トラウマのふたが開くとき
カウンセラーとして、またクライエントとして、たくさんのトラウマのワークを経験してきた私が、空港での津波警報で思いがけずトラウマのふたが開いてしまい、機内でそのトラウマを癒すことになった体験を書きました。
トラウマのふたが開くとはどういうことか、内的に何が起こってどうなるのか、どうやって癒えていくのか、心のケアにあたっているみなさんの参考になれば幸いです。
トラウマワークをするかしないかにかかわらず、トラウマの心と体のしくみを理解することは全ての人の助けになると信じています。
3月の初めに、羽田空港を訪れたときのことです。
ターミナルビルに着くやいなや、ビル内に緊急地震警報が鳴り響きました。立ち止まって揺れを待つも揺れない、周囲の人も何もなかったようにしている。空耳か?と思っていると、少ししてテスト放送だったというアナウンス。
警戒モードをほぐすように歩き始めると、今度はウーーウーーというサイレンが鳴り響き「津波警報が発令されました」という音声が流れ、テストだとわかっているのに、私の脳は滑走路に津波が押し寄せている映像を自動再生し、体はまるでその場にいるかのように反応していました。
手荷物を預けるためチェックインカウンターに行くと、血の気が引き、ふらついたので「今の津波警報で気分が悪くなったので・・」と伝え、呼吸を整えてから手続きを済ませました。
「皆さんは訓練があることをご存じだったの?」とカウンターの方に尋ねると、「はい。少し前にアナウンスがあったので」とのこと。タイミング悪く、私はその直後に到着したようです。
私自身は災害を経験していませんが、空港での津波警報に過剰反応している自覚はあったので、何だろう?と探っていると、津波が押し寄せた空港の写真がパンと浮かびました。
それは、12年前の記憶です。
2011年3月11日、休暇でマウイ島にいました。日本にいる友人から地震があったとメールがあり、テレビをつけるとCNNが同じ津波の映像を何度も何度も流していました。ほとんど情報がない中、知り合いの安否を案じてぼう然とし、その3日後に日本に帰るまで地に足がつかない状態でいました。そんなとき、津波にのまれた空港の写真が目に止まり、海に近い羽田空港が水没したと勘違いし(実際には仙台空港)、なぜか「日本が終わる」と思って血の気が引き、凍り付きました。
12年後、羽田空港に響き渡る津波警報のサイレンがトリガーとなり、血の気が引くような情動記憶が呼び戻されていたのです。
トラウマ記憶が半開きの状態で機内に入り座席に着くと、すかさずCAさんが横に来て「空港でご気分が悪くなられたそうですが、お飲み物でもお持ちしましょうか?」とそっと声をかけてくれました。チェックインカウンターから機内スタッフへ申し送りがあったのでしょう。普段ならこのような気遣いは侵略的に感じる方なのに、そのときは素直に受け入れられてお水をいただきました。
半開きのトラウマをいったん閉じる作業をしようか、自分ひとりである程度処理をしてしまおうか、どうしたものかと中途半端なままでいると、飲み物サービスの時間になり、さきほどとは別のCAさんが「お加減はいかがですか?温かいお飲み物でもどうですか?」と声をかけてくれました。
スタッフ全員に気を遣われているようで、心地が悪く、自分が「ケアされる側」になりきれていなかったことに気づかされました。
震災の後は、3月が近付いたり、どこかで地震や土砂崩れや水害があったり、津波警報が出たりして震災のメモリートリガーになりそうなことが起こると、被災地からのSOSに対応できるよう無意識に待機モードでいたように思います。
”ケアされていいんだ”と思えたら、CAさんたちの気遣いが染みてきて、ようやく頭も体も一致して「怖かったー」とビリビリしてきて、その感じに浸っていました。それは心地よい時間でした。どれだけ時間がたったかわからないくらい入り込んでいたようで、幼い子のような自分の泣き声にびっくりして我に返りました。
「これはいくつの自分なの?」と思うと、
幼いときに小松左京の「日本沈没」を見たときの自分と、
「ノストラダムスの大予言」を読んで1999年に人類の滅亡とともに死ぬんだと思い込んでいた自分でした。
長い間、映像で見たことや空想したことをあたかも現実のように感じて圧倒されたままでいたのです。
後から振り返ると、2011年3月にトランス状態で見た「空港が浸水した写真」がトリガーとなり、幼いときに「日本が沈没して死ぬ」「人類が滅亡して死ぬ」と空想して凍り付いた自我状態にスリップしていたのです。
自分でも、なぜ羽田空港に津波が来たら「日本が終わる」という飛躍した発想になったのか不思議でしたが、「日本沈没」を見ていた幼い自我状態に戻っていたからそのような極端な発想になっていたのですね。
機内の騒音でかき消されることをいいことに、心ゆくまで泣きつくしたら、
台風が去った後のような爽快な気分になっていました。
圧倒されて凍結された自我状態は何年たってもそのまま残っています。似たことがあると、意識するとしないとにかかわらず体の状態が再現されます。
そして、”やさしいケア”があるところで、共感されることで安全に解凍されて癒えることができます。そのタイミングは出来事からずいぶん時間が経ってからかもしれません。
※トラウマワークは熟練したカウンセラーやセラピストの元で行ってください。
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