音楽と凡人#11 "現実は頭の中から"

 背負ったギターを自転車の荷台に軽く乗せながらガタガタと自転車を漕いだ。黒いギターケースは太陽の熱を吸い込んで私の背中にのしかかり、カッターシャツは冷たく濡れていた。家を出る時には左右に揺れるような勢いで坂道を登っていたが、さっきの交差点で時計を見て急ぐことをやめた。校門の遅刻指導が撤退する時間まで近くのレンタルDVD店で興味のない映画のパッケージを眺めながらカーテンの向こうにちらちら目をやった。そして欠席扱いになってしまった一限に途中から参加した。

 軽音楽部が楽しくなかったのか、あるいはクラスが楽しかったのかはわからない。そんなふうにきれいに物事をカテゴライズして考えようとするのは現在から過去を眺める時の傲慢だろう。私はギタリストとして高校生らしいコピーバンドをいくつか組んだが、振り返りたいほどの思い出はできなかった。声の大きな人間といがみ合ったおかげで集団から孤立した経験は何度かあるが、それもこうして書き起こすことで思い出す程度のものでしかない。私のように始終何かに腹を立てている人間は過ぎてみればその許せなかったはずのできごとも一つの風景として馴染んでしまうのかもしれない。

 高校のクラスは文系の進学コースで、めちゃくちゃ勉強熱心というわけでもなく、かといって不真面目な人間もいないというような環境であった。クラスの四分の三が女子で3年間クラス替えはなかった。放課後は男だけで集まって下校のベルがなるまで永遠に話した。オリジナルのゲームを考えたり、それぞれコンビを組んで漫才やコントをしたりした。修学旅行のクラスのレクレーションでそれを披露もした。空き教室さえあれば私たちはいつまでも暇にならなかった。お笑い好きに拍車がかかって芸人のDVDを見漁り、NSCの体験授業にも行ったりした。親に芸人になりたいと言ってしまうほどにお笑い好きは進んだが、そんな生活にあってもギターが自分の手元を離れることはなかった。

 高校の音楽の授業で歌う時はその照れと音程の不安定さから調子外れの音を強調するように出して笑われにいっていた。半分は本気で半分は真剣だったが、教師からはふざけるなとよく怒られた。私はカナヅチで25メートルも泳げないが、歌に対しても水に対する時のような不自由さがあった。

 当時よくしていた妄想は大きく二つあって、一つは好きな子と帰るというシンプルなもので、もう一つはハンドマイクでブルーハーツのヒロトのように学校の中庭で生徒全員の前で歌うというものであった。

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