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31-3.時代はブリーフセラピーを求めている

(特集:秋の感謝祭☆研修会)

下山晴彦(臨床心理iNEXT代表/跡見学園女子大学教授・東京大学名誉教授)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.31-3

【新規募集開始の研修会】

ブリーフセラピー入門
−解決志向アプローチを中心に−
 
■10月1日(土曜) 9時〜12時
■講師 田中ひな子 原宿カウンセリングセンター所長
 
【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](1000円):https://select-type.com/ev/?ev=qbnIfvtmE0M
[iNEXT有料会員以外・一般](3000円):https://select-type.com/ev/?ev=0gg9RLL1X_A
[オンデマンド視聴のみ](3000円):https://select-type.com/ev/?ev=gpf5EB1bN8M

田中ひな子先生


【ご案内中の研修会】

「注目新刊書」著者オンライン研修会
「ゲームやネットへの依存と認知行動療法」
■9月11日(日曜) 13時〜16時
■講師 神村栄一 新潟大学教授

【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](1000円):https://select-type.com/ev/?ev=GqSgSQoE1N4
[iNEXT有料会員以外・一般](3000円):https://select-type.com/ev/?ev=nAuhxXdyey0
[オンデマンド視聴のみ](3000円):https://select-type.com/ev/?ev=9DrA882joeU

神村栄一先生

1.自我同一性が死語になりつつある現代社会

我々は、情報が溢れるインターネットの網の目の中で生活している。SNSは魅力的で刺激的な情報で我々を惹きつける。ゲームは射倖心や攻撃性を煽って現実からバーチャル世界に我々を引き込む。結果、我々は、情報の海の中で溺れないように自分を保つのが精一杯になる。
 
一昔前の昭和の時代には、「自我同一性の確立」が人々の主要テーマだった。「私とは何か?」を模索し、試行錯誤し、自我を確立し、進路を自己決定し、自分の人生をコントロールしていくことが発達課題となっていた。
 
しかし、今は違う。残念ながら、「私とは何か?」といったことを考えている余裕がない。内省し、自己を分析し、自己実現することが困難な時代になりつつある。東京では電車の中で読書する人はほとんどいない。誰もがスマホを見て情報を追っている。自分を保つために走り続けなればならない。

2.現代社会はブリーフセラピーを求めている

自我同一性の確立のためには、ある程度固定した社会のシステムと役割が前提となる。固定した社会があったからこそ、その中でどのような役割を選び取るのかが重要となっていた。自我同一性とは、自己の社会的役割を選び取り、それを確かなものとしてコントロールして維持することであった。
 
しかし、現代社会は、その社会の固定性が失われ、極めて流動的となっている。流動社会では、溢れる情報の海に呑まれて自分を失わないことがまず必要となる。内省をしている余裕がない。自己コントロールも難しい。そもそも確固たる“自我”を持つことが至難である。そのような時代における心理支援とはどのようなものだろうか?
 
ほとんどの心理職は、ゲームやネットへの依存が其処彼処に現れていることに気づいている。それは、問題の維持要因だけでなく、原因にもなっている。そのような時代において内省や自己コントロールを前提とする、従来の心理療法モデルとは異なる心理支援が求められる。そこで必要となるのがブリーフセラピーである。
 
臨床心理iNEXTは、原宿カウンセリングセンター所長としてブリーフセラピーを中心にさまざま心理支援活動を展開している田中ひな子先生を講師にお招きして「ブリーフセラピー入門−解決志向アプローチを中心に−」と題する研修会を実施することとした。今回は、「なぜブリーフセラピーが現代社会で求められるのか」を中心に臨床心理iNEXT代表の下山が田中先生と対談をした。その記事を以下に掲載する。
 
なお、現代社会に必要な心理支援スキル研修として、臨床心理マガジン30-4号でご紹介をした「ゲーム・ネット依存の認知行動療法」※)も併せてご参加をいただければ幸いである。
※)https://note.com/inext/n/n332d77c1cbf8

3.ブリーフセラピーは“見立て”をしない?

