ナウシカを読む その4-テクノロジーが教えてくれること-
漫画版『風の谷のナウシカ』を読む連載の4回目。
今回はテクノロジーの面から、あの世界に触れてみる。
私たちは運がいい。
ナウシカの世界に登場するテクノロジーが、最近、非常に身近になってきたからだ。
ナウシカの連載は1984年から1992年。
あの頃はまだ、バイオテクノロジーなるものは、衝撃的だけど遠かった。
世界初のクローン羊のドリーとかが話題になったのが、1997年らしい。
今は遺伝子組み換えというと、大豆のように、生活圏内レベルでもバイオの話題があり、ヒトのデザイナーベイビーの話さえニュースで聞こえてくる。
AI的な存在もナウシカの世界に出てくる。
こちらも日頃うるさいくらいに目にするようになった。
ちなみに、漫画版を読んだことがなくて「ナウシカとAIに何の関係が???」と思われた方やAI関係者の皆さまは、これを機にぜひ読んでね。
現代を起点にして、ナウシカの世界を未来だと考えると、わりと最悪なシナリオケースになっていると思う。
そんな風に楽しんでいただきたい。
(ナウシカの世界を過去だと考える方が、前向きにはなれるけど)
でも、今日はバイオでもAIでもなく、違うテクノロジーで見てみたい。
なぜかというと、前回の続きとして、王蟲を理解するのに必要な概念「個にして全」を読み解くのにぴったりの技術が現代にはあるからだ。
王蟲ノコトバ、ムツカシイ……
私が初めてナウシカを読んだのは、小学校3~4年生の頃だ。
正直難しかったけれど、それでもむさぼるように読んだ。
「子どもはわからないものに出会うことが必要で、そのうちわかるようになるんです」
これはあるスタッフが、『風立ちぬ』の制作を迷う宮崎駿に言った言葉だ。
小学校時代の私にとって、ナウシカはまさしくそれだった。
なお、もしこれを読んでくださっている方々の中に、小学生のお子さんにナウシカを読ませるかどうか迷っている方がいたら、ぜひ迷わずお子さんに差し出してほしい。
もし、その子が本を手に取ってくれたら、その子の方が私たちより早く内容を理解できるんじゃないかと思う。
ナウシカの目を通して、私は王蟲という生きものにあこがれた。
でも、彼らの言葉は難しい。
「小サキ者、ワガ一族ハ、オマエノコトヲ、昔カラ知ッテイルヨ」
「ワガ一族ハ、個ニシテ全、全ニシテ個、時空ヲ超エテ心ヲ伝エユクノダカラ」
よくわからないけど、この言葉にものすごく魅かれた。
よくわからないけど、何かすごいことを言っているのがわかった。
あの初めて読んだ日からずっと、この言葉の意味を探し続けている。
そして、何年か前あたりから、少しずつわかってきたことがある。
ITの用語や考え方が、ナウシカを理解するためにものすごく使えるのだ。
「個にして全」というシンプルでナゾな考え方、それは、ITの世界では「グリッド・コンピューティング」と呼ばれている。
グリッド・コンピューティングって?
似たような言葉はいろいろあるらしい。
グリッド・コンピューティング、クラウド・コンピューティング、分散コンピューティング。
私には、あまり違いはわからない。
たぶん、ネットワークに繋がった多くのコンピュータが、作業分担をしながら膨大な処理をこなして、まるで1台のスーパーコンピュータみたいに振舞うという意味では、3つとも同じなのかなと思っている。
私は、この中で言うと、グリッドという言い方が好きだ。
グリッドとは格子のこと、ひいては格子状や網目状に繋ぎ合わされたもののことを表す。
こちらのサイトによれば、グリッドは「片手間でやるお手伝い」みたいなイメージのようだ。
繋ぎ合わされたコンピュータたちが、各自、固有の仕事は持ちながらも、余力を集めて協力する感じらしい。
電力のスマートグリッドとか、神経細胞のシナプスとか、三人寄れば文殊の知恵とか、お好きな分野の中から、構造の近いものを選んで、ヒントにしていただけたらありがたい。
さて。
王蟲の「個にして全」という言葉の前に、「我々はお前のことを昔から知っている」「時空を超えて心を伝えゆく」というセリフを考えてみよう。
私の類推も含めて、情報を整理するとこんな感じ。
・王蟲Aは出会う前からナウシカのことを知っていたらしい
・王蟲Aがナウシカと会うと、王蟲B,C,(以下略)にも伝わるらしい
・王蟲コミュニティでは、時間と空間を超えて情報伝達ができるらしい
・王蟲コミュニティのデータベースには昔からナウシカの情報が登録済み?
・だから王蟲Aは、初めて会ったのにナウシカのことを「知っている」?
