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国際結婚したら義理の母が4人いた話【香港】

日本では「多様性」が頻繁に話題にのぼるようになりましたね。
27年前、香港で暮らし始めた私は、今までの常識とはまったく違った多様性の中にどっぷりとつかることになりました。

香港は、多文化、他民族な人たちが集まった都市。 全人口の約95%が中華系ですが、その他フィリピン、インドネシアなど様々な国籍の人々が暮らしています。しかし、中華系といっても出身地や文化、言語は多様で、香港の中でも異なるコミュニティが多く存在しています。

そんな香港の中にあって、我が家は多少変わった環境の中にある家族でした。


▪️知らなかった香港・知らなかった家族の存在


一夫多妻制と聞くとみなさんはどんなイメージを持ちますか?

私は、一夫多妻制は大富豪のものでというイメージで、日本では過去のもの。また、遠い異文化の国のことのように感じていました。全く自分には関係がないと思っていました。

日本では1898年に多重婚が違法となり、それ以降一夫多妻制は廃止されましたが、それ以前はありました。

そして、香港では1971年まで合法でした。それ以降は違法となっていますが、今でも、”1971年以前に一夫多妻の形で結婚した場合、離婚しない限りはその結婚は法的に有効”です。

これは本当に驚くべき事実でした。香港にも多重婚・一夫多妻制が合法とされていたのです。私は1970年代生まれですから、仮に香港に生まれていたとするなら、一夫多妻制の家族に生まれていたかもしれません。そして、夫の家族はまさにそのような一夫多妻制をこの時代に残した家族だったのです。

▪️香港・マカオで有名なカジノ王

ちなみにアジアでは有名な一夫多妻の方と言えば、スタンレー・ホー氏(2020年・98歳で他界)。香港、マカオの実業家。マカオのカジノ王と呼ばれた方。彼には奥さんが4人子供は17人います。


第1婦人(故人)と第2婦人は合法的に結婚。第3、4婦人は、1980年代以降に結婚しているので、実際は法的に手続きがされているわけでなく内縁の妻という立場で迎えられました。

彼の莫大な財産を巡る家族間の争いは、メディアでも度々取り上げられましたし、多くの富を築いたホー氏の家族もやはりお金が絡むと複雑で大変な状況が生じていたのですね。でも、香港では、彼のように「お金さえあれば、一夫多妻制っていいな。」なんて、言ってた男性もちらほらいました。

▪️気がつけば4人のお義母さんがいたわたし


ある日、夫から「今日、兄に会うよ」と告げられました。

それを聞いた時、夫にはしかいないと思っていた私はとても驚いたものです。さらに「妹たちとも会う」と言われ、混乱しました。

詳しく聞くと… 実は、夫には兄弟姉妹(腹違い)がたくさんいてて、私が香港に来る前から疎遠になっていたため、これまで伝える必要がないと想っていたとのことでした。でも、私という日本人の嫁が来たという噂が広まり、親戚たちに興味が湧いたんでしょうね…どうしても会いたがっていると言うのです。

ということは、「あのお義母さん(夫の母)意外にも、お義母さんがいるってこと?」と聞くと、「あと3人の義母がいることになる」というではありませんか…

ただでさえ、強烈なお義母さんなのに、あと3人が彼女のようだったら…
正直、開いた口が塞がりませんでした。

▪️最強の義母以外にあと3人も...

義父は4人の妻と9人の子供を持ち、夫は3番目の息子でした。

最初の3人の妻とは合法で結婚し、
4番目の妻は1971年以降に一緒になった方で内縁の妻になります。
夫は第2婦人の子になり、上から3番目の息子。

第1婦人 息子・2人
第2婦人 息子・2人 ← わたしが嫁に来たのはここ
第3婦人 娘・3人
第4婦人 息子1人・娘1人

わたしが聞いたときには、第1夫人はすでに他界されていました。
第2婦人であるお義母さんは親戚中で集まる時は、なにかと力を誇示し、
自分がルールと言い、良くも悪くもまわりを大いに振り回します。
第3婦人は、優しい聡明なキャリアウーマン。
現在は引退されて、知的なおばあちゃん。
第4婦人は、とても優しくて、素朴な家庭人。

その昔、義父は10代で家を出て、若い頃は世界中を船乗りとして旅をし、日本にも何度も行ったことがあったというではありませんか(彼女もいたらしく、まだ覚えていた日本語で私に語りかける時もありました)。また、香港では、漢方の医者として活躍したというお義父さんは、只者ではありませんでした

▪️一番近いお義母さん

そして、お義母さん(第2婦人)。結婚前から「強烈な人だ」と聞いていました。自己主張が強くて、今まで彼女の前に現れた女性たちは誰一人としてうまくやっていけなかったというのです。義母を前にしては、息子たちでさえ手に負えず、人の意見など全く聞かないということ。親戚の中でも、皆一定の距離を置いています。

私は当時、まだまだ世間知らず。若くてポジティブだったので「そんなお義母さんを変えられるかもしれない」と淡い期待を抱いていましたが、その幻想はすぐに打ち砕かれました。彼女の強烈さは、私が今まで出会ってきたどんな人とも比べ物になりませんでした。が、お義母さんの予想外の行動と発言をする私は、義母にとっても興味深い存在だったよう。

実は、お義母さん(第2婦人)は中国の変革期に香港へ逃れてきたものの、元々は裕福な家庭の出身で、10人以上の召使いを従えていたそうです。そんな彼女と向き合いながら、私の香港での生活は始まったのです。

このお義母さんに私はさんざん悩まされ、離婚も幾度となく考えましたが、最期には同志と思えるようになりましたし、辛い時期には、第3、第4の義母さんには、随分とよくしてもららい、かわいがってもらいました。

▪️最後に

現在、香港では一夫多妻制も重婚も違法となっていますが、こうした家族はまだ存在しています。国際結婚をして、私のような家族形態をしている人には会ったことないし、香港の友達にもいないので…

以前、私は「こんな家族のことを話していいのだろうか…」と悩んでいましたが、今ではこの経験を残しておくことが大切だと思うようになりました。

香港はこれからも変わり続けるでしょう。家族も変わっていくでしょう。だからこそ、私が見てきた香港とその家族の語を、今後、機会を作ってはここで書き残したいと思います。

時々、覗いてくださると嬉しいです。

では!

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