【下山】今回は入門編となっていますが、どのような内容になるのでしょうか。
 
【田中】入門編ということになっていますが、単に初心者向きということではありません。難しいクライエントや面接しづらいクライエントに会う時には、特殊で高度なテクニックを使うのではありません。より基礎的なところですね、どれだけ丁寧にその方に合わせて話をするのかが重要となります。つまりソリューション(解決志向ブリーフセラピー)の、面接者としての心得が大切になります。
 
だから、むしろ上級編の方が本当に基礎的なところが重要となります。いかにクライエントさんの言葉や価値観に合わせて話をしていくのかが試されます。ということは、実は上級編はないということなってしまいます。
 
【下山】そのこととも関連して私は、ブリーフセラピーにとても衝撃を受けたことがありました。昨年から今年の初めにかけて臨床心理iNEXTと遠見書房の共催で、ケースフォーミュレーションをテーマとした「大事例検討会」を実施しました※)。そこで、田中先生に、ブリーフセラピーの事例発表をしていただいた。その際、「ブリーフセラピーではケースフォーミュレーションは明確に実施することはしない」という趣旨のことをおっしゃっていました。
※)この「大事例検討会」の記録については、遠見書房から書籍化して出版予定。
 
そこで、「ブリーフセラピーは、見立てをどうしているのだろうか」ということが、私の大きな疑問となりました。さらに、「ブリーフセラピーは、内省をどのように位置付けていくのか」も疑問となりました。多くの心理療法では、クライエントの内省を前提としています。そして、クライエントに「自分の何が問題なのか」を考えてもらう。カウンセリングも精神分析も、認知行動療法もそれが前提です。ケースフォーミュレーションは、その「問題は何なのか」ということを確認することです。
 
ところが、ブリーフセラピーは、「問題を見つけ、確認し、そこを変えていく」という構造ではないということです。では、ブリーフセラピーでは「問題を解決するために何をしているのか」を知りたくなったわけです。

4.「問題が解決できればいい」というニーズにどう応えるか?

【田中】大事例検討会では自分なりのケースフォーミュレーションを一生懸命話そうと思っていたんです。しかし、残念ながら皆様からはケースフォーミュレーションとしては却下されてしまって……(笑)。
 
解決志向ブリーフセラピーでは、問題を明確にすることによってその原因を明らかにし、それを除去するということはしません。そのようにして問題の原因を除去するためのプランを立てるということがケースフォーミュレーションということであれば、ブリーフセラピーはケースフォーミュレーションを行っていないですね。
 
ただ、なんといいましょうか、クライエントさんからお話を聞いて私が何か関わりをするときに、まあ私の中で何かは考えております。その“何か”を考えている部分をケースフォーミュレーションと呼んだらダメなのかなと思ったんです。けれども、ダメだということになってしまって……(笑)。
 
【下山】いや、その考えている“何か”を知りたいのです。私は、ブリーフセラピーはすごく役立つと思っています。私自身、今アバターを介しての相談を試験的に実施しています。アバターでの相談は、お互いの顔が隠れているので、逆にクライエントさんは自分を隠す必要がないのです。生活しているままの自分を語り、問題の解決を求めます。内省して自己分析をしたり、自分の過去を見直したりすることはしません。ただ単に、困っている問題を解決するために自分はどうしたら良いかを求めてきます。
 
そうすると、「あなたの問題を詳しく調べて確認させてください」といった作業をしようとすると、「そんなことしたいわけではない。問題を解決するにはどうしたらよいか教えてくれさえすればよいのだ」となる。そうなると、いわゆる古典的な心理療法とかカウンセリングにはそぐわないわけです。

5.内省による自己理解よりも問題解決を求める

【下山】そのような相談は、本来の心理支援にはそぐわないとして切り捨てることもできるでしょう。でも、現代の情報社会では、「目の前の問題を解決すればよい」という人が確実に増えて来ています。だから、『「問題の成り立ち」をはっきりさせなければ、問題の解決のお手伝いはできません』と断るわけにはいかない。このような事態に対して認知行動療法は「動機付け面接」を活用して対処しようとしていますが、それも限界があるように思います。
 
