契約を交わすという覚悟
旧約聖書において契約という語は、
285回用いられて、イスラエル宗教の骨格を
形づくっているという。
ヘブライ語のベリースはアッカド語の
barû(縛る)の名詞形birîtu(束縛)と
関係があると推測され,元来一定の約束のもとに
個人または集団が相互に拘束関係に入ることを
意味しているという。
このように契約を交わすということは、
契約でお互いを縛る、拘束するという意味が
根底にある。
ということは、契約を交わす当事者同士は、
相手の光の部分だけでなく
闇の部分も共にする。
そんな覚悟が求められるんだ。
誰しもメリットを求めて、ウインウインを信じて、
契約を交わすが、契約には闇のギフトも、
もれなくついてくる。
「こいつとだったら、不幸になっても
それはそれでいい」
契約を交わすってことは、
こういう覚悟が必要なんだ。
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