音楽と凡人#14 "全て失っても、鏡の前にはただ俺がいる"

 「ここはもうちょっと力強く歌ってほしいかな」

 ベースボーカルのトシに私は『凡人』という曲の歌い方を細かく指示していた。私はギタリストとしてこのスリーピースバンドを組んだ。初めて自分のオリジナル曲をバンドにおろし、その練習を近所のスタジオに集まって始めたところだった。

 なんかなもっとこういう感じやねんな、と言いながら私は自分の前にセッティングしたマイクで歌ってみせた。このバンドでスタジオに入り始めた時、マイクはトシの前だけにセッティングしてあったが、スタジオの中で会話するのにあった方がいいといつの間にか置くようになっていた。あった方がいいというのは私が勝手に言っていただけで、自分で用意しない限りそれは特に決まったセッティングではなかった。

 頭の中に鳴っている音楽に少しでも近づけたいという思いから、歌唱の細かなニュアンスまで伝えた。私自身が歌うという案はバンドの中にも私の中にもなかった。ただ歌声でも話し声でもなんでも、マイクを通して自分の声が大音量でスピーカーを通して出てくることを子供のように面白がった。家でギターを練習するのは楽しかったが、バンドで曲を合わせることに対して特別に楽しいという感情をまだ持ってはいなかった私にとって、マイクの網目の向こうには知らない世界があるような、フェンスの向こうには今は見えない何かがあるような気がし始めていた。

 そんな気分が少しずつ募るのと比例して、思うような表現がバンドでできていないことに対するいらいらとした感情を私は隠さずスタジオに充満させていた。そんな私に付き合いきれない他のメンバーは知らないうちに話し合いを重ね、ある日突然トシにこのまま協調性がない振る舞いを続けるならバンドを抜けて欲しいと言われた。「俺が抜けてこのバンドに何が残るん。アホちゃうか。こっちから願い下げじゃ」と思いながらしかし何も言わずただそうかと言い、私は脱退した。

 この時のドラムは私の親友であり一番仲の良い友達であったので、呆れ果てた感情もあったが、私が知らないところでそんな話し合いが繰り返しなされていたことに対して単純にショックを受けた。それに加えてその話し合いは当時出始めていたライブハウスのスタッフをも巻き込んでいたようで、私は知らぬ間にひとり悪者になっていた。演奏するバンドと場所、そして親友を同時に失った。当時付き合っていた彼女にも同じタイミングで振られた。しかし私が悪いとは思わなかった。むかついたので坊主にした。風の噂でその彼女がこのバンドメンバーと何かあったと聞いたが怖くてそれはその後一度も誰にも深く聞いてはいない。坊主の上にさらに皮膚を刈り上げることなどできないので、私はツルツルの頭で知らないままにしておいた。

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