内省が難しいのは、統合失調症や発達障害に特有ではなく、現代的なあり方でもあると思います。内省を求められても、「日々言われたことをこなしているだけで精一杯」「内省する以前にそもそも自分に自信がない」「反省していたら世の中の流れについていけない」といった理由で内省が難しくなっています。
 
ブリーフセラピーは、内省の難しい現代社会にフィットすると思います。だからこそ、私も含めて多くの心理職は、ブリーセラピー、特に解決志向アプローチを学ぶ必要があると感じています。私は、これまでカウンセリングや精神分析、そして認知行動療法を学んできました。そのような私を含めて多くの心理職は、自分が学んできた知識や技法を一度脇に置いて、ブリーフセラピーを学ぶ意味はあると思っています。
 
現代という時代の中で、“内省”が重荷になるケースが多くなっています。そのようなケースに対する時、多くの心理職は「これが心理療法だ!」と信じているやり方を一旦捨てることが必要となるかと思います。

6.ブリーフセラピーの世界観とは何か?

【下山】では、従来の「心理療法」とは異なるブリーフセラピーの根本的なあり方とは何でしょうか。そこがわからないままにテクニックだけを学んだとしても、ブリーフセラピーはできないと思うのです。結局、過去に習得してきた「クライエントに内省をしてもらう」「問題を確認しなければ」という、心理療法の古典的原理が頭の構造に残っていては、ブリーフセラピーができないと思うのです。
 
ブリーフセラピーの魅力は、“柔軟性”のように思います。それがあるから、内省が困難な“難しい”事例に有効に対応できるのだと思います。その有効性を可能にするための原理とは何かを知りたいのです。
 
【田中】いやあ、その通りです。といいますのは、その“内省”ということは、デカルトに端を発するような近代科学の考え方ですね。「我思うゆえに我あり」という近代科学の考え方を超えようとする考え方として、ポスト・モダンの哲学があります。ブリーフセラピーは、そのポスト・モダンの哲学を原理としています。世界観が違うのです。
 
【下山】認知行動療法は、まさにそのデカルトの「我思うゆえに我あり」の、「我」が前提になっていると思います。近代的な“自我”ですね。
 
【田中】そうなんです。ですから、もう前提が違うのです。ポスト・モダンという言葉も言い古されて、ちょっと最近ダサいかなとは思います。しかし、私の出身が現象学で、近代科学批判として現象学的心理学などを学んできたので、私にとっては、そのポスト・モダンの考え方がやはりフィットしています。そういう意味では正統派の心理学の教育を受けてきた下山先生からしたら獣道や野良といったあり方かと思いますが……(笑)。
 
私が最初に関心を持ったのが摂食障害だったんですね。修士論文のテーマが摂食障害でした。摂食障害にはいろんな理論があって百花繚乱ですね。「これが原因だ」みたいな理論がいっぱいあって、それぞれそれなりに効果があるから本も出ているわけです。だから、絶対的な原因って特定できない。私は、そこから出発しています。だからあんまり原因って考えない。「ああ、そうか。まだ摂食障害の真の原因っていうのはわかってないんだな」と普通の人は考えると思う。でも、私はそう思わなくて、「あっ、原因って関係ないんだ」と、そっちの結論を出してしまった。

7.認知行動療法は近代社会の方便として必要

【下山】私にとっては、田中先生のその自由さが羨ましいところです。一応私は心理学を学んできて、臨床心理学を社会的に定着させたいと思っています。でも、それは、近代社会における専門的学問として臨床心理学を形の上で定着させることです。その一方で、心理支援をメンタルケアの現場に真の意味で根付かせるためには、その近代社会の形とは異質なものが必要と思っています。
 
現在の日本の社会は、形の上ではデカルト的自我を前提とした近代社会です。ですので、近代的な形は必要と思っています。しかし、日本の現場で起きていることは、それとは違う。心理支援が現場に根付くためには、“デカルト的自我”や“原因-結果という考え方”を捨てなければいけないと思います。
 
