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『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』ドラックスのおバカセリフにまで行き届いたテーマ

アメコミスーパーヒーロームービーの、今や押しも押されもせぬ一大シリーズ、マーベル・シネマティック・ユニバース。その中でも屈指の傑作『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』。世界中で親しまれている本作ですが、その大きな魅力の1つに、キャラクター達による秀逸かつ抱腹絶倒なセリフの掛け合いがあると思います。
本作でそのキャリアを押し上げたジェームズ・ガン監督自らが書き上げる脚本は、あらゆる魅力が詰まっていると思うのですが、その中でもドラックスというキャラクターの「おバカセリフ」が大好きです。

あらすじ

ピーター・クイルは全宇宙の支配をたくらむ悪党が狙っているオーブを盗み出す。だが、クイルはオーブを盗んだことで懸賞金をかけられてしまう。追手をかわすためにクイルは、4人の変わり者たちとチームを結成する。メンバーは武器のエキスパートでアライグマのロケットと、樹木型ヒューマノイドのグルート、ミステリアスな暗殺者ガモーラ、そして復習に燃えるドラックス・ザ・デストロイヤーだ。

Disney+ 『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』

ドラックスのおバカセリフ

ドラックス・ザ・デストロイヤー

凶悪な悪党たちが収容される刑務所の中でも、特に恐れられる存在として登場するドラックスですが、1作目では「比喩表現を理解できない」キャラクターだと描写されます。初登場シーンでは、主人公のピーターが行った「自身の首に指をそわす」=「対象の人間を殺す」というジェスチャーに対し、ドラックスは「なぜ首に指を当てる?」と尋ねます。それに対しピーターは「人を殺すって意味さ、喉を切り裂くんだ」と答えますが、ドラックスはさらにそれに対し「喉ではなく頭ごともぎ取ってやる」と言い返し、ピーターの言っていることの意味をきちんと受け取れないドラックスが本当に可愛いです。

宇宙が舞台のスペースオペラで、たくさんの宇宙人が登場する作品なので、異星人同士のカルチャーギャップを描いているとも取れますが、その後ピーターがそばにいた別の異星人に「一般的な表現さ、見たことあるだろ?」と尋ねると、彼も同意しピーターが「皆知ってる」と締めくくります。なのでやっぱりドラックスが可愛いです。

この皆大真面目にバカみたいなやりとりを、絶妙な間で繰り広げるシーンが本当に笑えるのですが、つまるところドラックスの「比喩表現を理解できない」というおバカ(特徴)は「他人の言っていることを理解できない」=「他者理解の不足」と言うことができると思います。

『vol.1』のメインテーマ

ここで1作目のメインテーマを考えたいのですが、主人公のピーターは「ラヴェジャーズ」という銀河のアウトローチームに属しながらも単独行動を好み、ヘッドホンをして音楽で外界の音を遮断しながら任務に臨んだり、たった1人の雇った船員の名前すら覚えていないなど、その描写からは他者を排除して生きてきたことが読み取れます。

そんなピーターが物語終盤、デコボコながらもやっと心の通じ合える仲間と出会い、文字通り「手を取り合う」ことで困難を乗り越えようとします。そうしてやっとピーターは他者を排除するのではなく、受け入れられるようになります。つまり「他者理解」。上述のようにドラックスの「他者理解の不足」からくるおバカ台詞は、まさにそれを反映しているのではないかと思うのです。

『vol.2』でも引き続きおバカなドラックス

「比喩表現を理解できない(=他者理解の不足)」として描かれたドラックスのトンチンカンな台詞ですが、続編の『vol.2』でも引き続きそのチャーミングな「おバカ」を炸裂させています。ですが、1作目とは微妙にそのトンチンカンさが異なっているんです。

2作目でのドラックスは主に「他者を笑いものにする」という傾向でおバカ発言をしています。ピーターの、ガモーラに対する思いが暴露されて恥ずかしいことを執拗に笑ったり、マンティスという異星人キャラクターの容姿に対して執拗に蔑んだり、嫌悪感を示したり、逆にドラックスが馬鹿にされたら「それは失礼だろ」と言う始末。これらは前作の「他者理解の不足」から来るものと言えなくもないですが、ガラリと傾向が変わっていると考える方が自然です。また、その様子はともすればドラックスに対する好感度を下げるセリフにも思えます。「ちょっと嫌なやつ過ぎない?」「失礼過ぎない?」と。

しかし、この「他者を笑い物にする」という思考をもう少し掘り下げてみるとそれは「自分の想定する“常識”から外れるものは“ダメ”なものである」ということで、それはとても「自己中心的」な考え方です。そしてそれを踏まえた上で『vol.2』の敵役はどんな存在だったかを思い出してください。

そうです。まさに読んで字の如く「エゴ」です。

そのまま「エゴ」という名前のこの敵役は、自身の存在こそが絶対で、その他の星や生物は自身の子種を増やす「触媒」程度にしか考えていないクソジコチュー野郎なのですが、それを打ち倒すこと、「“エゴ”による唾棄すべき思想を克服する」というのが2作目のメインテーマなのです。
その物語の中でのドラックスの発言が、まさに「自己中心的(=エゴ)」というのは決して無関係とは思えません。ドラックスのこの、本筋とは一見関係のないギャグセリフに至るまで、きちんとメインテーマに則した微調整がなされていると考えると、その細部にまで行き届いた秀逸な脚本に舌を巻くほかありません。

またさらにその続きとして、MCUキャラクターが大集合する『アベンジャーズ インフィニティー・ウォー』でもドラックスは可愛いおバカで、具体例はキリがないのですが、そこでの彼のおバカ発言は必ず「仲間」に関するものになっています。内輪的に「仲間」をバカにしたり、逆に「仲間意識」から来る、認めていない相手を小馬鹿にしたり。それはシリーズを通して「ガーディアンズ」間の絆が強くなっていることの表れであると同時に、「アベンジャーズ」シリーズの最大の魅力とは「それぞれの映画間=“仲間”間のクロスオーバー」であることを反映してのセリフだと思います。

だからドラックスのセリフはただのギャグじゃないんです。だから本作はこんなにも面白いんです。だからドラックスが嫌な発言をしたとしても、どうか嫌いにならないであげてください。

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