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ホワイエとトゥール・ポワティエ間の戦い
ホワイエという単語を知っているだろうか?
※ホワイエ
「ホワイエ」とは、劇場やホール等の入口から観客席までの広い通路のことである。 暖炉や団らんを意味するフランス語からきており、主に幕間の休憩や社交の場として使われる空間になっていて、通常はロビーと同じ意味で使われることが多い。
現在、結婚式の準備をしているのだが
このホワイエに写真や飾り付けをする必要があるらしい。
だが
このホワイエという単語が全然覚えられない。
ポワイエ…
ホワティエ…
ポワティエ…
どうしても頭の中でポワティエが先行してしまう。それには理由がある。
いやいや、単語覚えられないのはお前が老害だからだろう。と声がありそうだが、言い訳はさせてよ?
僕の中でホワイエよりもポワティエのほうが言葉として馴染みがあるから覚えられない。
それは
トゥール・ポワティエ間の戦い
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これが記憶にあるからだ。
トゥールポワティエ間の戦いとは
フランス西部のトゥールとポワティエ間で起きた戦い
720年、イスラームのウマイヤ朝がイベリア半島からヨーロッパを進軍していて、それをカロリング家のカール=マルテルが追い払う戦いなのだが
ヨーロッパ側ではカール=マルテルはイスラーム勢力を退けた英雄のような書かれ方をしており、ここでイスラーム勢力を食い止めることが出来なかったら、現在のキリスト教圏はなかっただろうとされている。
一方でイスラーム側(ウマイヤ朝)からすると、当時の国力からしてもヨーロッパ側まで領土を広げることは困難と考えており、
ちょっと戦って、戦況が良ければ略奪して自国に帰ろうくらいの感覚だったのだ。
アブド=アッラフマーン=アルガーフィキーの率いるムスリム軍が、ローマがかつて築いた敷石道の近くで多数の死者を出した戦いとして「ビラート=アッシュハダー(殉教者たちの敷石道)の戦い」とよんでいる。キリスト教側は大勝利として記録も豊富だが、イスラーム側は数多くの戦闘のなかの一つとしてしか捉えていず、記録は簡潔である。イスラーム側にはそれ以上の侵入の意図はなく、戦利品を獲て撤退すればよいと考えていたらしい。
トゥール・ポワティエ間の戦いは歴史的意義がある(イスラーム勢力をヨーロッパから排除した)戦いとされているが、文献が少ないと聞く。
同じ一つの出来事が双方で記述が違う為、実際どうだったんだろうね。と世界史を勉強していて、気になる戦いだった。
あとは単純に発音するのが好き
トゥール・ポワティエ間の戦い
何回も声に出したい戦いである。
こんなような理由から
ホワイエをどうしても覚えられずに、ポワティエが先行してしまう。という訳だ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/118135064/picture_pc_fb07c4515003e15a6c3fa0e87de9920f.png?width=1200)
最近は仕事からホワイエに何を準備しようか?と新婦と協議しますが、いつもポワティエと間違えてしまいます。その度に言い間違いを指摘されます。トゥール・ポワティエ間の戦いを知らない一般人がっ!!とこの時だけ下に見てます。
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