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夢を叶えるとは現実を受け入れるということ

私の兄は役者を目指していた。

高校卒業と同時に演劇の専門学校へ行き、その後劇団に入って数年は舞台に上がっていた。今は役者はやっていない。

「俺、ほんとうは声優になるのが夢だったんだ」

劇団をやめるとき、両親にそう言って声優の学校へ通ったみたいだ。それもやめて今は何をしているのかよく知らない。おそらく都内のどこかでアルバイトをしているのだと思う。

その兄が先日、結婚をしたいと言った。

そして家を買ったらしい。父親の名義で。

さすがに私は首をかしげた。久しぶりに会った本人の前で。思い切り首をかしげた。

そして聞いた。

「なんで家を買ったの?」

すると彼はこう答えた。

「夢だったから」

先日、映画『スマグラー』を観た。

『パルプ・フィクション』が好きだという知り合いがおすすめしてくれたのだ。

妻夫木聡の演技を見ながら私は兄の「夢」について考えた。

原作が漫画ということもあり、展開も演出もコミカルな要素が多いのだけれど、妻夫木聡の演技はそれを全くしらけさせなかった。それどころか、コミカルな画面のなかに凄みすら感じた。

そして思った。

妻夫木聡だって、おそらく役者に「なりたい」と思っていたはずだ。けれど、彼の演技に「夢」なんて浮かれた要素は1ミリもない。あるのは「演じ切る」という地に足の着いた覚悟なんじゃないか。


昔、NYの大手ファッション誌編集者のこんなコラムを読んだことがある。

彼女はファッション誌の編集者になるのが幼い頃からの夢で、ようやくその切符をつかんで編集部に入ることができた。しかし、入ってみて得たのは「現実」だったという。そして彼女は「夢」を失ったことに気づく。

憧れだったセレブリティたちは特別なものなんてほとんどない普通の人間だと知った。NYで華やかに見える仕事をしていたって、日々は現実の連続で自分自身は何も変わらなかった。毎日同じような朝がきては、仕事に追われて似たような夜を迎えるだけだ。そして彼女はこう言う。

「夢を叶えるとはつまり、希望や憧れを失い、それらが平坦な現実となってしまうことを受け入れること以外のなんでもない」

夢を持って生きることは素晴らしいことだ。

私たちは義務教育の頃から「夢を叶える」ことの重要性を叩き込まれて大きくなる。

しかし、白雪姫が結婚したら幕が下りてしまうように、私たちは「夢のその後」についてはあまり教わっていない。夢を持つことは素晴らしいのに、叶えた後のページは白紙だ。

もしこの世に叶えるべき「夢」があるとすれば、それを叶える方法はただひとつ。

「夢を捨て、現実を引き受ける」ことだ。

次から次へ夢ばかり抱いていても、それでは永遠に現実を生きられない。残念ながら現実こそが夢が叶う唯一の場所だ。そして、どんなに嫌でも私たちが生きるべき場所もまた現実なのだ。

「我々はいつも二択を迫られている。夢と現実の二択だ。夢を選ぶのは心愉しいが正気の沙汰ではない。しかし現実にはいつも落胆させられる」 ウディ・アレン

今、もしも兄に何か言えるとしたら、私は彼にこう言いたい。

「夢なんぞに食われるな。どうか目を開けて自分自身を生きてくれ」と。