自分で書きながらも、笑ってしまう。
まったくもってナゾだ。
でも、これが「個にして全、全にして個」という構造を端的に表わす情報だ。
そして、これを理解すると、つまり、自分自身をグリッド・コンピューティングの端末のひとつだと感じる感覚を持つと、ナウシカの物語は一気に違って見えてくるのだ。
「いや、難しいよ!よくわからないよ!」という方へ
そうですよねぇ。
頭で構造は理解できても、感覚的に捉えるのは難しい。
そこで、参考資料各種をお勧めしたい。
〇頭脳派な方:NHKスペシャル人体
実は、私は内容をちゃんと見たことはない(笑)
ただ、友人たちから、臓器は一つ一つ自分で考える力があり、それが情報ネットワークを形成して、会話するようにして、全体としての身体の機能を保っている的な話だと聞いた。
これを見て、肝臓ちゃんの気持ちを考えてみれば、「個にして全」な感覚がわかるかも?
概要だけさらっと知りたい方は、こちらもどうぞ。
〇アニメ&ロボット好きな方:攻殻機動隊Stand Alone Complex
ナウシカの漫画を全巻読むよりも時間がかかっちゃうかも(笑)
この中に登場する「タチコマ」というAI付き戦車たちの可愛さがまた!!
失礼、可愛さだけじゃなくて、彼らの「並列化」という言葉に着目しながら、このアニメは見ていただきたい。
ここで言われている「並列化」という処理は、人間的に言えば、1日の終わりに脳みそをつなげて記憶や経験データを共有する感じ。
それでもなぜか個性あふれるタチコマたちは、「全にして個」的な存在に見える。
〇読書好きな方:PATRONE-護民官ルフィ&ワイリー
ライトノベルで恐縮だけれど、「全にして個、個にして全」の感覚を掴む意味では、実は一番のオススメかもしれない。
ネタバレ無しで説明するのが難しいが、泥棒ワイリーの隠れた相棒たちが、王蟲よりもわかりやすい、グリッド・コンピューティング性を持っている。
上記のタチコマは、アニメの中では個体として動いており、並列化はおそらく1日1回、限られた時間だけで行なっているが、こちらの小説の某キャラクターは、個体、全体、グリッドを組み直した状態などが全て見られるので、非常にわかりやすい。
真言宗のお坊さんに教えてもらったこと
参考資料の紹介ばかりでも申し訳ないので。
以前、あるお坊さんに教えてもらったことで、少し情報を補ってみる。
私は、昔、「本当の自分」と「他人に見せている仮面の自分」がいるのだと思っていた。
でも、仏教では、違う見方をするのだそうだ。
他者と持っている接点(縁?)以外に、人を構成するものは何もない。
強いて言えば、その接点の集合体が自分というものらしい。
「全にして個」という言葉と、何か近いものを感じた。
仏教のこの考え方を採用すると、「外界と常時接続」な自分をイメージしやすくなる。
外界と自分、全体と個体、と分けて考えるのではなく、「全体でもあり個体でもある自分」を同時に考える。
すると、少し意識が広がって、グリッドの端末としての自分という見方もできるんじゃないだろうか。
いろいろと挙げてみたものの、説明しきれた感じはしない。
残り部分は、読んでいただいている皆さんの情報吸引力に頼るしかないけれど、たぶん大丈夫だろう。
(大丈夫じゃなかったら、コメントをいただけたら嬉しいです)
ナウシカの最後の決断への賛否
先月の読書会で、ひとつ面白い議論があった。
物語の最後に、ナウシカは、人類の存亡に関わる、ある決断をする。
それについて「一人であんな大事なことを決めちゃっていいのか?」という話だった。
でも、私は、物語終盤のナウシカは、単なる人間の個体ではないと思っている。
王蟲の世界からダウンロードしたグリッド・コンピューティングのソフトを使って、王蟲や腐海の生きもの、テトやクイ・カイのような人間に近しい生きもの、そして、多国籍な人間。地球というタグに連なる全てを繋いだ、巨大コンピューティング・グリッドの主要端末がナウシカだ。
ナウシカの次のセリフが象徴的だろうか。
「風の谷の私が、王蟲の染めてくれた土鬼の服を着て、トルメキアの船で出かけるのよ」
ナウシカという個体ひとつで、いろんなレイヤーの、何種類ものボーダーを越えている。
人と蟲というOSの違いを越え、辺境・土鬼・トルメキアという言語の違いも越えて、地球規模でグリッドを組んだ仮想コンピュータは、墓所の主のような人格インタフェースを持たない。
そこで下された結論は、人の個体としてのナウシカには、自分の直感としてだけ感じられているだろう。
実際、一人で決断どころか、実行までやっているのだから、恐ろしかったに違いない。
それでもやってしまえるのは、ナウシカが超人で、べらぼうに強いからではなくて、自分が巨大グリッドの結び目のひとつにすぎない感覚があるからだと、私は思う。
これに続いて、次に扱いたいテーマは「母と娘、神殺し」なのだが、これはネタバレ回避ができないかも……
少し間を置いて、再開したいと思うので、ぜひこの間に全巻お読みくださいますように!
2019.09.06
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