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「歴史×ミステリー」で旅をした話|米澤穂信『黒牢城』を読んで

気がつけば、石垣の上にいた。まるでその場にいるような、という比喩ではない。現実の世界で城跡に立っていた。ミステリー小説を読んで、およそ10km離れた史跡まで駆けることになるとは想像もしなかった。

ミステリー最大の醍醐味は、謎が解けたときのカタルシスだと思っていた。しかし、米澤穂信の『黒牢城』を読んでその考えを改めることになった。

■『黒牢城』について

米澤穂信が書いた『黒牢城』の物語は、戦国時代に実際起こった「有岡城の戦い」を下敷きにしている。西暦で言うと1578年から1579年、現在の兵庫県伊丹市で、有岡城主の荒木村重(むらしげ)と織田信長が相対した戦いだ。2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で、岡田准一演じる官兵衛が幽閉されていた城と言えばピンとくる人がいるかもしれない。

荒木村重は、摂津池田氏の家臣である身から一代で摂津国主にまで成り上がった、下剋上を象徴するような経歴の戦国武将だ。そして、「有岡城の戦い」は、それまで仕えていた織田方に謀反を起こしたことで勃発した。

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歌川国芳 「太平記英勇伝 荒儀摂津守村重 荒木村重」
出典/パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

ところでなぜ官兵衛は幽閉されていたのか。彼は織田に背いた村重を説得するため有岡城に来たが、そこで村重に捕らえられた。その辺りは史実としても語られていることで、物語は二人が対峙する様子から始まる。

『黒牢城』のジャンルは、強いて言うなら「歴史×ミステリー」だ。合戦で大立ち回りを演じ、織田方をバッタバッタとなぎ倒す戦国武将譚ではない(そういう要素もいくらかあるけれど)。

村重は「探偵役」として、城中で起こる不可解な出来事の解決にあたる。そして官兵衛は「安楽椅子探偵」のポジションと言えるだろうか。官兵衛が囚われていたのは狭い土牢の中なので、安楽椅子の例えはやや語弊があるけれど、身動きすらままならない場所からでも物語を動かす重要な役割を担っている。

歴史とミステリーで掛け算をした効果なのか、『黒牢城』を読んでいるうちはワクワクさせられっぱなしであった。ここからは、何が自分に刺さったのかを整理していきたい。

■物語に漂う、肌を刺すような緊張感

戦時の城中が舞台であるだけに、物語は終始ピリピリと張り詰めた空気に満ちていた。合戦を描く以上「誰も死なない物語」になるはずがない。まして武士たちにとって戦場で華々しく散ることは誉だった。そんな死と隣り合わせの状況が、肌に突き刺さる緊張感を生んだ一つの要因なのかもしれない。

この戦いにおいて、村重は堅固な有岡城を生かして籠城することを選んだ。しかし、当時の状況から考えると、西の毛利から援軍がやって来るか、何かの事情で織田軍が撤退しない限り、村重の勝ち目は薄かった。開戦したころは士気が高揚していた村重の配下たちにも、日が経つにつれ徐々に焦りや不安、またはある疑念が生じはじめる。その陰鬱とした空気はいつしか薄暗い影となって有岡城を覆い、物語の緊張感を増幅させていたように思う。物語の空気が肌に伝わってくるようだった。

(写真:外から見た有岡城跡)

■虜になったのは自分

ミステリー小説を読み進めて行くと、続きが気になって読むのを止められなくなることがある。『黒牢城』はそんな作品でもあった。

この物語は、序章・第一~四章・終章の六部構成だ。籠城中の有岡城で不可解な事件が起き、探偵役の村重が解決にあたるが、いずれの事件も混迷を極める。ついに村重は幽閉中の官兵衛に知恵を借りるべく地下の土牢へ向かう…。

各章ごとに見れば、概ねこんな流れで進んでいく。ところが物語の後半になると、章ごとにわずかながら存在した違和感や引っ掛かり程度の謎が、突如つながって大きなうねりを生む。起承転結、あるいは起承「転転」結とも言える迫真の終盤は、鳥肌がおさまらなかった。

思い返してみると、これまでに読んだ米澤穂信の著作も、何か心残りがあるような、胸の内がモヤモヤした感覚が終盤に動き出す作品が多かったように感じる。モヤモヤした感覚は不快な読後感につながりかねないと思うけれど、なぜかそうはならない。むしろ胸にトゲが刺さったような違和感が残り続け、物語のことばかり考えるようになり、ふと気がつけば虜になっている。『黒牢城』もそういう作品だった。

(写真:有岡城の石垣)

■物語が旅に連れて行ってくれた

話は変わるが、僕は去年まで『黒牢城』の舞台となった兵庫県伊丹市に住んでいた。物語の中で地名や土地柄に関する描写が出てくる度に、その場所の様子がありありと想像できた。

物語を読み終えた僕はどうしても興奮を抑えることができず、およそ10km離れた伊丹の街へ向けて自転車で駆け出していた。何が自分をそうさせたのか不思議でならなかったが、一心不乱に有岡城へ進んだ。刺さっていたのはトゲではなくて鍼だったのかもしれない。僕の体は活力で満たされていた。

(写真:有岡城跡の入り口)

30分ほどかかって、JR伊丹駅前にある有岡城跡に到着した。4年も住んでいたので何度か来た事はあるし、近くを通った回数は数えきれない。しかし、『黒牢城』を読んだ後に訪れると、何だか別の場所のように感じた。物語を追体験したことで、見方や感じ方が変わったのだろうか。

石垣の狭間に作られた階段を登ると、当時の井戸跡などがある。天守や櫓の跡形はないけれども、こうした遺構を見ていると「籠城中の村重もこの井戸の水を飲んだのかな」と妄想が捗る。後ろの方で二人の少女が爆音で音楽を流しながらおしゃべりをしていたけれど、僕の心はすっかり有岡城の戦いが起こった天正年間を旅していた。

(写真:井戸跡)

有岡城から少し北に行くと旧街道の「西国街道」がある。本格的に整備されたのは江戸時代だったと記憶しているけれど、ともかくこの道を西へ進めば毛利がいる中国方面へ、東へ進めばかつて村重と共に戦った中川清秀や高山右近がいる茨木・高槻方面へとつながる。村重は、有岡城の天守から毛利が来ないかとこの街道の方向を眺めていたのかもしれない。あるいは海から援軍が来るだろうかと、反対の南にある尼崎の方を見ていたのかもしれない。ひとしきりそんな妄想をすると、腹の底からじわりと温まるような不思議な満足感に包まれた。

(写真:現在の西国街道)

物語を読み、興奮のあまり駆け出したのは初めての経験だった。物語が旅をさせてくれたのだと思う。そんな経験を一度してしまうと、次に読む物語はどこへ連れて行ってくれるのかと、否応なしに期待が高まってしまう。『黒牢城』を読んで、物語への向き合い方そのものが変わった気がした。

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