【田中】いいんですか!?そんなこと言っちゃって……(笑)。
 
【下山】日本の社会の中身は無碍なるものだと思います。よくわからない、変な“つながり”の中で、混沌とした中で蠢いている。だからこそ形としての臨床心理学を造らなければいけないというのが私の考えです。一応日本も近代社会ですよね。表向きは。だから、心理職が日本の“近代社会”に位置づくためには、正式な形としての臨床心理学が必要であると思っています。認知行動療法は、形として分かりやすい方法が必要だと考えます。
 
日本社会では、医療が形としてガチッとあって人々を管理しています。日本のメンタルケアの中身を良くしていくためには、その管理を外して社会の根底にある無碍なる混沌の部分と関わっていかなければいけない。まずそのために、医療の管理に替わるものとして、医学とは異なる学問体系が形として必要だと思います。それが、形としての臨床心理学です。その点で信田さよ子先生に共感します。
 
【田中】そうですね、それはよくわかります。
 
【下山】近代社会の管理を変えていくためには、それと結びつく権威を壊して、それに替わる新しい形を出していかなければいけないと思います。その点で認知行動療法は大切になります。効果研究という形の上でのことですが、有効性を示すエビデンスがあります。旧いものに替わって新しいものを出していくためには、方略が必要です。近代を乗り越えるためには近代の論理を一応使っていかないと相手にされない。近代社会では、医療や行政の人たちに影響を与えるためにはエビデンスが必要と思います。

8.ブリーフセラピーは問題の原因を除去しようとしない

【下山】でも、本当の社会的パワーというのは、それとは異なっていると思います。私は、それは混沌の中のつながりをどう動かすかと関わっていると考えます。現場の力とどう手を握るかだと思います。私にとって、それは直感的には感じることです。そういう意味で私には、ブリーフセラピーに個人的に近しいものを感じています。
 
田中先生に、10月1日(土曜)にブリーフセラピーの研修会をお願いしたのは、私の、そのようなブリーフセラピーへの“無意識”の親近感がありました。ところで、研修会では、ブリーフセラピーの原理の部分にも言及して講義をしていただけるのでしょうか。
 
【田中】10月1日の研修会はブリーフセラピー入門となっています。基本的に入門の時には、前提となる哲学や世界観をかなりお話しします。その後で技法をお話しします。前提となる世界観は、ぜひお話ししたいと思います。
 
【下山】そのブリーセラピーの原理や世界観を、今ちょっと教えていただくことはできますか。
 
【田中】まずは「原因を除去して解決を図るという思考法ではない」ということです。そうではなくて、何にでも例外があるので、できている部分を探して、それを積み重ねていく。solutionをbuildingしていくということですね。それが原則の一つです。
 
もう一つは、社会構成主義的な世界観です。私たちの仕事は、「会話をしている」としか言いようがないですよね。ですので、会話の持つ意義、その会話をすることによって現実を作っていくのだということ、そしてその会話という現実によって「私」というもの自体も構築されていくのだという社会構成主義的な世界観をお話しします。カウンセリングとして高い料金をいただいているので、まあ私たちが何をやっているのかを説明しないといけないと思います。
 
あとは「変化とは何か」ということも前提でお話しします。心理学というのは“傾向”といった、変化しづらい部分を抽出して類型化していきますね。ところが、臨床家は変化を引き起こすのが仕事です。ですから、そのクライエントの中の変化しやすい部分に目を付けていく。だから、学部で習う心理学と目の付け所が違います。それで、「変化とは何か」というお話をします。

9.多様化した社会の中で心理支援は何を目指すか?

