映画『わたくしどもは。』~東京国際映画祭 2023 ワールドプレミア先行上映~

来年(2024年)公開だから詳しくは書かないが、映画『わたくしどもは。』(富名哲也監督。以下、本作)は、端的に言えば「来世で一緒になろう」的心中の後日譚ということになるだろう。
死者(見習い)の世界を描く物語は、松田龍平と小松菜奈を主役に配しながらもファンタジーではなく、徹底的にリアルだ。
それは、この手の映画にありがちなCGなど特殊効果をほぼ使っていないということもそうだが、死者(見習い)の世界を生身の身体(肉体)で表現していることに由来する。

「身体で表現」とは「演劇的」という意味でもあり、それは、能舞台のような場所で左右から現れた男女が中央で見つめ合う始まり方において提示されている(最終盤のトンネルでの松田龍平は、とても演劇的だ)。
また主要な役で、舞踏家の田中泯や森山開次が出演していることからも明らかだ。

物語上に謎はほとんどない。
二人の関係性も、その二人が現在いる場所も示唆されている(その場所の意味は、大竹しのぶと田中泯の会話で具体的に説明されている。さらに大竹しのぶがどうなったのか、"angel's ladder"で示唆されてもいる。石橋静河には謎が残るが、バスガイドのセリフから、心中した二人を支持するために現れたのではなかろうか)。

にも拘わらず、大きな謎に包まれたような、或いは夢でも見ていたような、不思議な印象を受ける。

私も詳しくないので断定はできないが、本作のフォーマットのベースは恐らく「夢幻能」にあるのではないか。

能は成立以来ずっと目に見えないモノや超現実的出来事を舞台化してきた。その到達点が「夢幻能」と呼ぶ能独特の劇形式である。ゆかりのある場所に出現した霊魂(シテ)が、自らの過去を旅僧(ワキ)に語るという基本構想のもと、「伊勢物語」「源氏物語」などの物語作品、軍記物の「平家物語」や説話の類、あるいは非業な死を遂げた人物を取りあげ、「過去」を「今」に呼び戻し、現前化する手法である。

舞台『幸福論』(長田育恵、瀬戸山美咲作・演出、2020年上演)
パンフレットの解説(能・狂言研究家 小田幸子氏)

劇中では実際に能楽師が舞うシーンもあるし、田中泯による舞踏もそれを示唆する(田中の舞踏は小松菜奈が倒れていた場所で行われる。ということは、田中が"ワキ"とも考えられる。或いは「観光バスのガイド」である石橋静河も"ワキ"なのかもしれない)。

廃坑となった佐渡金山というロケーションが、「死者(見習い)が集う場所」という世界観にマッチしており、また、山中に縦横に張り巡らされた廃坑道が「あの世とこの世」を接続する通路として効果的に使われており、観客を夢幻の世界へと誘ってくれる。

果たして、観終わった後の映画館のドアは、どこに通じているのだろうか…

メモ

映画『わたくしどもは。』
2023年10月29日。@ヒューマントラストシネマ有楽町(TIFF 2023 ワールド・プレミア先行上映)




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