ナウシカを読む その3-人間性ってなんですか?-
漫画版『風の谷のナウシカ』を読む連載の3回目。
前回に引き続き、主人公のナウシカを読む。
私は、ナウシカというキャラクターを、人間性と非人間性という軸でよく見ている。
自分が人間社会に溶け込めない存在のように感じていたからかもしれない。
だが、ナウシカの非人間性を追っていくと、必然、人間的な存在と非人間的な存在の境界は曖昧になっていく。
私は、そういう物語を産み出した、宮崎駿という日本人が大好きだ。
ここに描かれているもの自体は、とても普遍的なもの。
でも、日本人だからこそ受け取りやすくなっている部分がきっとある。
ナウシカはあんまり人間的じゃない?
先月の読書会で、首を傾げたことがある。
ナウシカの人間的なシーンが印象に残っていない人が多いのだ。
「チコの実以外、何も食べない人みたい」
「趣味とか、全然無さそう」
「全てが自己犠牲で、自分の時間が無いように見える」
そんな声を聴くたびに、私は「おや~?」と思っていた。
ナウシカに「不眠不休で食事もせず、蟲と話せるナゾ能力があって、世界平和と自然保護のために24時間働ける超人」というイメージがあるようだ。
(それにしたって、ずいぶんと極端な見方じゃないか?)
そう思って、脳内検索をしてみた。
ナウシカが人間らしさを見せた場面と言えば、水辺で一人「なぜ族長の家なんかに生まれたんだろう」と悩むシーンが、すぐ思い浮かぶ。
キャラ設定として重要だからこそ1巻の早めに出てくるエピソードのはず。
なのに、多くの人の印象に残っていないのが不思議だった。
趣味についてもそうだ。
「ナウシカの趣味なんて、蟲と植物に決まっているじゃない!」
私はそう思っていた。
まぁ度を越しすぎてて、とても趣味に見えないかもしれないけど……。
風の谷の爺さまも「姫様の腐海遊びもムダではなかった」と言っていた。
やっぱりあれが、彼女の遊びで趣味なのだ。
遊びの付録として、王蟲の抜け殻を発見できちゃうこともあるけれど、爺さまたちのセリフからすると、通常時はムダだと思われていたのだろう。
どうも、ナウシカは「超人」のイメージが強すぎて、人として当然持っている性質でも、見落とされてしまうらしい。
ここはひとつ、改めて読んでナウシカのいろんな側面を追ってみてほしい。
でも、気をつけて見ていただきたいポイントが一つある。
ナウシカの「超人」性には二種類あるのだ。
超人性A:人並み外れて高い能力
ナウシカというキャラクターは能力値が異様に高い。
世界情勢が無理ゲー状態なので、彼女の立場はそれでも苦しいけれど、普通のゲームだったらチート並みに強いはずだ。
漫画の中で出てくるナウシカの能力を列挙してみると。
・剣士/騎士/銃士
・メーヴェ乗り/ガンシップ乗り
・士官/上級管理職
・植物学者/動物調教師/レンジャー
・救急救命士/看護師/保育士 などなど
スキルが広範な上に、それぞれの能力のレベルがこれまた高い。
剣士としては、トルメキアの親衛隊の装甲兵を倒すほどの腕。
メーヴェでは、飛行中の中型戦闘機の尾部に、乱気流を利用して飛び込む。
博学な剣士として高名なユパが半生かけてもわからなかった、腐海の謎のヒントに、16歳にして気づいている。
飛行機墜落現場では生存者の探索・救助・看取り・埋葬、軍医不在の部隊では重症患者の命を救う。
実在の人物でたとえてみると。
宮本武蔵+エーリヒ・ハルトマン+南方熊楠+ナイチンゲール+他?
