「命をいただく」~映画『ある精肉店のはなし』~

映画『ある精肉店のはなし』(綾瀬あや監督、2013年。以下、本作)の冒頭、普通の住宅街の道を大きな牛が、オジサンに引かれて歩いているのに驚く。
吉田君」(古!!)ではない。「荷馬車に乗せられた仔牛」でもない。
牛が連れて行かれたのは「市場」ではなく、人気のない倉庫のようなところ…

そういえば、以前、材料である肉(となる動物)や野菜を自分たちで育ててカレーライスをイチから作るという大学のゼミを追ったドキュメンタリー映画『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督、2016年)で、「ビーフカレー」「ポークカレー」は自分たちだけで作れない、ということを知ったのを思い出した。

「4本足の家畜は、自分たちで殺せないんです。『屠場』という、家畜を肉にしてくれるところに連れていかなければならないと法律で決まっています。でも2本足の動物はいいので」
足が4本ある牛や豚は自分たちで殺すことはできないけれど、鳥などの足が2本の動物は自分たちでしめて肉にすることができる。関野さんはそういって、冗談めかしてこうつけくわえた。
「あ、でも、人間以外ね。人間は2本足だけど、だめですね。ははは」

前田亜紀著「カレーライスを一からつくる」(ポプラ社)
(※太字、引用者)


牛が「お肉」になるまで

冒頭の牛が連れて行かれたのは大阪府にある「貝塚市立と蓄場」という『屠場』。
決められた場所に立たされた牛は、いきなり目隠しをされ、眉間を大きなハンマーで力いっぱい殴られる。
その瞬間牛は気絶し、まるで操り人形のように四肢を同時に折り、その場に崩れ落ちる。
そして、職人の鮮やかな手さばきで、みるみる食肉へと解体されていく。
本作はその過程を省略もせず、モザイクも掛けず、ありのままを映し出す。
目を背けてはいけない。
我々が普段食べている牛肉になるのに必要な作業なのだから。

一応脅してみた。
初めて見ると、確かに衝撃は受ける。
しかし、不思議と残酷だという気持ちは起きず、むしろ職人の手さばきにうっとり見とれ、ゲンキンなことに、大きな牛肉の塊になった姿を見て「美味しそう」とまで思ってしまう。

本作は、自身で食肉用の牛を育て、屠畜し、食肉として加工・保管し、経営する精肉店で販売するという「製造直販」を行っている、北出家の皆さんを追ったドキュメンタリーだ。

屠畜作業を行う人々の動きに無駄がないのはもちろん、屠畜される牛にも一切の無駄は出ない。屠畜に関わる人たちは『牛は鳴き声以外、捨てるものはない』と言う。
肉や内臓はもちろんだが、『骨その他からは、接着剤や染料に使うにかわ』『粉骨、爪、毛は肥料』『皮はきれいに剥いで脂肪や毛を取ってなめし、太鼓や武具や足袋や雪駄にしていた』。
実際、牛皮は、本作の中で地元の「だんじり祭り」用の太鼓の皮として使われていた。

それはただ「使えるから使っている」という単純で合理的な話ではなく、やはり「命をいただく以上、無駄にはできない/させない」という気持ちが大きかったのだと思う。

屠畜場には「獣魂碑」があり、関係者はお参りを欠かさず、法要も行われる。屠畜業の方々は決して「残酷」ではない。


差別との闘い

公営の屠蓄場があるということは、この辺り一帯の人々がそれを生業にしていたということを意味する。
パンフレットに掲載された太田恭治氏の寄稿を引く。

(北出さん)一家が住む貝塚市東地区(嶋村)は、江戸時代には岸和田藩に判綱(馬の口につけて引く革)を上納。城の掃除、警吏(刑場の下働き・町の警護など)などの役目を果たしました。(略)
江戸時代、嶋村のような村は「かわた村」「長吏村(特に関東・信州)」と呼ばれ、また「穢多(えた)」村という差別的呼称を強いられました。(略)
死んだ牛馬を触ると穢れるという考えが一般社会を支配し、その処理は、かわた・長吏村の役目でした。

パンフレットより

こうした地区は少し前まで、いわゆる「部落」と呼ばれ、ただそこで生まれたというだけで、職業や結婚どころか日々の生活まで理不尽極まりない差別や制限を受けてきた。
動物を屠[ほふ]ったものを当然のように食べている人々が、それを屠る人々を不浄の者として忌み嫌い、差別する。
そこでは、「基本的人権の尊重」を謳った日本国憲法など、ただの綺麗ごとであり、そもそも彼らは「人より下」と見做されていた。
彼ら/彼女らがどれだけ虐げられていたか、「部落解放運動」での「全国水平社宣言」が物語る。この文章は部落に生まれたが故に差別された人々の心の叫びであり、今読んでも激しく胸を打つ。

