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ギリシャ旅行記2

アテネへ

ギリシャの首都アテネまではシュトゥットガルト空港からスイスのチューリッヒで乗り換えをして約6時間。ドイツのホリデーシーズン真っ只中の8月から始まったドイツ鉄道のストライキは、9月に入ってもまだ続いていた。シュトゥットガルト中央駅の大規模工事の影響で元々間引き運転をしていたり一部運休になっていたりしていた状況にこのストライキが加わり、その日の運行状況はカオスだった。家から空港までの電車の乗り換えは通常1回で済むところが電車とバスを4回ほど乗り継ぎ、通常の倍以上の時間がかかってしまった。ただでさえ何もなくても遅延が多いドイツ鉄道はほぼ唯一の電車網なのに普段から本当に信頼ならない。特に出勤だったりフライトだったり、時間厳守が求められる重要な予定や約束の時に公共交通機関が信頼できないのは本当にストレスだ。

今回は3週間家を空ける予定だったので、冷蔵庫を空にしたかった。理想を言えば電源も切っていきたいところだけれど、我が家には味噌をはじめとする貴重な日本の調味料が入っているのでそれは出来ない。パートナーが使い切らなければならない食材を使ってドイツではおなじみのVersper(簡単なサンドイッチやフルーツ、チョコなどの軽食・おやつ)を用意してくれた。
ゆで卵、りんご(もちろん丸かじり)、(買ってから1週間ほど経ってだいぶ固くなった)パン、そしてパルメザンチーズ。空港のテラスで食べた。

ドイツ鉄道の信頼のできなさとは対照的にフライトは超快適だった。チューリッヒまでなんとたったの45分。定刻通りのフライトだった。ドイツに住んでいると普通になってしまうけれど、改めてヨーロッパは外国に行くと言うことのハードルが低い。

まだマスク着用義務があった頃なのでみんな着けてる


5ヶ国語での表示
短時間のフライトでも水とチョコが配られた


チューリッヒで乗り換えて、アテネへ。

窓から見下ろすアルプスの山々が美しかった。チューリッヒからアテネへ、東へ進むに連れて暗くなっていった。この時間帯の空のグラデーションが大好きだ。飛行機で移動をすると、時空を旅しているようでいつもワクワクする。朝から昼へ、昼から夜へ、そして夜から朝へとまたぐように、いくつものタイムゾーンを超え長距離移動するとなんとも不思議な気持ちになる。

アテネに着いたのは夜11時近かっただろうか。入国審査には長蛇の列ができていた。確か当時ギリシャはアメリカからの観光客の受け入れを再開した最初の国でかなり規制も緩和されていた。事前にワクチン接種の証明書やパスポートの情報などをオンラインで登録し、それを入国審査の前にチェックされたが、それはそれはゆるいもので腰抜けしてしまった。ちなみにトランジットで空港内のみ滞在したスイスもこういった事前の登録が必要だったと記憶している。

ギリシャ語の表記が新鮮だった

事前にこの日は空港で仮眠して翌日の始発電車で郊外にあるアテネ国際空港から市街地へ移動しようということを決めていた。空港付近にも宿はあるが、べらぼうに高かったので節約するつもりだった。そもそも観光大国の首都の国際空港にしては少ない飲食店もほとんど閉まっていて、軽食を出している店を見つけてサンドイッチとサラダを買った。ギリシャ名物のパイなんかも売っていた。外の空気を吸おうと外に出てみると、生ぬるく湿ったようで、東南アジア少し思い出した。

経験上、空港泊の快適スポットをとるにはもう遅すぎる時間だったので、いい場所を見つけられるという期待はあまりなかった。一応この空港で空港泊は禁止されているという情報もみたけれど、私たちと同じように始発電車や早朝便を待って空港で夜を明かす人が大勢いたし、取り締まっている風も全くなかった。仮眠場所を探そうと歩き回っていて、彫刻や出土品が展示してあるギリシャ遺跡のギャラリーの一角を見つけた。少し薄暗くなっていて、人通りも少なかったのでそこに寝袋を広げることにした。ただ空港内の電気は夜通し煌々と点いていたし、音楽とアナウンスはほんのわずかな時間を除けば鳴りっぱなしだったのでアイマスクと耳栓がないと一睡もできなかったと思う。それらを準備していても申し訳程度の仮眠しかできなかったので、翌朝はひどく疲れてを感じていた。





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