うーん、超人的過ぎる(笑)
これは確かに、共感できる人が少ないのもうなずけてしまう。
でも、ユパ様のセリフによれば「ナウシカにならなくても、同じ道は行ける」そうなので、先に進めてみよう。
超人性B:超能力
ナウシカは、ある種の超能力者だ。
ユパも「蟲の心がわかるようだ」と言っているが、漫画でナウシカの心のうちまで読めてしまう我々読者には、彼女は本当に蟲の心を聴いていることがわかる。
(ちなみに、細かい話になってしまうけれど、宮崎駿の“念話”の描き方は、とても感覚的で素晴らしいので、ぜひ本でご確認いただきたい)
超能力っぽく言うと、ナウシカの持つ能力の種類とレベルは、こんな感じ。
・エンパス(感応力):超強い。人だけでなく蟲と話せるユニバーサル性。
・テレパス(遠隔感応力):そこそこ。受信能力は非常に高い。
*発信はチククの方がずば抜けている。
・サイコキネシス(念動力):物理的な力は普段は出ない。激怒した時だけ、体の周囲の蟲を吹っ飛ばすくらいの力が出る。
ナウシカの超能力は「人ではない」力?
映画では、ナウシカが唯一の超能力者として描かれている。
だが、漫画のナウシカの世界は広いのですよ。
2巻の冒頭から、念話能力者が登場し始め、マニ族の僧正から始まって、セルム、ミラルパ、チクク、そして、物語後半に出てくる各種の人造生命体、巨神兵やヒドラに至るまで、近距離の念話くらいは普通にできる人(?)たちが続々出てくる。
一般的というわけではなく、やっぱり希少な能力ではあるらしい。
ただ、物語の舞台が土鬼神聖帝国に入ってくると、少し違った様子もある。
為政者であるミラルパ自身が超能力者(おそらく世界最強の能力の強さ)だということもあり、上級公務員である僧官などは、自分自身に超能力が無くても、知識だけはあるのだ。
僧官がこんなことを言うシーンがある。
「通訳してくれよ。わしは僧兵あがりで念話の技も才能もないんだぞ!」
英語が話せない上司みたいなセリフだ。
土鬼帝国の上級公務員にとっては、念話程度の異能なら、英語スキルくらいの気軽さで扱える話題なのだ。
ちなみに、ナウシカの世界の権力トップは、超能力者の比率が高い。
土鬼帝国は成り立ちからして、超常の力で民衆を支配するスタイルだし、土鬼皇帝の前の時代も王族は超能力者だった。
トルメキアの王族は、そこまで超能力者っぽくはないけれど、クシャナの直感力まで含めれば、権力のトップはみな、程度の差はあれ、なんらかの能力者の血筋だと言ってもいいと思う。
生存確率の低い世界では、必然的にそうなるのだろうか。
五感を超えたセンスで、自分に属する民の生存率を上げるリーダー。
現代社会においても、起業家の世界などでは、通じる話かもしれない。
あの人も実は能力者!?
実は、クシャナ殿下もちょっぴり能力者だと私は思っている。
ナウシカ同様、感情が高ぶる等の特殊な時だけ、発動する能力がある。
普段は冷静なクシャナが平静を保てなくなる唯一のトピックが、母だ。
クシャナの生きる理由は、母の仇を討つことだった。
この仇の最期を見るクシャナの目、あれは肉眼で見た景色ではないと思う。
あの距離で表情が見えるわけがないのだ。
でも、宮崎駿は、わざわざクシャナの目を描いてまで、彼女が「見ている」ことを表している。
瞬間しか発動しないが、クシャナは潜在的な「千里眼」の能力者だ。
また、おそらく、腐海に住む「森の人」や「蟲使い」たちは全員、ある程度のエンパス能力者だろう。
森の人の主食は蟲の卵で、採るのではなく、分けてもらうのだと言う。
そんな暮らし方だから、蟲の気配や感情を察知しないと、やっていけない。
意志を伝えあうほど強い能力ではないかもしれないが、受信能力は暮らしに必須なのだ。
現代でも、猟師やレンジャー、山林管理など、よく山歩きをされる方には、少しこういう感覚があるんじゃないかと私は思っている。海で漁をする方も、そうかもしれない。
五感プラスアルファで入ってくる情報を、脳が自動処理して導き出す直感によって、危険性やその日の収量など、瞬間的にわかることがあると聞く。
古来、日本人は、自然との交感力が強かったんだと思う。
山で、森で、海で、人間以外の生きものの種類がとても多いこの国で、そういう暮らしをしていたから、当然だ。
でも、現代、そういう暮らしを離れてさえ、ナウシカのような物語を通じて、見えるものはある。
きっと、言葉や、生活習慣や、伝えられてきている物語の中に、OSが入っているんだろう。
「虫を見てると、吹き出しをつけたくなっちゃうんですよ」
ある人がそう言っていた。
手がかりになるのは、そういう感覚だ。
別に、本当に声として聞こえるわけじゃない。
それでも、微細な意志のようなものを感じたり、意志ある者として虫を見たりするのは、現代も残る日本人の自然との交感力の顕れかもしれない。
まとめると
ここまでをまとめると。
・ナウシカは、人間らしい悩みも、超人的な能力も、両方を持っている
・超人的な部分は2種類ある
A:人並外れて高い能力(剣、飛行、看護etc.)
