原作ものの映画を撮る~西川美和『スクリーンが待っている』~

ここ1カ月の間に、偶然にも、原作ものの映画制作についての本を立て続けに読んだ。
一冊は、『日日是好日』(大森立嗣監督、2018年)の原作者・森下典子の著書『茶の湯の冒険 「日日是好日」から広がるしあわせ』(文春文庫、2024年。以下、本書)で、これは原作者から見た映画制作について。
もう一冊は、2021年公開の映画『すばらしき世界』を監督した西川美和氏が著した『スクリーンが待っている』(小学館文庫、2024年。以下、本作)で、こちらは佐木隆三氏の小説『身分帳』を映画化した監督から見た映画制作について。

キャリアも実績もある西川監督だが、意外にも原作があるものを映画化するのは初めてだという。何度か原作ものの映画化のオファーを受けたが断ったその理由が、やはり原作者(や原作ファン)に対する想いだ。

シナリオを自分の手で書けば書くほど、原作のあるものを映画に落とし込むことの難解さが明らかに見えてきて、じりじり後ずさっていったのも事実である。(略)
どの小説もよく書かれていて、とても勝ち目があるとは思えなかったからだ。ベストセラー作品などともなれば、作者はもとより、その世界を深く愛するファンもいる。「あれもない!これも違う!」と連中を怒らせると思うと憂鬱だ。

それにもまして、『身分帳』は実在の(それも自ら佐々木氏に「小説にして欲しい」と嘆願してきた)人物がいる。加えて、そのモデルの人物も随分前に(映画と同様)突然死しているし、佐木隆三氏も2015年に亡くなっている。
そんな原作を、原作ものの映画化に『後ずさっていった』西川監督が映画化したいと思った。

(原作を)読み終えるのを待てず、「こんな面白いものが世の中に埋もれているのは、災難だ」そう思った。わくわくして、誰かに喋りたくて仕方がない。教えたくて仕方がない。けれど作者はすでに鬼籍に入り、紙の本は絶版。新聞のささやかな寄稿文一つで、ふたたび世間に火がつくとも思えない。題材は歴史に刻まれた大事件でもないから、誰かが後から掘り起こすきっかけすらないだろう。「でも、本当に忘れていくつもりですか?知らないよ。知らないよ!!」と、布団の中で私一人があたふたしている。けれど、もし映画にしたら、もう一度ここに書かれたことが人に知られる機会になるかもしれない。だったら、私が、やりましょう!

そこまで思った西川監督の熱意と覚悟は、映画にちゃんと投影されている。

西川監督は、モデルの人物も、佐々木氏も亡くなっている中、それでも彼らを知る人たちや担当編集者らに会い、刑務所を見学し、ケースワーカーの仕事を体験したりもする。

ほんの一瞬映るか映らないかの書類のフォーマットにもとことんこだわる。
そして、本来なら受刑者本人すら見ることが叶わない「身分帳」を、何故モデル本人が書き写し持ち出すことが出来たのか、そのリアリティにも徹底的にこだわる。

そして時には、何年も苦楽を共にしてきた仲間を切り捨てなければならない状況になり、その決断を迫られたりもする。

主演の役所広司氏も、西川監督が書いたセリフを一字一句、その言い回しや語尾に至るまで徹底的にこだわる。

そうやって出来た映画は、第56回シカゴ国際映画祭で観客賞を受賞し、役所氏は同映画祭でインターナショナルコンペティション部門 ベストパフォーマンス賞を受賞した。

本書が興味深いのは、映画が制作された後に書かれたものではない、ということだ。
本書は、企画の段階から同時進行して書かれたもので(そのため、序盤は題材やキャスティングなどがぼやかされている)、だからその時々の逡巡なども隠さず描かれているし、一つの作品が出来上がるまでにどれだけのハードルがあり、紆余曲折を経てきたかがわかる(つまり、本書は、映画制作がどのように行われているかを知るための良質なテキストになっている。ちなみに映画業界では「制作」と「製作」が厳密に使い分けられていることを初めて知った)。
本書を読めば、映画『すばらしき世界』を未見の人は、映画を見たくなるし、観た人ももう一度本書片手に見返したくなるはずだ。

※佐木隆三著『身分帳』は、講談社文庫にて復刊。



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