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【毒親連載小説 #11】母とわたし⑨

数年前、
私がオーストラリアに嫁ぐ前に
日本から持ってきた古いアルバム。

その中から見つけた自分の写真を見て、
私は一瞬、目を疑った。

それは、まだ
ハイハイしていた頃の幼いわたし。

とても無邪気で天真爛漫で活発な笑顔…。

その写真の中の幼いわたしは
自信のエネルギーに満ち溢れていた。

両親によって
命を授かった「天真爛漫なわたし」は、
皮肉なことに、
両親によってこの天真爛漫さを奪われた。

私が物心ついた頃には、
すでにそのかけらすら残ってはいなかった。

私は今でも体でしっかりと
覚えている記憶のはずなのに、
後半の記憶がない出来事がある。

それは、
小学校のある日のことだった。

またギャンギャンと大声で
怒鳴り続ける母が面倒だったのか?
父が夜に家から逃げ出してそれっきり
帰ってこなかったことがあった。

逃げ出した父に母はさらに憤慨し、
火に油を注ぐかのごとく
お酒を一気に流し込んだ。

そして、酒に酔った母が
私たちに向かって小銭を投げつけ
「お前ら!アボジを探してこい!!!!!」
と怒声を浴びせる。

私たち兄弟は強制的に家を追い出され、
言われるがまま父の事務所に向かった。

おそらくこの時、
夜の21時はとうに回っていたはずだった。

当時、父は東京の都心で商売をしていた。

追い出された私たちは行くあてもなく、
父の事務所にいくほかなかった。

寒い夜道だったが、
心の方がもっと寒かった。

もしこの時、兄弟がいなかったら、
私は心細さで押しつぶされてしまって
いたことだろう。

小学生の足だと20分はかかったであろう
早稲田駅まで私たち兄弟は
無言でトボトボと歩いていた。

夜22時過ぎ。

不気味に赤く光った国際興業の終バスに
慌てて乗り込み、母に言われた通りに
父の事務所へ向かう。

しかしその晩、
なぜか父は事務所にはいなかった。

終バスだったので、
もうその日は家に帰ることもできない。

私たちは事務所の前で
ただ父の帰りを待つほかなかった。

私たちは寒さをしのぐためと、
警察に補導されてはいけないということから、
近くにあったコインランドリーにかけこんだ。

そして、じっとそこで暖を取りながら
朝を迎えたのだった。

そして翌朝、なけなしの小銭をはたいて
お腹を空かせた弟にマクドナルドの
モーニングセットを買ってあげた。

長い長い一晩の出来事だった。

この話の後半の部分は、
数年前に妹から聞かされた内容だった。

私も確かにその場に一緒にいたはずだったし、
バスに乗って事務所に行ったあたりまでは
確かに覚えている。

しかし、この後半の記憶は
私の頭からはスッポリと
抜け落ちてしまっている。

どうやって朝、家路に着いたのか
私は全く覚えていない…。

私はこの時期、まるでパズルのピースが
抜け落ちたかのように
真っ暗にブラックアウトしているシーンが
ところどころに点在していた。

(つづく)

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