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【毒親連載小説#48】中国渡航編2-2〜リベンジへの道〜

当時は入社たった1年の新人が
こんな話を受けてもいいものかと
ためらったものだが、
そこはアメリカの企業とだけあって、
年功序列よりも実力主義。

実力がある人にどんどん
仕事を任せてもらえる。
そんな自由な職場環境だった。

もともと教育に縁と関心の
あった私にはこの部署配属は
性に合っていた。

私はこの部署で色んな貴重な
経験をさせてもらった。

初めはトレーナー見習いとして
先輩方の新人教育の様子を
見学することから始めた。

初めて新人教育の一部を
任された時はガチガチで、
教案を練るのにその場面の
セリフまで事細かに書いては
何度も音読し暗記した。

しかし、
実際に社員の前に立つと
そのセリフはすっかり
飛んでしまった。

また、私の先輩方は全て
実力のある人たちばかりで、
そんな先輩方の前で新人教育を
するのはとても緊張したし、
それが終わったあとの
厳しいフィードバックに
落ち込むこともしょっちゅうだった。

母との話でもふれたが、
私は昔も今も要領が悪く、
飲み込むまでに
ものすごく時間がかかる。

それでも
人に何かを伝えたり教える
というのは私の性に
合っていたようで、
少しずつだが充実感も感じていた。

初めの数年はとにかく
仕事を覚えるのに無我夢中だった。

そして、コツコツと地道に
仕事をしているうちに信頼も得て、
仕事を任されることも増えていった。

新人教育以外にも、
既存社員への電話対応の
モニタリングやフィードバック、
就職活動時期の大学生を
採用する人事と多忙を極めた。

そうこうしているうちに
先輩たちはこの職場を離れ、
私がこのチームを
取り仕切るまでになっていた。

私は今までの経緯のように
何度か海外に出ては戻るを
繰り返してきたが、
ここ、2度目の中国生活は、
今までのリベンジを果たすかのように
あっという間に七年の月日を過ごし、
親との物理的距離も
海外にいることで保つことができた。

日本語トレーナーとしての
キャリアも着々と積み、
仕事もそれなりに充実していた。

そんな仕事が落ち着いた頃、
私にはとある出会いが待っていた。

(つづく)

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