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41-4.公認心理師の時代だからこそ対話が求められる!

特集:集まろう!皆んなのiCommunity

糸井岳史(路地裏発達支援オフィス代表)
岡野憲一郎(本郷の森診療所院長/京都大学名誉教授)
下山晴彦(跡見学園女子大学教授/臨床心理iNEXT代表)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.41-4


発達障害支援「事例検討」研修会

発達障害「過剰適応と自尊心の傷つき」の理解と事例検討
―「恥ずべき自己」と「理想自己」の分裂を巡ってー

【日時】2023年12月24日(日曜)9:00~12:00
【講師】糸井岳史 路地裏発達支援オフィス代表
    岡野憲一郎 本郷の森診療所院長/京都大学名誉教授
    下山晴彦 跡見学園女子大学教授/東京大学名誉教授

【参考書】「恥と自己愛の精神分析」(岩崎学術出版社)
http://www.iwasaki-ap.co.jp/book/b199549.html

【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](1000円):https://select-type.com/ev/?ev=5yzrNFOxXoE
[iNEXT有料会員以外・一般](3000円) :https://select-type.com/ev/?ev=87rRmAojtj4
[オンデマンド視聴のみ](3000円) :https://select-type.com/ev/?ev=-C-2vlqnN7Y

1. 公認心理師・実習演習担当教育講習会に参加してみた

今、公認心理師制度の定着に向けて大きな動きが起きているのをご存知でしょうか?
令和5年度厚生労働省事業「公認心理師 実習演習担当教員及び 実習指導者養成講習会」が始まったのです※)。これは、公認心理師養成カリキュラムを持っている大学・大学院の教員、そしてそれらの大学・大学院から学生の実習を引き受けている現場の公認心理師(指導者)にとっては、最重要トピックです。しかし、公認心理師教育に携わってない心理職には、情報が届いていないのではないかと思います。※)https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_32992.html

私(下山晴彦)は運良く抽選に当たり、講習会に参加する資格を得ました。実際に参加してみての個人的な感想は、「“国家資格の力”というのは凄い」というものです。これだけの大規模な、しかも各地域で長期間にわたる講習会を実施する“運営力”もさることながら、その進め方の“強引力”に感嘆しました。教育現場と臨床現場の心理職は、公認心理師カリキュラムを実践するために苦労しながら試行錯誤しています。ところが、講義の内容は、現場での実態や苦労とは関係なしに、公認心理師の法律と到達目標で決まっている事柄の実行を求めるものでした。

これまで日本では心理職教育の統一モデルがなかっただけに、このような全体方針を現場の教員や指導者に半ば強制的に課すことも必要だろうと思う反面、このままだと現場の心理職の教育や活動が壊されてしまうのではないかと危惧されました。あまりに盛りだくさんの内容の詰め込みなのです。


2. 公認心理師の時代だからこそ対話の大切さを想う

講義の合間に、小集団に分かれての討議の時間が設定されていました。私が参加したグループでは、「本当にこのようなことができるのだろうか?」「講師は、現場の実態がわかっているのだろうか?」といった違和感を共有しました。また、「この内容を実行するためには、基本技能や修論の指導を削らなければできないが、それで本当に良いのだろうか?」といった危機感も語り合いました。

私が最も危機感を覚えたのは、“お上”が決めたことを心理職が受動的に実行するだけになり、現場での経験から利用者のニーズに応えるサービスを創っていく主体性や専門性が失われていくことです。現場では、言われたことを実践しているだけでは済まない問題が多く起こります。心理職同士で議論し、語り合う中でそのような問題に適した理解の仕方や介入法を主体的に創り出していくことが必要となります。その点で心理職の横のつながりと会話がとても重要となります。

法律や到達目標といった既存の枠組みに従うことを求める公認心理師法の時代だからこそ、心理職の創造的な対話が強く求められているのです。臨床心理iNEXTでは、まさにこのような心理職同士の自由な意見交換と情報共有のための場としてiCommunityを提供しています。また、心理支援の最前線で活躍しているエキスパートによる研修会も提供しています。そこでは、現場で起きている問題の理解と介入法の最前線を学ぶとともに、講師との対話を通して心理サービスの発展を目指します。

