見出し画像

閉鎖病棟内で突然死した青年の話

 2022年11月20日(日)。20時42分。カタールワールドカップが開催の日。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 カタールワールドカップが開催と言えども、実際の試合開始は明日の午前1時なので、開催式は今日、2022年11月20日にあるのですが、肝心のサッカーの初戦のキックオフは、明日、2022年11月21日にあるのですね。ややこしや。

 日本も頑張ってください。森保一監督には、先発から三笘薫選手を使ってください。私からはそれ以外に何も求めてはいません。敗退が決まったあとのスペイン戦で、ようやく三笘薫選手がワールドカップデビューとかなったら、「ま、世の中って自分の思い通りにいかないよな」みたいな感じで、ますます卑屈になってしまうでしょう。

 NHKのBSでやっている、サッカーワールドカップ名場面集で、2018年ロシア大会ベスト16、日本vs.ベルギーの試合が今日もあっていて、既に今週だけで3回くらい観たような気がします。あの頃のサッカーはやっぱり……あんまり言いたくはないのですが、本田選手や香川選手は特別な待遇過ぎたのでは……とか思ってしまいます。コロンビア戦で結果を出したのはいいのですが、ベルギー相手だとほとんどどこにいるのか分かりませんでした。原口選手と乾選手と柴崎選手。その三人で決めたゴールのような気がします。スプリント回数が多ければ、なんとか代表にこぎつけられるような、そんな時代だったのかなと思います。

 サッカーも進化しているのでしょう。日本はどこまでいけるのでしょうか。案外凄いところまで行ったりして。仕事で観れなくなり、サッカーよりも体調を気にしなければいけなくなった大人になって、ようやく興奮するような時代がやってくる──。そんな悲しい運命を神さまは突き付けてきているような、そんな気はします。

 そんなわけあるかい。観たきゃ観ればいい。自由だ。それを忘れちゃいけないよ。
 観たくても観れなかった、四年前の閉鎖病棟の日々とは大きく違うのです。

 サッカーワールドカップがこのままずっと続いていくのならば、四年に一度というサッカーの祭典が、自分にとっての統合失調症と戦い始めての節目となる年になります。そう、四年と半年前ですよ。あの、統合失調症の悲劇的な事件が起きたのは。四年しか経っていません。もっと長い過去のような気がします。この四年間で、結局は一度も閉鎖病棟に戻ることはありませんでした。自傷行為に至ることも、自殺未遂を起こすこともありませんでした。ただ、『諦めた』という感情と共に、重い体を引きずるように毎日を生きていました。そう、生き抜きました。人権度外視で閉鎖病棟に突然ぶちこまれ、何もしていないのに部屋から一歩も出ることのできなかった、あの日々。地獄。死ぬこともできない。生きているから知れる天国か、もしくは地獄か。

 閉鎖病棟で突然死することもあります。私が閉鎖病棟に閉じ込められていたときに、──まあ、隔離室から解放された後ですが──、ある青年が閉鎖病棟内で息を引き取りました。何も喋らない青年でした。夜中に、眠れないから睡眠導入剤をもらいに行くと、その青年は吐きながら廊下を歩いていました。ああ、眠れないから睡眠導入剤をもらいに行ったのではなくて、何か廊下が慌ただしいから、目が覚めて、見に行ったのでした。

 その青年は、吐きながら廊下を歩いていました。
 相部屋の人が、「何か様子がおかしいから、看護師さんに声を掛けたんだよ」と言っていました。

 次の日、その青年がいたかどうかは覚えていません。その青年とはよく卓球をする仲でした。声は出さないけれど、ラケットを二つ持って、肩をとんとんと叩いて、「やらないか」みたいな表情で、卓球を誘ってくれました。意外と強かった思い出があります。こっちが、「もういいよ。充分やったよ」と言うまで、ずっと卓球をやるような、タフな体力の持ち主でした。私が卓球をやめた後も、一人でピンポン玉をサーブする練習をずっとやっていました。

 その青年が、いなくなりました。

 数日後、閉鎖病棟の外で、誰か女性が、泣き崩れる声がしました。閉鎖病棟内を散歩するのが日課──というかそれ以外にやることがないので、散歩しかしていませんでしたが──だったので、閉鎖病棟内にも聞こえるくらいの、泣き叫ぶ声で、様子を遠くから見てみると、まさに、泣き崩れる、という表現が正しいほど、床に顔を付けて、他の家族から肩に手を添えられて、泣き崩れていました。

 その数日後。閉鎖病棟の医長が位牌を持って、全ての医師と看護師が一列にずらっと並び、無言で行列を作って歩いていました。その時はテレビを観ていて、周囲にはおじさんとかもいて、何が起きたのか誰も知らなかったのですが、あるおじさんが「知らないほうがいいこともある。関わらないほうがいいこともある」と言っていました。

 色々な事象を組み合わせて、恐らくは、あの青年が突然死したのではないかと結論付けました。精神病は突然死します。あの場面に立ち会えたのは、良い経験になったのかもしれません。

 あの青年は、もっと自由に生きたかったのではないか。いや、そんなワガママも持たないような、優しさの塊のような青年でした。自分の欲というものがあまりなく、言葉にすることがまず無い。吐くほど苦しい何かに犯されていても無言でした。

 閉鎖病棟で亡くなりました。

 よく入管とかで亡くなるニュースを耳にしますが、閉鎖病棟でも相当な病気でもない限り、閉鎖病棟から出してもらえることはありません。無罪の人々の牢獄と言ってもいいのかもしれません。入りたくて入った人は、一週間として持ちません。どこかへ行ってしまいます。それくらい自由のない空間でした。どんな年齢の人であれ「新人が入ってきた。この人は何週間持つかな?」みたいな雰囲気で見ていました。欲求の心を殺さないと、閉鎖病棟では耐えうることはできません。一種の強烈なメンタルトレーニングのように感じました。

 いつの間にか、今日やったことを振り返らずに、2500字以上書いてしまいました。いけませんね。過去に起きたことを無心で書いていると、いつの間にか2000字を超えてしまいます。今日やったことを書きましょう。タイトルは無心で書いたことをタイトルに書こうと思います。

 今日やったこと。公務員試験の面接カードを書いていました。終わり。

 一日かかりました。休日なのに仕事をしたみたいでぐったりしました。ほどほどに、力を抜いて書いたつもりです。これが自分のベストパフォーマンスです。『力を抜いて書いた』と言っても、実際に面接試験を受けて、落ちたら、それはそれは悲しむのだろうな、というのも目に見えています。やってもやっても、人生の扉はこじ開けられない。開いてしまったら、開いてしまったで、「自分は不幸だ」とか思ってしまうのが人間。開かなくて「自分は不幸だ」と思うことが多いのが私の特徴ではあるのですが、パートタイマーの扉はもう開けていて、それだけでも充分幸運なのです。

 ところがどっこい。次の扉が開かなくとも、「自分は不幸だ」と思うのが私です。それが人間なのかもしれません。行動したのに結果が得られない。それを何度も繰り返してきました。

 悔しさに悔しさに悔しさを重ねて、一応今の自分があります。落ちたらまた悔やむのは分かっていますが、行動しなければ、諦めてしまえば人生は面白くありません。変化をくれるチャンスがあるのならば、それを繰り返すだけ。そんな気がします。

 相当悔しがるとは、思いますが。

よろしければサポートをお願いします。