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【心理哲学】死にたいと思ったことはあるか?

 死にたいと思ったことはあるか?

 いきなりなんの話だと唐突に思われるかもしれないが、死にたいと思ったことのある人は、おそらく2種類いるのだと思ってきた。

 少し話は逸れるが、心理学者のフロイトの全集を大学時代に読んでいた時に記憶に頼るので原文ママの引用というわけにはいかないが、このようなことを言っていた。

 『人は誕生する前は時間にすれば99.9999%以上を物質として過ごしてきた。有機体となって生きている時間は、ほんのわずかな時間に過ぎない。それでいて、人は必ずまた無機物の物質へと戻ることが運命づけられている。すなわち、人が持つ希死念慮は時間的には、ほぼ全ての時間で過ごした「無機物への衝動的な回帰願望」はあって当然と考える』

 私は統合失調症になる前はよく「死にたい」とツイッターに書きながら、金銭的には何不自由ない生活をしていた。発達障害で、眠気が止まらず、結局強制されてきた努力は、注いできた時間は全てが無駄になる経験などを踏まえて、「死にたい」などと簡単につぶやいてきた。簡単に言えば欠陥商品というか、薬を飲んで初めて人として普通に生きられることを後から知ることになるのだが。

 そして統合失調症になった。

 世の中の全てが暗号になった。

 自分は選ばれていて、いつか特殊な職に就くことができるための試験に置かれているのだと思い始めた。
 
 本当に公安警察のスパイになるための特殊な訓練か何かだと信じ込んでいた。もしかしたら今も信じ込んでいるのかもしれない。今でも特殊な、ありえない出来事は次々と起こる。

 そして、暗号で期待をかけられて結局のところ何も起きない、どころか最低限の生活だけが維持できる状態に陥り、朝も早く起きなくてはいけなくなり、普通の人になりながらも、進学校に行き、2浪もし、そこそこの私立大学に行き、その果てに待っていたのが統合失調症という、この世の全てが暗号に見える奇病にかかり、簡単に言えば「死にたい」と簡単に考えることは無くなった。

 どうやったら、生き延びることができるか、そのことだけを考えていた。

 そして、全てを諦め、人が言う通りに生きていくしか手段が無くなった。食べたいもの。見たいもの。聞きたいこと。テレビの番組も、何を買うかも、どんな職に就くかも、全ては運命であり、その運命に乗っかって行くしか方法は、生きる方法は無いと考えるようになった。

 統合失調症になって4年が過ぎた。

 話を戻すと、人生に不満があったスマートフォンの機種をついに変えることにした。パートタイマーでたまったお金で分割払いで買った。通信費も自分で払うことにして、簡単に言えば「生活上不満に思っていたことを《《自分の判断で変えることに成功した》》」と言える。

 生活上、不満に思っていたことが消え去ると、人は何を思うのか。

 冒頭に戻ると「死にたい」とふと考えるようになった。実際に死ぬわけではないし、死にたいわけではないので安心して読んでほしい。

 新しいスマートフォンを買ったことにより、人生が完結したかのような錯覚を覚えたのだ。「不満が無い。これ以上の幸せは考えられない。これから先は不幸しか起きない。苦しいことしか起きない。何も不便がないからこそ、今のうちに」という思いで、簡単に「死にたい」と考えてしまうようになった。考えるというか、何かをミスしたときに「死にたい……」と考えてしまうような軽いものだ。

 何度も言うが希死念慮が襲ってきているわけではないので、安心してほしい。

 冒頭で、死にたいと思う人は2種類いる、と書いたはずだが、もう一つの「死にたい」と考える人は本当に人生に苦痛しか無い人だ。こちらのほうの「死にたい」は本当に切実な思いだと思う。もう願いに近いものかもしれない。

 例えば、難病にかかり、永遠に身体中の激痛に耐えなければいけない人生になってしまった人などは、激痛を取る方法は死ぬしかない、となると、本当に死んでしまいたいと思うようになるだろう。切実な願いだ。この世は残酷で、いずれほとんどの人がこのような死を望むほどの激痛に襲われながら死ぬことがある。漫画やドラマにあるような、最期に一言残して死ぬ、などということはまず起こらない。激痛と戦いながら死んでいく。

 とまあ、2種類の「死にたい」と考える人のパターンを見てきたが、もしもあなたが「死にたい」と考えているならば、もしかしたらばパターン1の、「もう満足しきっているから死にたい」と考えている死にたい人なのかもしれない。そういう人はパターン2の「死ぬしか苦しみが抜けないから死にたい」と考えている人が大勢いることを考えてみよう。私も一瞬だけ「死にたいな」と考えてしまったが、それは人生が満足しきっている状態であり、とても幸福な「死にたい」であることを心に留めておいて欲しい。

 人が死ぬのは勝手ではない、というのも最後に残しておきたい。

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