今回、冒頭に示した研修会は、日本独自の問題として深刻な事態となっている「発達障害の過剰適応」をテーマとして、発達障害や知能検査のエキスパートである糸井岳史先生と、精神分析や解離性障害のエキスパートである岡野憲一郎先生の講義と、臨床心理学と認知行動療法を専門とする下山晴彦の事例発表を通して3名の対話の発展を目指すものです。


3. 糸井岳史先生と岡野憲一郎先生との対話に向けて

【下山】以前、糸井岳史先生には、発達障害の過剰適応の研修会をしていただきました。今回は、精神分析学や解離性障害をご専門とする岡野憲一郎先生もお迎えして発達障害の過剰適応についての対話と議論を深める研修会を企画しました。

岡野先生をお呼びすることになったのは、糸井先生から「発達障害、特にASDの2次障害を理解する上で岡野先生のご著作『恥と自己愛の精神分析』(岩崎学術出版社)がとても参考になる」というお話があり、それならば岡野先生にもご参加をいただいて合同セッションの研修会を企画しようとなりました。そして、私が旧知の岡野先生にお声をおかけして企画実現の運びとなりました。

研修会では、前半では最初の1時間に糸井岳史先生に「発達障害の過剰適応」に関して、次の30分で岡野憲一郎先生に「発達障害の恥と自己愛」に関して講義をしていただきます。後半では下山晴彦が「発達障害支援の事例」を提示し、糸井先生と岡野先生を交えての事例検討会を行い、発達障害の過剰適応の問題理解と支援方法を検討します。

読者の皆様からするならば、「発達障害や知能検査を専門とする糸井先生と、精神分析や解離性障害を専門とする岡野先生の接点は何処?」と思われるのではないでしょうか。まずは、糸井先生から、岡野先生のご著作のどのような内容に興味を持たれたのかということからお話をいただけますでしょうか?


4. どうして発達障害の人たちは、こんなに傷ついているのか?

【糸井】自己紹介も含めてちょっとだけお話しさせていただきます。もともと私、最初は古典的な発達障害の専門家だったんです。知的障害とかカナー型の自閉症とか、重症心身障害とかそういうところからスタートしているんです。2000年を過ぎた頃から、いわゆる高機能型の発達障害の方々の臨床を始めるようになりました。特に大人の方々と精神科のクリニックでお会いするという経験をさせていただくようになったんです。

その時に感じたのは、「なんてたくさん傷ついてきた人なんだろう」ということだったんですね。過剰適応に限らず、鬱を患っているであるとか、PTSDを併存しているであるとか、そういう患者さんたちを日々見ていく中で、「どうしてこんなに発達障害の人たちって大人になる過程で傷ついてくるのだろうか」ということを考えざるを得なかったというのがあるんですね。

私は、最初は精神分析などの知識がないまま、そのような発達障害の人々の臨床を始めてしまっていました。よくわからないまま、そのような人々にお会いしていました。最初は、「トラウマがあるのかな」といった発想で問題を理解していました。それで、トラウマやPTSDの勉強をするようになった。その中で岡野先生の文献にも触れるようになっていったというわけです。そういう経緯です。


5. 多くの人が自然に体験できていることができない傷つき

【糸井】最初は、もっと分かりやすく考えていました。いじめや虐待、あるいは非常に大きなトラウマみたいなものがあって、それで傷ついてきたと想定していたんですね。もちろんそういう方々もたくさんいらっしゃる。しかし、必ずしもそういう方ばかりではなかった。生育過程の中で特に親御さんからひどい不適切な養育を受けたとかいうわけでもなく、かつ学校の中でいじめを受けた経歴もないけれども、大人になるまでにいろんな傷つきをしてきたっていう方々がいらっしゃるんだ、ということにだんだん気づいていったと思っています。

