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障害者雇用のパートタイマーで時給が1000円を超えました。何があっても職場にかじりついた過去の自分に感謝の意を表します。

──『よーく考えようー お金は大事だよー うーう うーう らららー「(生命保険株式会社の名前)」』──
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 2023年12月5日(火)。21時13分。明日は休みの日。精神科に行きます。

 こんにちは。井上和音です。

 ツイッターでお返事をくれた透明な烏さんは、もしかしてこの前会いませんでしたか? と聞きたくなりますね。
 
 この発言は無かったことにしてください。

 冒頭言から書いています。子どもの頃のCMで「よーく考えようー お金は大事だよー」と子どもが合唱したあとに「Aflac!」と大きな声で自社の名前を言うものがありましたね。幼い頃は学校で「あのCM当たり前のことを言いすぎじゃないのかな」とか「何の宣伝にもなってなくない」とか子ども同士で言い合っていましたね。生命保険とは何かも知らなかった小学生時代のお話ですね。

 今考えてみれば「よーく考えようー お金は大事だよー だから私たちに生命保険はお任せください。生命保険レディに惑わされないで外資系企業の私たちを信用してください。さあ早く私たちにお金を!」と言っているような感じなので少し狂気じみた何かを感じます。使用しているタレントも子どもたちでしたからね。「子どもでも分かることを日本の大人の貴方たちはまるで分かっていない」と通告されているようで、また狂気じみています。

 Googleで調べてみたらAflacで合っていましたね。検索候補でも「怖い」とかが入っていますね。というか、2023年の今でも同じようなCMが流れているらしいですね。あれ。子どもの頃の記憶だったはずですが。

 お金は大事だよというわけで。今日出勤してすぐに呼び出されました。「朝からドラマを観ていたら電車に遅れそうになった」とか至極どうでもいい話をしていたら急に一人呼び出されたので注意かなと思いました。

 時給が上がりました、の連絡でした。ツイッターに書いているのでここにも書きますが、時給1020円に上がりました。

 遂に来ました、四ケタの大台。1000円を超えたということがまず嬉しかったですね。春闘とか参加していませんが、「私の目標は1000円や!」と心の中で思っていたところ、最低賃金が更新されたときには音沙汰なしだったので、「まあ、人生ってこんなもんよね」とか思いながら粛々と生きていました。最低賃金が更新されたときに「はて。巷の障害者雇用はどれくらい賃上げがなされているのかな」とか思ってわざわざ職業安定所まで行って資料をもらいましたが、どれもこれも最低賃金の898円! 障害者だから仕方ないよね! みたいな空気がその一覧から滲み出ていましたね。ええ。898円よりかはまだ時給が高かったので「賃上げはなかったけれど、それでも作業所よりかはまだマシか」と世間の障害者への厳しさをひしひしと感じました。なので、賃上げが無くともそれほどショックは大きくありませんでした。

 900円超えているだけマシかなと思っていました。短時間労働の障害者雇用のパートタイマーで自由に使える時間があるのもまた良い人生なんじゃないのとか思っていました。

 普通に賃上げを諦めていたので、時給が上がったと聞いた時には驚きました。非常に嬉しかったです。障害者雇用の一覧表を手にしているので分かりますが、パートタイマーの身分で障害者雇用において時給1000円を超えていたのはユニクロだけだったのを覚えています。今さら地域名を隠すのも馬鹿みたいと思うので言いますが、熊本県の障害者雇用ってそんな求人くらいしかありませんでした。

 これが現実。これが世の中。

 で。時給が上がったと聞いて、1020円と聞いた時に何が嬉しかったかと言うと、単純に「自分が選択した道は間違っていなかった」と思えたことですね。比べたらあまり人として良くないかと思われますが、作業所よりも圧倒的に恵まれています。すみません。ただ、この恵まれた条件を手に入れることができたのは、どんなに仕事ができなくても、どんなに眠くなったとしても、どんなに倒れそうになっても──実際に体調を崩して何度も倒れて有給休暇を消費しましたが──、どんなに惨めったらしくても、どんな手を使っても決してこの仕事を辞めることはしなかったという毎日の選択の結果が、たまたま今日の時給の賃上げに繋がったのだと思っています。別に賃上げがあるから頑張ったとか食らいついたとかではありませんが、人間は今いる環境に不満を持ちがちな性質を持っていると分かっているので、ここ以上に恵まれた条件は他にはないと自分に言い聞かせながら毎日職場でたたずんでいました。

 東京とか大都会で働いている人からしたら時給1020円の何が嬉しいの? と思われるかもしれません。障害者雇用で週4日在宅勤務で、週一日だけ会議に出席すれば良いという恐ろしいような障害者正規雇用があることも知っています。テレビで紹介があって「私よりも恵まれている障害者は都会にはごろごろいるなあ。羨ましいなあ」と思わない日はありませんでした。じゃあ東京に行くかと聞かれたらそうはしませんでした。在宅勤務とかで働くかと言われたらそうはしませんでした。ソーシャルワーカーさんに言っていた自分への約束事として「続いていることを辞めてはいけない」というのを自分に言い聞かせていました。このブログもそうですけれども「毎日続けていることを何があっても辞めてはいけない」と言い聞かせています。グリッドというそれだけを信じていました。今も信じています。ただ続けること。それ以外に何か特殊な技能があるわけでもないことも承知の上でしたので、考えずに続けることだけをやってきました。

 ただ辞めないことだけを選択し続けたので、たまたま物価高や賃上げの風潮、その他外的要因によって時給が上がってくれました。これは自分で手に入れたものでは無いのかもしれませんが、自分がその時給に立つことになったこと、それだけは事実。

 よく辞めないでくれました。周りが何と言おうと「自分は充分に恵まれている」と言い聞かせることができました。そこだけが嬉しいのです。果ての無い選択の結果、立っているそのことが嬉しいのです。日々生きて選んできた人生は間違っていなかった。それだけが嬉しい。

 職場でニックネームっぽいものが付いて、「いのくん」と呼ばれるようになりました。もちろん「いのくん」はそれっぽく変えてあり本当に「いのくん」と呼ばれているわけではありません。少しずつ馴染めていければいいのかなと思います。

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