ケモノの皮を剥ぐ報酬として、
生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、
ケモノの心臓を裂く代償として、
暖かい人間の心臓を引き裂かれ、
そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた
呪はれの夜の惡夢のうちにも、
なほ誇り得る人間の血は、
涸れずにあった。
そうだ、そして吾々は、
この血を享けて人間が
神にかかわらうとする時代におうたのだ。…
吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。

全国水平社宣言(抜粋)

北出さん一家も部落解放運動に積極的に関わってきた。
こうした人々の努力や、理解/共感した人々の働きや学校教育などにより、北出さんの息子さんも、この地区以外の女性と大きな障害もなく結婚することができるまでになった。
しかしそれは、女性側の両親/親族が理解ある人たちだったから、とも言える。
残念ながら屠畜を生業とする人たちは、あからさまな社会的差別を受けることが少なくなった程度であり、完全に一般の人々と同じと認められるようになったわけではない

それは、前出の映画『カレーライスを一から作る』で、東京の「芝浦屠場」で働く職人たちの、『ぼくらの仕事は、動物を殺しているということで、残こくな人だと思われたり、特別な、差別的な目で見られたりすることが多いのです』という発言からもわかる。

職人たちの人格を否定する、脅迫文のような手紙が職場に届いたこともあるという。その手紙に書かれていたのは、「動物がかわいそう」という気持ちから生まれた差別の感情だ。そういう差別に対して、栃木さんたちは、とても残念に思っているという。
肉を食べているのに、肉を作る職人たちに対して差別的な目を向けるのは、自分勝手な考え方ではないでしょうか。『かわいそうだ』というなら、牛や豚を育てている畜産農家のことも、『残こくだ』と思うのでしょうか?」

「カレーライスを一から作る」
(※太字、引用者)

「ぼくには小学校1年と5歳の子どもがいます。子どもたちには自分がどんな仕事をしているか、まだ話していません。なぜかというと、それが原因で、子どもが学校でいじめの対象になってしまったら、と心配になるからです。
(略)
社会を見わたせば、きちんと理解をしていない人たちが多いのが現実です。こういう仕事をしているというだけで、ひどいやつだと見られてしまう可能性がある。」

(同上)

『ケモノの皮を剥ぐ報酬として/生々しき人間の皮を剥ぎ取られ/ケモノの心臓を裂く代償として/暖かい人間の心臓を引き裂かれ/そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられ』る差別は、今でも根強く残っている。
いや、ともすると昔よりも酷くなっているかもしれない。
スーパーでパック売りしている肉や魚しか見たことのない現代人は、それらを食べるために「動物を殺さなければならない」という意識が希薄で、上記引用のように、他人事のように「残酷」「かわいそう」と非難してしまいがちだ(「動物愛護」を振りかざし、より極端な非難に走ってしまいがち)。

人間は、動物や植物といった生き物を『いただく』ことによって生かしてもらっている。それを忘れてはいけない(そういう意味で、本作と『カレーライスを一から作る』は、小学校高学年で鑑賞必須にすればいいのに…と個人的に思っている)。


「祭り」にかける想い

そんな人々の唯一の楽しみは、年に一度行われる「東盆おどり」(現在、大阪府の無形民俗文化財に指定)である。江戸時代から現在まで続く「東盆おどり」で、かつては日頃の鬱憤を晴らすかのように、三日三晩踊り続けたという。

この「東盆おどり」の名物は「仮装」。これは現在でも踏襲されている。
実際に本作でも北村家の人々が工夫を凝らした仮装をして、ウキウキしながら盆おどりに出かける風景が収められている。

さらに、この地区で有名なのは何といっても「だんじり祭り」である。地区の若い衆を中心に、連日「だんじり」をダッシュで曳く練習が行われ、それに懸ける意気込みの強さを感じさせる。
実際のだんじり祭りの様子は圧巻だった。


最後に

嶋村地区の屠畜業者は減少し、最後に残ったのが北出さん一家だった。
本作公開時には、既に「貝塚市立と蓄場」も閉鎖されていた。
というか、そこでの「最後の屠畜」を撮影したものが本作である。


メモ

映画「ある精肉店のはなし」
2021年12月2日。@ポレポレ東中野 (2021アンコール上映)

2013年公開の本作は、今回のように、現在も全国で上映され続けている。
また、自主上映のためにDVDの貸し出しも行っている。

もし近くで上映される機会があれば、是非、鑑賞してほしい。
その際は、お腹を空かせて(満腹だと人によっては屠畜のシーンが辛いかも)劇場に行き、観賞後は、リーズナブルなチェーン店や食べ放題の焼肉屋さんではなく、少し贅沢でゆっくりできる焼肉店に行き、美味しいお肉をいただくのがお勧めだ。
それは全く不謹慎なことではない。むしろ、「命をいただく」ことについて、いつも以上に感謝しながら美味しくいただくことができるはずだ。

本作を公開当時に観ている私だが、折角の機会なので久しぶりに観なおしたところ、その後に観た前出の映画『カレーライスを一から作る』で知識を補強したこともあり、公開時とは違う観方ができた。
時間を経て映画を観なおすのも良いなぁと、改めて思った。



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