そのような気づきの過程の中で、岡野先生の御著書の中から学んだのは、これも誤解しているかもしれないんですけど、「陽性外傷」「陰性外傷」という概念でした。確か「外傷性精神障害」といった御著書の中で説明されていました※)。私は、陰性外傷という言葉を見たときに、「これは発達障害の人たちにとっても重要な概念じゃないかな」と感じたんですね。※)「外傷性精神障害」(岩崎学術出版社)http://www.iwasaki-ap.co.jp/book/b199587.html

彼らは、生育歴の中で、多くの人が体験できていることが全然体験できないというか、つまり普通に呼吸するように人と仲良くなったり、笑ったり、自然に話したりできているということができない、そのような体験をもう幼少期からずっとしてきている。この「傷つき」というのが、実は私がイメージしていた以上に大きいのかなということを感じたりしました。


6. 発達障害の人たちの恥感覚と、それを隠そうとする頑張り

【糸井】あと、もう一つ、岡野先生の古い御著書の中で学んだことの一つとして、「エディパルな恥」と「プレエディパルな恥」です。これは、「恥ずべき自己」の話の中にあったと思うんですね。エディパルな恥もプレエディパルな恥もどちらも発達障害の方々に関係あると思うんです。

特に私が感じたのは、この「プレエディパルな恥」という概念がすごく発達障害の方々に当てはまるんじゃないかという印象を受けたんです。このくらい根源的な恥というか、自分の存在への心もとなさというか、そういうことがあるんじゃないかということを岡野先生の御著書を通しながら、そのようなことを感じた次第なんですね。

さらに大人になった発達障害の人たちの中には、もう一生懸命、すごく頑張る人たちがいます。大人じゃなくてもそうですね。思春期とか青年期でもそのようにしゃにむに頑張る、燃え尽きるまで頑張ってしまう人たちが発達障害の一群の中にいる。「そのメカニズムはどうなっているんだろう」ということを考えてきたんですね。


7. 発達障害の「根源的な傷つき」と「恥ずべき自己」から精神分析へ

【糸井】もちろん、その一次的な発達特性の影響はすごく強くて、それらは無視できません。けれども、それに加えて、やはりもっとその「根源的な傷つき」というか、「恥ずべき自己」みたいなものがある。発達障害の人たちの頑張りは、それを何とか覆そうとする努力というか、そこと繋がってもいるかなと思うわけです。そういうことを、岡野先生の御著書を拝読しながら考えさせていただきました。そのようにして私の経験が岡野先生のお考えに繋がってきたということです。

【下山】糸井先生、ありがとうございます。私が想像していた以上に、岡野先生のご著作を読み込んでおられたんですね。最初は、精神分析というと、内省できる人が対象という印象がありました。それで、発達障害と精神分析が結び付かなかったんです。
しかし、お話を伺っていて、確かに発達障害こそが外傷的な心的体験をしていることを考えるならば、発達障害と精神分析は親和性がありますね。むしろ、根源的な心の傷というところで発達障害と精神分析は重なってきますね。さらに今のような観点から考えていくと、精神分析に新しい光が当たってくるような感じがして、ちょっとドキドキしました。糸井先生のお話を受けて岡野先生、いかがでしょうか。


8. 対人恐怖の病理から発達障害のエピソードへ

【岡野】糸井先生がおっしゃった本に書いてあるのは、私が42歳のときに考えたことです。ずいぶん前のことですね。そのとき、自分自身がモデルでした。「こんなに自己主張をしたい一方で、なぜこんなに恥ずかしいのだろう」、「なぜすぐ自己嫌悪に陥るのだろう」といったことを考えていました。

私は、別に深刻なトラウマを体験せずに普通に育ったけれども、やっぱり対人恐怖傾向がある。そのような人たちの特徴は、理想的な自分を持っていながらも、ダメな自分もある。その2つの自分があって、両方を行ったり来たりしている。つい高望みをしてかっこいいところを見せようとしてダメだったみたいなことを延々とやっている。「理想化された、優れた自分」と「現実の、ダメな自分」の差が大きければ大きいほど他人恐怖の病理がより大きいといったことを考えていたんです。

