阪大外語、他 ドイツ語受験の記録 ② 〜中学生時代〜

私がドイツ語受験を初めて考えたのは中学1,2年生のころでした。中学受験を終えて、関東のとある県にあり、県内の私立御三家程度に位置している中高一貫中学に無事入学したばかりの中学一年生の頃の私でしたが、初っ端から新たな環境への適応が上手くいかなかったこともあり、前学期は殆ど不登校でした。その後も成績不良が続いている状況で、殊に英語の成績に関しては、積み重ねの学習が重んじられる科目であったことも災いし、暗記が苦手な僕にとっては最悪な状況でした。学年最下位を中学生時代は取り続ける中で、当時の私は、次第にどこか英語への見切りをつけ始めていました。
その一方で、私は言語というもの自体へは些か興味を持ち始めていました。今振り返って思ってみても、英語学習が苦手なのに対して、英語という言語自体にはむしろ興味があったと思います。言語というものへの関心が芽吹き出した後に、私はドイツ語やロシア語へと手を伸ばしていくことになります。

初めはドイツ語だったように思います。ネットのブログ記事のようなところから、ドイツ語の発音や文字を習い、同時にドイツ語の音楽を聴くようになりました。このような段階を、ロシア語やイタリア語などでも踏んでいたのですが、これは割愛します。
かくしてさまざまな言語に触れて、手始めの知識をあらかたつけていくと同時に、学年は中学2年生へと上がっていました。この頃から、大学受験というものを少しだけ考えるようになっていたように思います。なんとなくネットの海を眺めているうちに、英語以外でも大学受験が出来るということに薄々と気がついていました。その頃からでしょうか、私はだんだんとドイツ語というものにフォーカスを当て始めていきました。
というのも、他言語受験をするにあたって、一番多くの大学で用いることができるのはドイツ語とフランス語なのです。(英語を除く)
ソースは不明ですが、確かこれは戦前の入試科目を反映したものの名残で、戦前から戦後にかけては今よりもドイツ語とフランス語の重要性や需要が高かったので、1960年あたりでは今よりも多くの人が受験で選択していたと言われています。独文解釈の秘訣に使われている入試問題の大学を見るに、一橋大学や東京医科歯科大学、東京工業大学などでもドイツ語入試が存在したみたいなので、結構一般的だったのかもしれません。今でいうところの発展地学みたいな立ち位置なのか、二次試験の地理くらいの選択者数だったのかはよく調べてないのでわかりません。代ゼミや河合塾でも過去にドイツ語の授業があったり、講師がいたみたいですね。
フランス語にも少しばかりは触れていましたが、英語のように綴りと発音に一対一の対応が無い言語であり、難しいという印象を既に持っていた私は、躊躇なくドイツ語を進めていくようになりました。

とはいえ、中学3年生のころまでは英語の勉強に取り組んだこともありました。殊に中学3年生においては、進学適性検査の時期であったということもあり、英語の学習には親子共に神経質であったように記憶しています。某ゼミナールの個別指導に通って英語と数学を学習していたのを覚えています。そこでしばらく英語を学習していましたが、いかんせん英語に興味がないために箸にも棒にも掛からないような成績は変わらずでした。それと同時に、某ゼミナールの自習室で「ゼロから始めるドイツ語」を独り進めていました。

結局、進学適性検査には、再検査こそ引っかかりましたが無事合格し、高校へ進学しました。

③につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?