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自分を知るという戒律

戒律とは、仏語。修行者の生活規律。
仏のいましめを自発的に守ろうとする
心の働きをいう戒と、僧に対する他律的な規範をいう。

戒律を意識して守っていても、
本当に守れているのか、自分ではわからない。

だから、他人が鏡となって、
自分が守れているかどうかを教えてくれるんだ。

規範を無視して、無軌道に破廉恥に生きる。
そんな人を見て、心痛めるならば、
自分もまた、戒律を破っているってことなんだ。

無意識にそんなひどいことをやっている。
そんな自分を見せてくれるんだ。

戒律を守っても守っても、
こんな状況が続くならば、
対策をたてなくっちゃならない。

もっときつい戒律を自分に
課さなくちゃならない。
その一番きつい戒律が、
自分を知るという戒律なんだ。

自分の無軌道ぶり、感謝知らずな姿、
自分の最低最悪の姿を知ることなんだ。

そうやって本当の自分を知ると、
世の中でいう戒律は守れるようになっている。

なぜならば、自分のダメさ加減を知れば、
なぜか規範を守っている人にしか、
出会わなくなっちまうんだから。

ということは、戒律や規範ってモノは、
自分を知ることで不要になるってことなんだ。

自分を知ろうとする人が増えてゆくと、
戒律や規範のない自由な世界が生まれる。
つまりはそういうことなんだ。

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