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自分の小さなトラブルよりもみんなの空気を優先してしまう


同じことを感じるかたいらっしゃいますか。


例えば、複数人で出かけていて自分の靴紐が解けてしまった場合、みんなを自分が靴紐を結ぶ時間を待たせてしまうので、なんかずっと靴紐が解けた状態で歩いてしまうひといますか?


そして交差点などみんなが止まった状態の時に
即座に靴紐を結び直して、みんなに迷惑がかからないようにしてしまいませんか?


自分のために待たせるなんて・・・という気持ちが働いて即座に靴紐を結んだほうがいいのに、結ぶのが憚られます。


似たような感覚に陥るのは
複数人で旅行や遊びに行った時に、「自分だけに起こった小さなトラブル」をなかなか言い出せないことですね。


例えば旅行の場合であれば、「モバイルバッテリーを失くした」「着替えを忘れた」など。自分に起きた大きなトラブルであれば言い出すことができるんですが、小さなトラブルだと言い出せないのが味噌ですね。


自分だけに起きた小さなトラブルであれば
みんなの時間を無駄に使ってしまったり心配をかけたりするよりは自分の中に留めておこうとする気持ちが働きます。


私に起きた小さく些細なトラブルを
一緒にいたみんなに言い出せなかった例を紹介します。



私は基本的に競馬はやりませんが、有馬記念だけは馬券を購入しています。その時は有馬記念が行われる中山競馬場が近かったこともあり、会社の同僚の複数人で中山競馬場に行きました。


しかし、私は競馬場で買う馬券に慣れておらず、あんまりよくわかっていない状態で券売機に並んでしまいました。


有馬記念ですから競馬場にもとんでもない人が押しかけており、年末の大勝負のためにギラギラした人達が券売機に行列をなしていました。


これどうやって買うんだって状態で
1万円を入れて後ろに行列をなすギャンブラーたちに迷惑をかけないよう、素早く購入手続。そして無事に購入ができました。(1万円分)


列から外れ、馬券をよく見てみると1000円分しか購入できておらず、「あ!!!お釣りの9000円をもらい忘れた!!」と気づいた瞬間、券売機に戻りましたが、時すでに遅く、、、


後ろに並んでいたギャンブラーの手に渡ってしまいました・・・自分的には勉強代だったと思っているのですが、微妙にブルーな気持ちで落ち込みました。


でもこんなことって一緒にいるひとたちに言ってもしょうがないじゃないですか。自分に起きたもうどうしようもないことを伝えても同情されるだけで、せっかくの有馬記念に水を刺すことになりますから。


みんなの楽しい雰囲気を壊すくらいなら、ひとりで吸収したほうがいいという思考になります。


こんな私は
みんなのエアーとても大事にする人間


ということでよろしいでしょうか?

でも、人によっては自分の不幸を笑い変える人もいると思うんですよね。「いやー、やっちゃったよ〜今券売機にお釣り忘れちゃってぇ!」みたいな。私は笑いに変えるほうには振り切る事ができず、たぶんやっていたとしても微妙な感じになりそうなんですよね。あと9000円を言わば落としたようなもんですから、結構ショックですし…

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