【田中】それは、社会の変化ということにも関わってきます。社会が多様化しているので、「何が正しくて何が健康なのか」を専門家が定義できない時代に入っているという前提がありますね。
 
【下山】まさにその通りだと思います。この情報社会では、どこに着目するかによって全然違うものが見えてくる。社会は、ますます相対的になっていますね。
 
【田中】それがポスト・モダンですね。近代では、「大きな物語」があって、「これがいい」、「これがダメ」と分かりやすかった。今はそういうものがなくて、コミュニティごとに、身近な関係の中で現実を作って答えを出す、そういう社会になっていると思います。それがポスト・モダンですね。
 
ここも私が摂食障害から入ったことと関係しています。「摂食障害における回復とは何か」については、いろんな流派がありました。1970年代の書籍には「女性性の病だから、結婚して出産して初めて回復したことになる」とか書いてあった。「何言ってんの!」と、私は思ったのです。「そのような『女性らしさを取り戻したら回復だ』といった、男性の考え方が摂食障害を生んでいるのだ!」と憤ったわけです。つまり、何が正しくて何が回復なのかということを誰が定義するのかということですね。ここも社会が変わってきているということです。
 
【下山】それについては、極端なことを言えば、精神医学も、心理学だって問題を作ってきた側でもあるわけですよね。
 
【田中】そうですよね。心理学には、そうやって社会の問題を隠蔽してきたという、適応の学としての側面はありますね。
 
【下山】そうですよね。ある意味で認知行動療法は「いかにこの世の中の基準に適応する考え方をし、行動をとるか」を目指している面もあるわけですから。

10.デカルト的世界観を超える

【田中】それは、自己責任論につながりやすいですね。摂食障害の考え方ってそうなのです。「自分の体型を律することできない人間は、この社会においてダメ人間だ」みたいな考え方がある。「身体は精神がコントロールするものである」という、まさにデカルト的世界観ですね。
 
【下山】なるほどです。そのように考えると、ブリーフセラピーを実践することは、既存のものを捨てる、あるいはこれまでとはちょっと違う世界にいくという面がありますね。
 
【田中】そうなんです。ちょっと違う世界に行かないといけないんです。最初から何も持っていない人からしたら「そりゃそうか」というくらいかと思います。でも、下山先生のようにいろいろな知識や業績のある方は、なかなかこっちに飛び込みにくいというところもあるかもしれません。
 
【下山】私に関しては、先生が思っているような真っ当な人間ではないです……(笑)。一昨日用事があって実家に帰郷しました。そこは、山奥の「ぽつんと一軒家」といった所です。今でも携帯の電波が届きません。中学の時は懐中電灯を持って学校に通いました。バス停を降りて真っ暗な山道を歩いて帰るので、月が出ていないと何も見えないのです。そのため、高校から下宿しました。今は東京に住んでいます。ですので、私には、世の中は相対的だという実感が根本になります。
 
ですので、特に「心理療法とはこういうものでなければならない」という考えはありません。その時々でカウンセリング、精神分析、認知行動療法も学び、実践してきましたが、それはその時に役立つと思ったからです。認知行動療法が役立つと考えるのは、今の日本が、デカルトを一つの源流とする近代社会であろうとしているからです。その日本の社会の中に心理職が専門職として位置づくためには、近代社会のルールに従うことが方略として必要だからです。主観が客観をコントロールする近代社会のルールに最も適しているのが認知行動療法ですからね。

11.ブリーフセラピーは理屈ではない

【下山】私自身は、あまり人が来ないような山間部の出身なので都会への憧れがありました。自分自身が東京という近代都市に定着するためにも、また自分の専門である臨床心理学の専門性を社会に位置づけるためにも近代的な認知行動療法が方略として必要でした。
 
しかし、その一方で近代社会とは程遠い田舎で生まれ育った私には、近代社会という仕組みは、人工的で表面的なものだという実感があります。私自身の経験から人間が生きている生活世界の根底には混沌があると思います。既存の世界とは違う世界に行くことは、私にとっては、むしろ自然ということはあります。
 
ですので、ブリーフセラピーも本質は、単純に「簡潔に解決を目指せば良い」ということではなく、固定された価値観に対して、それを相対的に捉えて違う世界に行くという世界観にあるということはとても関心があります。
 
【田中】理屈を言えば、そういう世界観が関わってきます。しかし、全然理屈がなくてもブリーフセラピーは学べます。シンプルにいうと、「人は一人一人違います」「クライエントは(自分の生活や人生の)専門家なのです」と、もうこの2行でいいのです。その2つさえわかっていればもうブリーフセラピーができるのです。

■記事制作&デザイン by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)

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