B:普通の人は持ってない超能力(交感力&念動力)
・Bの能力者はレアだけど、ナウシカ1人ではない
・ナウシカほど強くはなくても、自然との交感力のある人々は結構いる
・日本人も、古来、自然と交感して暮らしてきた
そして見えてくる、ナウシカの非人間性
自然と交感するOSを起動して、再び、ナウシカの行動を見てみる。
すると、ナウシカの、突出した非・人間性が浮かび上がってくる。
(人間と非人間の境界ラインが、これでいいのか、迷うけど)
ナウシカの周りのキャラクターたちは、こう言い表している。
ミト「失礼ながら、人間よりも王蟲の運命にずっと心ひかれておられるようだ……『王蟲の心をのぞくな』という古い言い伝えがあります。もどれなくなる、と……姫さまがどんどん蟲の方へ行ってしまうようで……」
セルム「これまでも王蟲と交感した者はいた。だが、王蟲の心の深淵までのぞいた者はいない。もろい人の心は深淵の前にくだけてしまう。この少女は深淵の岸辺に至った稀有の力の持ち主だ」
ヴ王「気に入ったぞ、お前は破壊と慈悲の混沌だ」
自然のものと交感する力なら、昔の日本人は当たり前に持っていた。
でも、ナウシカのそれは、もう交感というレベルではない。
人の言葉をしゃべる王蟲と言った方がナウシカの本質に近いかもしれない。
ナウシカが王蟲の世界に惹かれていることは、物語冒頭から提示される。
でも、漫画をお読みいただいた方はご存じだろう。
話が進むにつれて、王蟲の血で青く染まった服を着たり、王蟲の漿液をもらったり、王蟲の世界とのコネクトが、人間の度を越えて深まっていく。
それはまるで、王蟲をはじめとする腐海の生物のロジックをインストールしていくプロセスのようだ。
「食べるも食べられるも同じこと」という、腐海のロジック。
「個にして全、全にして個、時空を超えて心を伝えゆく」という、王蟲のロジック。
これらが衣食を通じ、心を通じて、ナウシカにインストールされていく。
物語冒頭のナウシカは、レア能力を持った「人」かもしれないが、終盤のナウシカは、人の繋がりや蟲との繋がりを含めれば、「人の形をした複合生命体」だ。
私の目には、ナウシカは「人の姿をした人外のもの」として顕れてくる。
そして、一見するとわかりにくい人外の世界のロジックも、ストーリーを通じて徐々に紹介されているおかげで、だいぶ消化しやすくなっている。
(それでも、読んで理解するのは大変だけどね……)
さらに、私たちは、幸運なことに、ナウシカの世界から遡ること千数百年前くらいの、AIやバイオテクノロジーの恩恵を受ける世界に住んでいる。
実は、こうした現代テクノロジーが、人外のナウシカの世界観を理解するのに、とても良い手助けになるのだ。
そんな流れで、次回は「今だからわかるナウシカの世界:グリッドコンピューティング編」をテーマにしたいと思う。
2019.09.06
⇒ ナウシカを読む その4-テクノロジーが教えてくれること-
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