【毒親解毒日記①】44歳・既婚・毒親育ちの出口の見えない苦悩

結婚7年目。

(またか…)
…と愕然とした。

旦那の何気ない態度から
私の何かが壊れてしまった。

そしてまた壊れた自分に
絶望した。

これまで私は幾度となく
壊れては絶望してきた。

そしてまた突然
私は絶望の闇へ
引きずり戻される。

毒親から逃れて
何年も経っているはずなのに
この毒は今も私に巡っていた
ことへの絶望だった。

==========

それは何気ないいつもの朝。

朝一で起きた私は忙しく
子供のお弁当を作った
ついでにと朝ごはんを作る。

彼は出来上がったお皿を
無言で取る。

無表情。
無言。

何のリアクションもない。

そしてスーッと娘の
小さな小さなテーブルの方へ行き
私に背を向けてご飯を食べる姿。

食べ終わったら
まるで私は存在していないかの
ように娘にキスをして
二階へ上がるのだった。

その瞬間、
私の中の「何か」がはじけた。

止まらない「何か」は
涙となってポロポロと
溢れ出す。

自分でもコントロールできない
「大きな波」に完全に支配されていた。

悔しい。
悔しい。
悲しい。
虚しい…。

私って一体なんなの…?
私はナニモノなの…?

「私はどう頑張っても
 認めてもらえない」

「私はどうあがいても
 愛してもらえない」

苦しい。
苦しい。
惨めでたまらない…。

こんなに
大きい大きい家に
私の居場所はない…。

愛してもらいたいのに
愛してもらえない

認めてもらいたいのに
認めてもらえない…。

そんな人と
同じ空間を共にすることは
堪え難い苦痛だった。

私がいくら一生懸命
ご飯を作ったとしても
ノーリアクション。

私がいくら家事を
頑張ったとしても
ノーリアクション。

方や娘は何もせず
上げ膳据え膳でいても
愛される。

何なんだろう。
この格差は…。

最近やっと軌道に乗り始めた
お仕事の成果を言っても
面白くなさそうな表情で
否定的な言葉…。

そう、
彼が口を開く時と言えば
できなかったことばかり。

否定、否定、否定。
ジャッジ、ジャッジ、ジャッジ。

うんざりだった。
もうたくさんだった。

そう彼に対して、
ではないことは気づいてた。

毒親から
何十年もの間
毒親から飲まされ続けた
否定とジャッジで
私は毒まみれだった。

彼のその何気ない行動で
その一瞬でこの毒が
私を支配した。

この毒が
まだ私に巡っていると思うと
ゾッとし、そして絶望だった。

この毒は一見
何でもないかのように見える。

でも日常の中で
少しずつ飲み続ければ続けるほど
少しずつでも確実に
エネルギーを奪われていく
恐ろしい毒なのだ。

そしてそれは
自分の考えに
自信が持てなくなり
そしていつのまにか
自分で自分を否定するように
なっていく恐ろしさ。

彼の一挙一動を観察していると
私はあいつと全く同じだと
フラッシュバックした。

そう、アイツだった。

それは狡猾で巧妙な父親。

アイツと全くそっくりで
娘を見ていると
そして洗脳されつつある
自分を見ているようで
またゾッとした。

専業主婦。

絶対にならないと
誓ったこの役割。

なぜならこの役割は
父親が母親を辱めてきた
日々を見てきた私にとって
忌々しい役割だったからだ。

母親はいつも
陰湿ないじめを受けながら
それに耐え続けてきた。

そして耐えきれず
感情を爆発させる日々…。

私は絶対になりたくない。
私は絶対そうはなりたくない。

そう呪うかのように
自分に言い聞かせてきたのに、
なぜ私は母と同じことを
しているのだろうと
自分の運命を呪った。

そんな自分にまた絶望
するのだった。

何度も何度も
立ち直ろうとして
カウンセリングだって
コーチングだって
自己啓発のセミナーだって
心理学の講座だって
たくさんたくさん
お金を費やしてきた。

それでもなお
襲ってくるこの毒に
私はもう生きることに
疲れてしまった。

またどれだけ
泣き腫らさなければ
ならないのだろう。

またどれだけ
泣き明かさなければ
ならないのだろう。

幼少の頃に
いやというほど
泣き続けてきた私は
もう生きることに
疲れ果ててしまった。

私はこの命を
繋ぐことが
できるのだろうか。

全く答えが見つからない。

とにかくもう
頑張ることに疲れてしまった。

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