それと最近になって発達障害のことに興味を持つようになっています。発達障害に関するいろいろなエピソードを聞いています。特に犯罪を犯したASDの人たちは、犯罪に至る経緯の中で「バカにされた」というエピソードを語っています。レッサーパンダ事件のケースも「バカにされた」ということで殺人に及んでいます。他にも似たようなケースがあります。その女性が可愛いので声をかけたら、驚かれた、それで「バカにされた」と思ってカっとして刺したという事件ですね。


9. 発達障害における傷つきと自己愛

【岡野】そこから、ASDの人たちはものすごく傷ついているのではないかと考えたわけです。そしてそこには自己愛的な傷つきがあるということになる。そこで、ASDの人たちが自己愛的な問題を抱えているとなると、「それは何故なのだ」となったんです。そんな視点は特に持っていなかったわけですから。

私が考えたのは、ASDの人たちの中で不幸な道をたどる人たちは、だいたいは人を恨んでいるということでした。お母さんとお父さんとのやりとりはごく普通だとしても、彼らは親が良かれと思ってやったことをなかなか受け取れない。優しさがわからない。やられたことは、全部自分にとってダメだったというように受け取ってしまう。だから、感謝できない。人からやられたことは、全部恨みとなる。親に対しても恨みを持つ。親があなたに何をしたかと尋ねると、『私のことを「ダメだ」としか言ってもらえなかった』となる。

ASDの人は、他人からのメッセージで良い内容の方は受け取れない傾向にある。悪い方は、ガンガン感じ取ってしまう。それで世界に恨みを持った人たちになっていくのではないかと考えたわけです。彼らの心の中でも「恥ずべき自己」と「理想化された自己」の乖離が生じることになる。特に「恥ずべき自己」がクローズアップされるのは、彼らは良いものをもらってないと思っているからです。


10. 発達障害の情緒的関わりにおける悲しい特徴

【岡野】「良いものを感じない、悪いものばっかり受け取る」という、彼らの認知の歪みがある。情緒的な関わりの中でそのような認知の歪みを持っているところに、彼らの非常に悲しい特徴があるのではないかと思います。

最近、その問題と絡んでくるものとして右脳問題というのがあります。お母さんは愛着の時に子供の右脳を、お母さん自身の右脳を持ってトレーニングする。右脳は、言葉よりは情緒的な関わりを育む。ASDの子供は、もともとそれを受け取れないのか、つまりお母さんの右脳と一緒に反応して自分の右脳を耕すことができないのかと思います。あるいは、それが陰性外傷のような形で十分に愛着を持たせてくれなかったかケースもあると思います。

やっぱりASDにおいては情緒的な関わりを発揮する右脳の機能が十分ではないということが、バイオロジカルなベースとしてあるのではないかと最近考えています。ですから、ある意味では糸井先生がおっしゃっていることと、とても重なっているのではないかと思いました。


11. 日本の文化との関連で発達障害の過剰適応を考える

【下山】ありがとうございます。研修会では、前半では今のようなテーマについてお二人の先生からご講義をしていただき、後半では事例検討を通して議論を深めていきたいと思っています。糸井先生と岡野先生は、臨床活動のオリエンテーションも対象も異なっておられたと思います。それにもかかわらず、お二人の考えていることが重なってきています。そこから新しい発達障害の理解も出てくるのではないかと思ったりしています。

それから、今回の研修会のテーマとしては、発達障害だけでなく、「過剰適応」という問題もあります。過剰適応となると、「恥ずべき自己」という場合の「恥」も日本の文化と関わってきます。

したがって、発達障害の過剰適応を論じることで、日本の心理支援の現場で起きている問題群を浮き彫りにできたらと思っています。いずれにしろ、我々は日本の現場で心理支援をしているので、日本の社会や文化の特徴から逃れられません。その現実から出発し、そこに戻ってくるような問題理解を深めていきたいと思っております。当日は、どうぞ宜しくお願い致します。

■記事校正 by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)
■デザイン by 原田優(公認心理師&臨床心理士)

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臨床心理マガジン iNEXT 第41号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.41-4

◇編集長・発行人:下山晴彦


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