飯を食べるような人間ではなかったような気がします。

 新しく来た人達からはどう扱っていいのか分からない状態。そもそも井上さんって誰? という状態。

 仕事の話は終わり。

 眠いですね。朝が早いと一日中眠いですね。お風呂場の中で、犬養いぬかいつよし首相と青年将校とのやり取りで。

 「話せばわかる」
 「問答無用」(ピストルをスチャッと構える)
 「話にならんな」(日本刀でいきなり青年将校を切りつける)

 とかのやり取りになっていたら、なんか西尾維新先生の作品に出てきそうな、文武両道な歴史に残る瞬間になったのかなとか思ってしまいました。

 お風呂場で思い付いたことはただそれだけ。

 チコちゃんネタも思い付きました。

 「ねえねえオカムラ~。なんでNHKnews7では、NHKが放送権を獲得しているスポーツの取材しか報道しなくなったの? これなんで?」
 「え。ええ……」
 「多分ですけど、(正解)」
 「つまんねえヤツだな~」

 もはやTwitterにでもつぶやいておけとしか言いようのない。くだらなくて。だけど、スポーツの例えばプロ野球とかJリーグの速報を流さなくなったのは何ででしょうか。もしかして結果を伝えるだけでも放送権料がかかるとかそういう仕組みになってしまったのでしょうか。

 眠いですね。徐々に寒くなってきました。私の発達障害のネタがぽんぽんと出てくる現象も終わりを告げてしまったのでしょうか。

 今日の仕事は忙しかったと言いましたが、家に帰って手洗いうがいをしていたら、鼻血がぼたぼたと出てきました。鼻血と打って、予測変換候補に「鼻血ブログ」と出てきたのですが、鼻血ブログってなんなんですか。

 有名なブログらしいですね。錦織選手を応援するブログらしいです。予測変換に出るくらいですから相当有名なブログなのですね。

 花粉と長い前髪と、コンタクトレンズと、もうまぶたが開きません。まぶたが閉じたくて閉じたくて仕方がないかのように。眠いのかこれは。これはですね。発達障害というか、睡眠障害の人にあるあるの出来事なのですが、まぶたを閉じたがる現象と、脳が疲れている現象とは実はリンクしておらず、しかしながら、まぶたを閉じたくなる現象と、身体に残る疲労感というのはリンクしていて。要は、「身体がきつくて布団に入ってみたけれど、脳内で色々なアイデアが思い付いて全然眠れやしないや」みたいな現象に襲われる奴ですね。本当は脳は疲れていないのだけれど、眠いという。脳がおかしい人あるあると、前髪が長くて目に入ってくる人あるあるの現象だと思われます。

 坊主頭にしたい。雑念にとらわれずに概念の中だけで生きていきたい。全て概念を得るためだけに行動したい。そんな直線的な欲望を持っていた大学生時代は、髪も自分で切っていて、たまに坊主頭にしたりして。とにかく概念を、概念を追い求め続けていました。追求というか追究レベルまで。成長の邪魔になるものは一切排除。小説家になるためには文字という文字に溺れて、何が感動出来て、この世の仕組みはどうなっていて。この世界にある単語を延々と集めていきたい。そのためには肉体なんてどうでもいい。食事にも気を使わず、睡眠サイクルも概念を取り入れやすい、夜中に起きて、午前3時くらいに寝る。深い睡眠をとるために、カーテンは遮光カーテンで。真っ暗の中を寝ていました。起きると大体午前10時くらい。そこからシリアルコーンやら、ルヴァンクラッカーとかを適当に食べて。食器は洗うのが面倒だから全て百均で買った紙皿や紙コップ、プラスチックのスプーンや割り箸を使って食べていました。

 概念を延々と追っていました。

 その果てに統合失調症になりました。

 統合失調症と言えども。私の統合失調症はなんなのかと問われると「この世にある全ての記号が暗号に見えてしまう奇病」という一言でまとめられます。何これ。探偵漫画か何かに出てくるサイコな助手役の女の子が持ちそうな、漫画の設定ですか、とか思われそうなのですね。はい。「この世の全てが暗号に見えてしまう奇病」というのは実際にあるのです。あるのです! 私がそうなのです! そうだったのです! 今は無視していますけれども! 疲れますよ。全部が暗号に見えるって大変ですよ。例えばブラタモリなんかで「テレビなんか見てないで、どこかに出かけに行こう」とか言われたら、「ああ。テレビを観ていないでブログの執筆に取り掛からなければいけないのだな」とか思ってしまいます。ブログを書いていない時には「テレビを消してどこかに出かけてみたら、そこで待っている謎の人間とコンタクトするんだ」とか思ってしまいますからね。

 「世界の全てが暗号に見える奇病」から「疲れやすい発達障害も持ったどぐらさん」という状態に変わりつつありますが、生きていく中で自由度が増していけば増すほど「この世の全てが暗号に見える奇病」のほうは強さを増していきます。私は自由になりすぎてはいけないのです。また閉鎖病棟に行くのはもう嫌ですから。

 特に書くことが無かったから、久しぶりに統合失調症についてがっつり書いてしまいました。幻聴が聞こえたりすることも、実は少しずつ減ってきたりしてきたりしていて。統合失調症になってからもう5年ですからね。

 「この世の全てが暗号に見える奇病」が統合失調症の一言でまとめられることが出来るのか。本当の精神疾患の分類の中に「この世の全てが暗号に見える奇病」という病気が、病名があるのか謎ですが。もしかしたら健常者の人の中には「なにそれ! 毎日が、瞬間瞬間がパズルってこと? 延々に謎解きゲームの中にいるってこと!? めっちゃ楽しそうじゃん!」と思われる方もいるかもしれませんが、私も最初は楽しみました。何かに選ばれているからこんなに世の中に暗号が散りばめられているとか思っていました。ところがどっこい。暗号に見えるだけであって、暗号を解いたからと言って、何かしらの報酬があるわけでもなんでもないのですね。それでも続く暗号の山! 山! 山! 全ての現象が、何かしらの意味を持って自分に暗号を伝えているかのように感じます。遠くでパトカーのサイレンが鳴ったら、「自分の行動に対して警報を促してくれているのだな」とか思ってしまいます。サイレンと私の間には、実はなにも関係が無いというのに。パトカーのサイレンとかで耳をふさいで「わー!」とか取り乱してしまう統合失調症患者は、自分と同じような思い込みに陥っている可能性もあります。

 一度この世の全てが暗号に見えてしまったら最後。延々と暗号に見えてしまいます。自分でも意味不明なのですが、この奇病に対抗する唯一の術は、諦めること。暗号なんて無いって冷めた目線で暗号を見過ごすこと。もう一つの有効な手段は、自分で自分の自由をある程度束縛すること。そうしたら変な行動に移したり出来なくなりますからね。だから、「この世の全てが暗号に見える奇病」ないしは「統合失調症っぽい症状」が表れている人ほど、軽めでいいから働いて、自分の自由を束縛することをお勧めします。自由すぎる状態というのは実は非常に危険な人生を歩んでしまう可能性を含んでいます。ほどほどに働きましょう。障害年金とかも申請しておきましょう。「この世の全てが暗号に見える奇病」とは一生付き合っていかなくていけない、奇病そのものですから。

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