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この世界は実験場だ

毎年1月2月はいろんな意味で盛り上がらない。振り返ると、特に何も変化のないまま、ただ耐え忍ぶ。温かく、気分も高揚する春が来るのをじっと待つみたいな、そんなイメージが1月2月だった気がする。

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でも今年はどうやら違うみたい。こんなに充実したのは、はじめてかもしれない。なんかすげー動きまくった気がする。その結果、素晴らしい出来事、出会いに囲まれた1月2月だった。

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今年から色々と実験をしている。一番意識しているのは、人に期待することをやめることだ。ぼくの内側にいる自分の中にはとてつもなく奉仕をしたがる自分がいる。必要以上に気を利かす、気遣いをする、トラブルが起きないように先回りする。

それは、人間関係を円滑にし、物事を滞りなく進めるにはかなり有益なチカラをもっているけど、一方で、それは期待することで、傷つきたくないため、つまり、相手や場を守っているようで、自分を守るために生まれた(or生まれる前から装備してきた)チカラだとも感じていた。

これをやりすぎると自分がすり減る。すり減った代償に得られる成果は、成果と思えないほど、すり減ったものが大きい、そんなイメージだった。

なので、まずやったこと。それは期待することをやめること、自分の本音に正直に(おれはバカとブスが嫌い・いつまでもグダグダ動かないやつが嫌い・早い人が好きetc...)生きること、深いところでみんなフラットだけど、時間(命)をとことん意識することだった。

すでにFacebookにほとんど意義を感じてないので、1月時点でやめようと思ったけど、この基準で友だちを(偉そうだけど)整理させてもらい(まだやってないけど)、続けることにした。一緒に時間を共にする人は、すべて自分の基準で決めることにした。単純明快にそれは、(心身ともに)美しいか美しくないか、好きか嫌いかだ。


Conflicting senses

ぜったいに大丈夫、だけど時間がない。人はそのままでいいんだけど、今のままじゃダメ。

3次元では成功してるけど次元を上げた世界では、全くうまくいってない。見た目美人だけど、内面超ブス、みたいな、こんな感覚を共有できるような、人と一緒にいたいなと思う。

フォロワー多いから、お前の価値が高いわけじゃないよ?でも、フォロワー多いのはほんとすごいことだ。本が売れてるから「先生」とか呼ばれるのマジで引くわ、でもそこまで売れたのは素晴らしい。このどっちの気持ちもわかる、そんな人と、この世界を、未来を「どうしたいか?」って話しをしたい。

This world is a testing ground.

この世界は、実験場だ。天使と悪魔が共存共栄できるかの実験、マテリアル主義とスピリチュアル主義の人たちが手を取り合えるかの実験、仏教で言う六道の住人が全て集まって、それでも人は調和できるのかの実験。

高慢さや嫉妬で堕天したルシファーが、もう一度、純粋な心を取り戻し、天使に戻れるかの実験。それを人間でやっている星が地球だ。


闇落ちした人が仕組みをつくってできあがったのが中央集権国家かもね。同じようにそれは地域でも会社でも、街や友だち間のコミュニティでも一緒。

その逆をつくろうね。未来の子どもたちとか、地球を思って「じゃあどうする?」で動けるってめちゃくちゃかっこいいし、輝いているなって思う。今、まわりにそんな人たちがいるから、一瞬、幸せ麻痺しそうだけど、もちろん、現実世界の壮大なる茶番についても意識してる。そして戦うんじゃなく、光を放つのがやることだってこともわかってる。

終わりが近いんだろうね。でもそれはネガティブなことじゃなく、はじまりのための終わりだ。

次の新しい世界は、きっと、もっとわかりやすく輝いている。それをつくるのは、ぼくらであり、その思いを継承した子どもたちなんだと思う。


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