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労働するということ

諸事情で労働から離れていました。自己都合ではなく、病気的な方で…。
3月1日から久しぶりの労働ということで、1日目を終えた訳ですが正直なところ、「本当につまらない」という感想しか出てきませんでした。

簡単に状況を説明しますと、病気からの復帰ということで私自身は元の仕事に戻りたいとやんわりと何度も提案し、受け入れてもらったようでしたが後日部長からは一度工場でみなさいとのことでした。部長からの説明としては、復帰しているのでいきなり元の仕事へ戻るのは負担が大きいので段階的に…という説明でしたが、その前に私からきちんと何度も体調は問題なく良好で、私の意思で元の仕事をしたいと説明しており、それも理解されていたと思ったので、予想に反しており残念でした。
しかしながらも、自分としてもまずは「労働」つまり8時間拘束されていたあの頃をまた「体験」するのもありだとここはひとつ前向きに考え、甘んじることにしました。希望が通らなかったことは疑問が残ってしまいますが、居場所を用意してくださった関係者にはお礼申し上げます。

しかしながら、これはもう本当に自分の正直な気持ちですが、本当につまらなかった。工場の労働者をバカにするつもりは毛頭ないし、こうした工場の人がいるからモノが出来上がっているんだなとしみじみ感じました。
それでも、自分にとってはとても苦痛だったことは変わりありません。

仕事に貴賤はないと思っていますので、これは性格や向き不向きの問題と考えています。しかしながら一方で同じ単純作業ですが、スーパーでバイトをしていた時は、暇だなぁと思いつつも作業自体は如何にキレイにかごの中に入れるかという作業がパズルをしているようでそこまで面倒くさいということはありませんでした。今回の工場での労働は、きっちりと8時間という労働時間のなかで休憩時間以外はずっと働く(勤務先は適当で雑な労働者はおらず、手を抜く余裕もないような企業体質です)という仕事内容で、ひたすらものの運搬などの作業でした。

更に考えてみました。この商品が自分の好きなものだったら退屈でなくなるのだろうか、つまりはこの退屈さの真因はなんであるのだろうと考えていました。商品の詳細は言えませんが、特に自分が興味を持っている製品でもないため、全く自分にとっての動機づけがない状況でした。

いかんせん真面目な企業なこともあり、きっちり仕事開始時間は守るし休憩時間もきっかり。一定の量を当日にこなせば自由時間があるタイプのしごとではなく(ノルマはありますが、ちゃんとやっていれば達成する)、8時間という拘束時間は本当に長く感じました。


あぁ、働くってこんな感じだったか…と。まずは労働の感覚を取り戻しました。一方で仕事の内容には非常に不満なのが正直なところです。
他意はありませんが、本当に「誰にでも出来る」仕事でした。
過去の経験と比較し、オフィスワークは自分で仕事の優先順位を決めることが出来るので、仕事のやり方を拘束されない心理的ハードルは低い一方で、自分でペースを決められないと仕事が滞ってしまうのだなと再認識しました。

想像ですが、コンビニのバイトは忙しかったり暇だったりと波がありますが、暇なタイミングも可能性としてあるので、自分にはあっている気もしました。朝のサラリーマンが押し寄せるタイミングなどは本当に大変だと思いますが、暇な時に多少スマホを見たり席をはずしたり出来るのはいいなと思いました。対称的に工場の仕事は本当に単純作業で、緩急無く只管同じ作業を休憩以外常に従事することになる。そうなると完全に8時間という労働時間が完全に「拘束時間」としてガッチリ牢屋の柵のが上から地面に刺さっていくように感じました。
つまり、自分は何が嫌なのだろうと考えたところ、「緩急が無く、達成すべきタスクに対する過程を工夫する余地がない」ことが嫌なのだろうとすこし輪郭がはっきりしました。

閑話休題、自分の歳にもなってやりたいこととやりたくないことがはっきりしていないのは恥ずべきことだなと思っており、早く答えを出したいと思っております。自分が納得できる仕事が出来るようになりたいのと、とにかく転職をさっさとしなければ…。アドバイスあればよろしくお願いします。

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