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部活動の担う役割

前回の記事では、吹奏楽部の過去と今について自分の体験を踏まえて書きました。今回の記事では部活動の担う役割についてを考えたいと思います。

そもそも部活動は何のためにあるのか、僕個人の意見としては自分の好きな活動を通して社会勉強をする、というところでしょうか。

特に吹奏楽部は社会的側面が大きいと思っています、というのも部長・副部長以外にも楽譜を管理する人がいたり、各パートごとにリーダーがいて諸所の決め事に対して責任を持っていたりします。

さらに、体外的なコンサートを行う際は他校との交流、ステージ関係の方々との調整、地域の皆さまへの広報活動などなど、社会に出てから役立つスキルが普段の活動の中に詰まっています。

ときには人間関係に悩みながらも、より良い演奏をするためにみんなで協力してなにか一つのものを作り上げていく。

苦労が多い分、やりとげたときの感動は生涯忘れられないものになるし、仲間との絆もより一層深まります。

ひとつにはこういった社会経験の機能というものが挙げられるでしょう。

さらにもう一つ機能を挙げるとすれば、クラス以外の居場所作りになるということでしょう。

僕は中学生の時、結構内気でクラスにはあまり上手く馴染めていないような子でした。でも放課後の部活動は本当に楽しみだったし、部活の仲間たちとはとても上手くいっていました。

もし部活動がなかったら、学校に行けてなかったんじゃないかと思うほどです。朝練がなかったら平気で遅刻もしてたんじゃないかと思います^^;

さて、ここまで部活動の機能的な側面を見てきました。
しかしながら、部活動に負の側面があることも事実です。

指導者からの体罰やパワハラ、結果至上主義、部活動に入れ込みすぎて他のことが疎かになる、教員の負担の増加。

ニュースで言われることはこれくらいでしょうか。
ブラック部活という言葉が出だしたのも、ここ数年の話のように思います。

これらのことに加えて、いわゆる働き方改革というものが出てきたことにより、部活動のあり方が見直されるようになりました。

そして、ガイドラインが策定されるに至るわけですよね。

部活時間の一律削減、外部指導者への委任の推奨といったことが行われるようになりました。

しかしながら、この内容は正直にいうと場当たり的な対応でしかないというのが現状だと僕は思っています。

部活時間を一律に削減したわけですが、果たして運動部の3時間と吹奏楽部の3時間は同じなのかという話なんです。

吹奏楽の場合練習のフローはたいてい以下のようになります。
楽器準備→個人練習(アップ)→パート(基礎)→曲練習(個人・パート)→合奏(コラール・曲練習)

基礎練習は楽器をより上手に演奏できるための練習、曲の練習は楽譜が求めることを正しくアウトプットするための練習です。

曲の練習に関しては、だいたい常に4曲程度抱え、定期演奏会まえになると10曲ほど練習する曲を抱えることもあります。

これらを合奏で練習するとなると、どれだけ低く見積もっても30分、挑戦的な曲になれば1時間は必要です。

2・3曲練習するなら最低1時間半は必要ということです、そしていきなりよーいどんで合奏が出来るかというとそんなこともなくて、チューニングという作業それからハーモニーの確認をしたりするのでもう30分多く必要になります。

合奏だけで本当は2時間は欲しいところなんですよね。
そしたら残りの時間は1時間、ウォームアップに30分使うとして、パート練習の時間の残りは30分くらい。

実際には教室の移動や、練習の流れの確認をする時間もあるので、もっと逼迫するのが現状です。

じゃあ合奏の時間だけ取って、個人練習は各々でやればいいじゃないかと言われてしまうかもしれませんが、楽器を自分で買って持っている子は全体の10−20%程度です。

つまり自持ちじゃない子は、学校の外で練習をすることができないわけです。

この点も吹奏楽部の今後を考える際に重要になってくると思うんですよね、部活を外注するとして、楽器はどうするんですかという話です。

パーカッションをフルセットで備えて、120dbの音を出しても問題のない場所を借りて…かなり難しいと思うんです。

ここまで挙げてきたことは本当に一例で、考えることはまだまだ沢山、山積み状態です。

そして、実際に現場がどんな風になっているかというと結構2極化しているのが現状じゃないかなと思っています。

1つはガイドラインぎりぎりもしくはかなりグレーなラインで、今まで通りの部活の形に近い活動を行っている学校。

もう1つはガイドラインを遵守し、その範囲内で出来ることを模索している学校です。

前者は今までのクオリティを維持している一方で、あまり長続きするものではないと思われます。監査のようなものが入れば一発アウトでしょう。

後者に関しては、最初に考えてきた部活動の機能面が削がれていると正直感じてしまうことがあります。

自分が出来る範囲に終始し、挑戦はしない。これは自分の偏見だとも思うのですが、挑戦のないところにチームワークは生まれづらいのはないかと思うのです。

負荷がかからないということは、わざわざ協力する必要もないし誰かと関係を深めずとも活動が成り立ってしまう。

時代が変わったから、そういうご時世だからと言われればそれまでなのですけど。でもどこか本当にそれで良いのかと思う自分がいるわけです。

もっと部活ごとに必要な時間は議論されるべきだし、外注するにしてもチーム毎の活動目的や関わる人達の思いをもっと吸い上げて可視化するべきだと思うのです。

実際のガイドラインのパワポを見る限りでは、そういった思いにまで踏み込んで考えているような形跡は見当たりません。

ただただ、教員の負担を増やし生徒に対しても負荷を強いているというその側面だけにフォーカスされているように感じます。

その状態で来年度から本格的に、部活動改革が始まるわけです。
本当にそれで良いのかと僕はもやもやしています。

だから、僕は現場の声をもっと聞きたいし、生徒の内側にある思いにももっと触れたい。

せっかく部活動というものを見つめ直す機会が来たのだから、本質的な部分に焦点を当てていろんな人達を巻き込んで議論がしたいわけです。

今日はなんだか内容も長くなってしまいましたが、以上が部活動の役割について最近考えてきたことです。


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