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月餅と親父と私 【エッセイ】

 子どもの頃せっかく親父に買ってもらった本を三度粗末にしたことがある。
 一度は幼児向け月刊誌。女の子が百貨店で山ほど買い物袋を提げている挿絵があった。一度の買い物でこんなに買ってもらえるのかと激しく彼女に嫉妬しその絵をボールペンでずたずたにした。
 私に嫌われると何をされるか判らない。
 一度は地獄絵図の描かれた絵本。
 ショッキングな絵の数々に震えがきて怖くなり、私はその本を自分の本棚に収めることができず祖父の家の物置に入れて葬りさった。
 絶対に地獄へだけは行きたくないと思った。

 もう一度は「かぐや姫」の絵本である。

 象徴的なラストシーン。
 大きな月が浮かんでいて、かぐや姫が今まさにそこに帰っていく絵だ。
 おじいさんが帰らないで欲しいとかぐや姫に頼んでいるのに、かぐや姫がまったく解っていないので、私はたいそう立腹して月をマジックで黒く塗って隠した。
 私のお蔭をもって、かぐや姫は月に帰ることができなくなり、おじいさんはたいそう喜んだそうな。

 まあ、幼い頃からちょっと変わった性質だったことだけは間違いない。

 せっかく子どもを思って本を買ったのに生涯三度もここまで仕打ちを受けた気の毒な親父は「月餅」が好物であった。
 他の家ではお月見の夜は月見だんごを食べているのに、なぜうちだけ月餅で満月を祝うのかと、私は親父に尋ねたことがある。
 親父は餡がおいしい、と全く噛み合わない回答を返した。
 次に私は、当家は実は中国系の家系なのではないか、と考えた。
 しかし、それにしては母の中華料理のレパートリーが貧弱すぎる。さらに親父も私も漢字を知らなさすぎる。
 かくして、なぜうちだけ月餅で月見をするのか、という収まりの悪い問題がまた残ることとなった。
 当時子どもの私にはそもそも月餅自体が解りにくい代物であったように思う。
 もうすでに十分おいしい小豆の餡になぜ匂いや歯ざわりに癖のある木の実をごろごろ混ぜ込まないといけないのか、という不服感があったのである。
 親父はもう空の向こうの人だが、今でも店などで月餅を見るとありし日の親父の横顔を思い出す。
 それは親父を偲び涙がこぼれてくるということではなく、単純に条件反射だと思う。

 当時の子どもたちの家にはその頃に人類初の月面着陸に成功したアポロ11号の絵のついた本とかおもちゃとかがあった。
 母もまた世間の例にもれず私を喜ばすために月面着陸の絵柄のハンカチなどを買ってくれた。
 こんな風に小さな子どもが日常的に月面着陸を見せられて育つのでやがてこの壮大な出来事に麻痺してしまいその本来の凄さがぼけてくる。
 アポロ11号が月面着陸に成功した同じ年に、ずばりその宇宙船の名前が付けられたチョコレート菓子が売り出された。
 子どもが雑にその箱を開けるとアポロ11号の司令船の形をしたチョコレートがぼろぼろと情けない音をたてながら紙箱を滑り落ちるので、月面着陸の深遠さはさらに遠ざかる。
 はっきり言おう。
 私にとって、アポロ宇宙船はそのチョコレート菓子である。
 ちなみに、そのメーカーがそのずばりの名を使えたのは太陽神アポロンから命名した商標を偶然持っていたかららしい。
 これこそ本当のツキがある、だ。
 それが言いたかった。

 当時イチゴはなかなかの高級品だったので、私はイチゴの味を本物のイチゴでなくこのチョコレートのピンク色の部分に初めて教わった。
 これこそ本当のイチゴ一会、だ。
 それも言いたかった。

 あの名曲「フライミートゥザムーン」はアポロ11号の月面着陸のお祝いソングかとずっと思っていたが、元々のタイトルは「インアザーワーズ」で、まったく月に関係ないナンバーであった。
 それがその後、少しずつ歌詞の中に「月」の文句が足されて、当時ソ連との宇宙開発競争でやっきになったアメリカが月面着陸を成功させるその数年前に偶然にしてこの新タイトル「フライミートゥザムーン」も使われるようになったそうである。
 つまり皮肉にも「インアザーワーズ」(言い換えれば)と言っていた側が言い換えられたことになる。
 月面着陸とは全然関係ないのにテーマソングみたいに扱われたのだから、   これは超出世だ。
 くどいが、このナンバーもまたツキがあるという話である。
 しかし、衛星旅行みたいな大げさなことをそんなに気軽にお願いできるくらいなら、私が月を塗り込めてかぐや姫の帰還を阻止したのはまんざら子どもじみたいたずらでなかったことになる。

 いくらか色気づいた年格好になって、少しは空に目をやりクラスのあの子のことを思えばいいのに、悪ガキたちと明日どんな悪いことをしようかしか考えていない低次元ぶりだった。
 そんなろくでもない奴は月にいるうさぎに杵で頭を突いてもらったらよかったのだ。
 
 天体望遠鏡が欲しくなって親父にせがんだことがある。
 親父は、そんな安物を買ったって目が疲れるだけだ、と説明したが、かと言って性能の良いのを探そうとか別案の提示があるわけでもなかった。
 相変わらず噛み合わない回答ぶりだなと思った。
 親父は口数の少ない静かな男だった。
 自分からギラギラ光りを放つ太陽みたいな男ではなく、照らされて光る月のような男であった。
 自分から話題をどんどん提供し会話を展開するのではなく、まさに他人の発した言葉を反射させるかのような月光スタイルであった。
 あの時、親父が私に高性能の天体望遠鏡を買い与えていたら、私は月や星座にまで思いをよせながら育ち、いい年してまだギラギラ、ハーハーすることなくそこにある光をうまく周囲に照らすような男になっていたことであろう。

 この流れなら、ベートーベンのソナタは14番「月光」が好きだとまとめるところかも知れないが、一番好きなのは8番「悲愴」の第二楽章である。

 せめて恋をした時くらい、夜の散歩で女性と夜空を見上げてロマンチックな気分に浸ればいいものを、心の中は灼熱の太陽が照り続け、ギラギラ、ハーハーであった。
 若いとはそれだけで時には罪なものである。
 夏目漱石先生はアイラブユーを、月がきれいですね、と訳したという。
 私は、アイラブユー、とも、月がきれいですね、とも言わず、あなたがきれいですね、と言って彼女を妻にした。

 大人になるのは遅いが、年がいくのは速い。
 そのことについて、親父とゆっくり話がしたかったものだ。
 彼はどんな風に今の私の年齢を過ごしたのだろうか。
 年頃の息子との対峙の仕方。
 親父はどんなに辛いことがあってもそれをけして他人に見せることはなかったと、親父が空の向こうに行った夜、母から聞いた。
 私は月をマジックで黒く塗って親父が天上に帰っていくのを阻止し、母を喜ばせることができなかった。

 我が家のお月見の夜は月見だんごを囲む。
 息子たちは包みを開いたらそのまま口に運びいれるが、今夜が神聖なお月見の夜であることを知っているのだろうか。
 月は今夜も夜空にぽっかり浮かんで、地球上のすべての人々の様々な思いや願い、また祈りをだまって受け止める。
 この静かな優しさととてつもない包容力はいったいなんなのだ。

 それは照らされてまんまるだからだ。
 そこは親父に訊かなくとももう自分で答えを出している。